詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

鈴木結生「ゲーテはすべてを言った」

2025-03-30 23:59:47 | その他(音楽、小説etc)

鈴木結生「ゲーテはすべてを言った」(「文藝春秋」2025年03月号)

 

 

 鈴木結生「ゲーテはすべてを言った」は第百七十二回芥川賞受賞作。その書き出し。(ルビは基本的に省略。)

 先頃、私は義父・博把統一の付き添いで、ドイツ・バイエルン州はオーバーアマガウ村の受難劇を観て来た。統一が長年要職を歴任してきた日本ドイツ文学会から依頼を受けての取材旅行。といっても、間も無く定年を迎えようとする功労者に対し、ささやかな餞別といった意味合いも多分にある仕事で、PR誌「独言」に何頁でもいいから文章を書いて欲しい、との話であった。勿論、統一本人は至って真面目にこの仕事に取り組んでいたが、そうはいってもやはり久々のドイツ。(文藝春秋、P318)

 私は、「取材旅行」でつまずき、「ドイツ」で立ち上がれなくなった。読む気がしなくなった、という意味である。この「体言止め」が落ち着かない。あ、ここには隠された「意味」があるのだな、と暗示している。それが、とてもいやあな気持ちにさせるのである。
 で、それは何を意味しているかというと。
 「体言」は簡単にいうと「名詞」。これに対することばは「動詞」になるが、鈴木は「行為」ということばをつかっている。「体言」ということばは書かれていないから(あえて探し出せば「言葉」がそれにあたる。これは「行為=肉体」ということばとの対比によって浮かび上がってくる)、これは正確には鈴木の「意図」的な組み合わせではないかもしれないけれど、私は、ここにはふたつの概念の出会いがあり、それが小説を動かしていくのだなと直覚してしまった。名詞(言葉)と動詞(人間)の出会いによって、「現象」が表現される、それが小説である、と鈴木は「定義」しているのかもしれないけれど、それがあからさまに見えてくる、まだ読み始めたばかりなのに、それを直覚してしまった。
 で、つまずいた。つまずいた、とは、そういう意味である。
 最初に登場するのは「ジャム」と「サラダ」。ゲーテの世界を象徴するものとして、登場人物の統一(彼が主人公)が考え出した「比喩」である。ジャムは「素材」がとけてしまって、素材の区別がつかない。サラダは素材がジャムのようにはとけあっていない。まざっているだけだ。
 ジャムとサラダは「混淆と渾然」に言い換えられる。

 ジャム的世界とは、すべてが一緒くたに溶け合った状態、サラダ的世界とは、事物が個別の具象性を保ったままひとつの有機体をなしている状態(P334)

 を手がかりに考えれば、ジャム=混淆(肉体/行為/動詞)、サラダ=渾然(言葉/名詞)だろう。「肉体」にも各部位に手とか足とか目とか、名前がついているが、ある行為(運動)のとき、「肉体」はその全体が動く。切り離せない。肉体の各部位は、切り離せない(溶け合った)状態で動く。
 ここからさらに、「曼陀羅」とか、「万有」ということばも誘導されるのだが、それは一瞬で、ジャム・サラダとは、あまり交渉しない。
 ゲーテの「色彩論」、ゲーテは色(光の三原色)をまぜると「灰色」になると主張し、エジソンと対立したのだが、そのこととも関係するのだが、ヘブライ語が出てきて、こんなことばがつづいている。

ヘブライ語の『バーラー』という動詞--『創造する』と訳されている部分だけれど、無数の色の混じり合ったバケツの中から、一つずつ色を抽出するイメージだ(P377)

 ここでは色を「混ぜる」ではなく一色ずつを「抽出する」が「創造する」と言いなおされるのだが、このばあい「抽出された色(区別された色)」が「ことば(サラダ)」であり、区別を消してしまう(混ぜる)という行為が「ジャム」につながっていくだろう。

 手の込んだ概念対比の組み合わせなのだが。
 「色」が出てきたついでに思うことがある。
 鈴木は「混淆と渾然」ということばのほかに「混沌」ということばもつかっている。

最初の混沌はすべての色が混じり合った世界だった。(P377)

 この「混沌」ということばに誘い出されて、私は「無」ということばを思い出した。同時に「空」ということばも。
 「混沌」から「無」を思い出したのは、私は「混沌=「無(秩序がない、区別がない)」ととらえているからである。それに対して「空」とは「絶対(揺るぎない区別)」のことである。「絶対」は「混沌(無)」から「空」が作り出したもの、あるいは「無」は「空」を通ること生まれる。
 この小説で繰り広げられていることばの運動を「流用」して、私なりに言いなおせば、「混沌(無)から抽出(創造)された色は、空によって絶対になる(青なら青、赤なら赤、という『名』になる。『名』になる前は、すべてが混じり合った世界)」ということになる。
 ジャムとサラダ、混淆と渾然、無と空は「重なり合う」。ジャム=混淆(混沌)=無、サラダ=渾然=色。これにあわせる形で私の考えていることを書いておけば、無=肉体、空=ことば、なのだが、このことは、そう書くだけにとどめておく。ここでは説明しない。
 で、この「色」につられて思い出すのは、「混淆」「渾然」ではなく、なによりも「空」である。
 「空」は「色即是空」「空即是色」のように「色」と関係している。この場合の「色」はゲーテの「色彩論」でいう「色」ではないが(私は、それを「存在=名」と把握しているが)、「色」につられて思い出すのである。特に「一つずつ色を抽出する」という表現に誘われて。
 で、ざーっと読んだだけなので、はっきりとは言えないが、この鈴木の小説には、「無」と「空」が出てこない。日本人にとてもなじみのある(したがって、特別に定義などされない「概念」である「無」と「空」を省略したまま(すどおりしたまま)、「混淆(混沌)」「渾然」「曼陀羅」「万有」だけが出てきて、世界が閉じられてしまう。日本語の、日本人の小説を読んでいる気がしない。日本人の「肉体」をとおって生まれてきたことばを読んでいる気がしなくなってしまう。
 もし「無」「空」が出てきたら、私は「つまずき」から立ち直ることができたと思うのだが、「無」「空」が出てこないので、私は、倒れたままだ。なんだか、翻訳された「概念」だけを上手に並べて書かれた小説のように思えたのである。
 別なことばで言うと。
 私の知っている「人間(肉体)」が動かないのである。あるいは「私は知らないけれど、知らない人間が肉体として、突然、小説の中にあらわれてきた」と感じないのである。「概念」だけが動いている。「体言」と「動詞」を組み合わせているが、その運動から「人間(人間)」が飛び出してこない。別のことばで言えば、ある日誰かと会って話していて、「あ、この人(この肉体)は、鈴木の『ゲーテはすべてを言った』に出てきたひとそっくりだ」とは決して思わないだろうと感じたのである。この小説には「ストーリー」はあるが、「人間」がいない。これは、とても残念なことである。

 そういうことと関係があるのかどうかわからないが。
 「済補」と書いて「スマホ」と読ませたり、「もじもじ(ためらう)」を「文字文字」と表記する方法にも、いやなものを感じた。「概念」を組み合わせているだけ、という印象が残る。

 

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