きぼう屋

生きているから生きている

これぞ礼拝!!

2009年05月03日 | 教会のこと
生涯忘れない礼拝になると思います

礼拝にて証しをする予定だった小学生Sくんは
めちゃめちゃ緊張して
証の出番になったとたんに身体のヒューズが飛んでしまいまして
涙がドバー
その後運動停止状態
となりました

でも司会のYさんが静かに講壇からSくんのところまで降りてこられて
Sくんと一言二言交わして
証しを飛ばして礼拝が進行します

その直後の子どもメッセージをしてくれたSおばあちゃんは
通る声で見事に聖書物語を語りきってくださり
小学生たちは話にくぎづけ
このメッセージの出来次第では
小学生たちがSくんの異変に流されていたと思いますが
そんな暇さえ与えないほどの
ベテランの業でした

わたしの説教中は
小学生クラスのリーダーがSくんの両どなりにいてくれています
あったかぁいのが説教中のわたしにも伝わってきました
なんだかうれしくて
いつもより説教が5分長くなってしまいました

主の晩餐式のある礼拝なので
いつもは5分短いくらいなのですが
わたしがいちばんSくんの異変に動揺したのかもしれません

そんなSくんも主の晩餐式では
パンと杯を取りまして
その姿がなんともかわいくて
わたしは主の晩餐式の司式をしているにもかかわらず
笑いをこらえておりました

そして礼拝を終えて
報告の時間の最後

Wさんが手をあげて
前にこられてマイクの前に立ち
胸ポケットから準備された原稿を取り出して
読み始めます

「洗礼要望記」
というタイトルコールからはじまります

あとで聞いたところ
出エジプト記の精神で
「記」としたとのこと

つまりバプテスマを受ける決意が与えられたことを
このようなかたちで発表されたわけです

わたしも何も聞いていなかったのでびっくり

みんなもびっくり

この事態に受付のおふたりも礼拝堂のドアを開けて
耳を澄ませます

みんなの目が輝いています

そしてWさんが読み終えて
拍手が起こります

今週からバプテスマクラス開始です

わたしのバプテスマクラスは
全10回
楽しみです




この連休
昨晩は4名の青年が
今晩は3名の青年が
教会に宿泊しますが
(明日が炊き出しなので)

その青年たちと一緒に
Wさんのお祝いを
一緒においしい夕食を食べながら
やったわけでございます


さて
Sくんですが
礼拝後もヒューズが飛んだままで
新しいヒューズがはまりません

本日は
一昨年まで教会学校小学生クラスのリーダーをしていたけど
昨年転勤で関東に引っ越されたMくんが
連休を利用して京都に帰ってきてくれておりまして

Mくんは
みんながお昼のおいしいひじきごはんを食べている間
礼拝堂でSくんに寄り添い続けてくれて
しかも丁寧に一緒に祈ってくれておりました

そして
Sくんのヒューズがなんとかはまり
MくんとSくんはひじきごはんのもとへ

その後Sくんは
お兄さんお姉さんたちのはじめての証し体験で
けっこう同じことが起こっていることを教えてもらいながら
だんだんとヒューズのエージングもすんできて

夕方には絶好調になって
庭でドッチボールをしておりました

午後に執事会があったのですが

Sくんの気持ちをよーくわかるみなさまでして
つまり
礼拝の司会という緊張感を繰り返し味わってくださっているみなさまでして
なんとなくみんなで
胸をきゅんとさせておりました


というわけで

本日の礼拝は
きっと
ずっと忘れないだろうと思います

感謝感謝

Sくんは
来週か再来週に証しをする

最後に言っておりました

次回は事前にリハーサルをする約束をしました


祈ります

アァメン



「自分のことは自分で」?パトロールのお知らせ

2009年05月02日 | 京都寄り添いネットのお知らせ
本日2日(土)は
ホームレス支援機構・京都寄り添いネットの
鴨川と御所のパトロール

13:00
当教会集会室集合

鴨川河原で通り魔事件が発生した直後
不安に中にいる仲間に

わしが仲間!

