きぼう屋

生きているから生きている

クリスマスはもうひとつの世界の約束

2006年12月19日 | 教会のこと
12月17日の教会の週報巻頭言です。

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 いよいよクリスマス企画のスタートです。本日午後は子どもクリスマス。先週の火曜日には地域の二つの小学校前でチラシを配布しました。いい顔で受け取ってくれました。子どもと出会う奉仕に加わってくださった方にとりわけ感謝。ただ「宗教」のイメージが悪い時代で、周囲の大人が教会への出入りを認めないことも多々あるのが残念です。子どもではなく、子どもを迎えに来た親御さんから間髪入れずに「宗教にはかかわりません」と言われるは、いつものことだけどやっぱり堪えます。でもこれは今に始まったことではなく、聖書が書かれた時代からそうでした。
 つまり、本物の愛と希望と平和は、いつも追いやられています。
 ではこの世界はそれらを追いやって何をしてるのでしょう?それは、自分とその周囲が生きるため、世界の全体幸福(宮沢賢治の言葉)ではなく、狭い周囲の幸福を求めるばかりに、次第にその時代の権力(今は経済強者であることが多いですね)に従うということではないでしょうか。
 すると、そういうのに抵抗し、本物の愛と希望と平和を語り、全体幸福を語る「宗教」と呼ばれるキリスト教会は、逆に狭い周囲の幸福にとって邪魔になるから、いつの時代も迫害されてしまうようです。現代では、情報によって「宗教」のイメージをおとしめることも行われています。
 一昨日は教育基本法が変えられてしまいました。世界全体幸福のための個人教育から、日本という狭い周囲の幸福のための集団教育へと変わります。すると、顕著に権力者が子どもに命令するというかたちが、新しい法の中で語られておりまして、このあたりはこれからも気をつけておくべきところです。
 しかし、この只中にもクリスマスは来ます。それは主イエスが最後の最後の抵抗者として、全世界のすべてのいのちが幸福になることを願うからです。狭い範囲の幸福のために、互いにいがみ合う世界にもかかわらず、本物の愛と希望と平和というもうひとつの世界が脈々と生きていることを主イエスが今年も知らせます。そしてもうひとつの世界に時々でも触れて癒されることを私たちは知っているとも思います。これこそ「神に栄光、地に平和」という御言の成就でありましょう。
 今年も一緒にクリスマスを味わいましょう。
主イエスは今年も、いや、常に、今ここに、生まれます。