と伝えましょう


二日後の4日(休)は荒神口炊き出し
10:00
当教会集会室集合

ゴールデンウィークは
こういうことができるためにある!!



すこしだけメッセージ

「自分のことは自分で」

という現代の標語は
本当に本来の人間性にマッチするのでしょうか。

本当に聖書の言としていわれていることでしょうか。

主イエスはそういう生き方をしたのでしょうか。
主イエスの弟子たちは?
弟子のそのまた弟子たちは?

旧約聖書の預言者や祭司たちは?
聖書記者たちは?


ぼくは
これは
長い長い歴史の中で
この間ちょっとだけ流行している標語で

ぜんぜん本来の人間性にマッチするどころか
人間性をおかしくすることだと思います


「自分のことは自分で」
ではなく
「他人ことはわたしで わたしのことは他人で」
だと思います

これを依存関係として排除するというのも
長い長い歴史の中で
この間ちょっとだけ流行している見方だと思います

何しろ大事なのは
「わたしのことを他人がしてくれている」
という信頼とその実感!!

またその実感がないということは
起こりえません

実感がないという場合は
この世にある最も大切な事柄を
たぶんあえて無視している場合だと思います。

その大切な事柄は

信仰

です



「わたしのことは他人がしてくれている」



「わたしのことはキリストが十字架で引き受けている」
「わたしのことはキリストが愛してくれている」

という事柄となります


もっというと
「わたしの罪がキリストが背負ってそれゆえの死までをひきうけている」

という
その出来事の前に沈黙し
驚き
全身が覚えたことのない実感を得ます


これが

「わたしのことは他人がして」

ということで

それゆえに

「他人のことはわたしがする」

となるわけです


これが
聖書のかたる人間性



というわけで

ホームレス支援という行為は
そういうことなわけです



さてさて
本日は13:30より
円山野外音楽堂で
憲法集会が開催されます

今年は
あの益川先生と
あの瀬戸内さんが
おはなしされます


今年は
わたしはまったくかかわることができませんでした
でも
わたしなんかかかわらなくてもいいくらいに
この動きがひろまったというわけで
心からホッとしています


でも小笠原事務局長の大変さを経験上想像しつつ
ただただ成功を祈るばかりです

天気もいいし
たぶん会場に入りきれないくらい集まることでしょう




9条を守るわけですが
9条ってのは

「他人のことをわたしが守る」
というはなしで

じゃあわたしのことはだれが守るの?
と聞かれると

9条は実はそれに答えられないわけです
もちろん懸命に論を組み立てて答えるケースが多いのですが

わたしとしては
答えれば答えるほど
9条がおとしめられると思っておりまして・・・・



というわけで

「自分のことは他人で 他人のことは自分で」


本来の標語になったらいいと思います

ではおしまい

ホーム

2009年05月01日 | ホームレス支援のこと
走り回る一日の中でちょっと一段落

3名のホームレスを強いられていた仲間と時間をすごす

おひとりは付き合って7年

通り魔に太ももを包丁でさされる
10針縫う

信じられないけど本当の話

刺した人は角刈りだったということだけがわかっている

きっと無差別

やりきれない


もうおひとりは付き合って8年
映画「誰も知らない」と同じ境遇を12歳から生きてきた人

抗がん剤治療を続ける

ホームの回復を目指す僕らだけど
ホームの経験がない場合
そこではホームを創造せねばならないというテーマにもろにぶつかる
そしてそれがとても難しいことを改めて知ることになる

でもホームを創る
おれがホームになる


もうもうおひとりは付き合って11年
いうなれば何度も裏切られたかたちになったけど
今回いよいよ
本日から
アパート生活がはじまる

今晩再出発パーティ

という予定だったけど
役所での手続きが大変なので

明日ということに

おっちゃん
お帰り!!


すべてを主イエスに委ねつつ・・・

アァメン