きぼう屋

生きているから生きている

平和宣言

2008年08月06日 | 平和のこと
今朝はテレビを通して
広島の平和祈念式典に祈りをあわせます

秋葉市長による平和宣言
今年は戦略的で政治的で運動的な宣言でした
小学生による平和の誓いもそう聞こえました

しかしそうなのだろうと思いました

小泉時代
安倍時代
またアメリカがブッシュばりばり時代

宣言が
どんなに戦略的に語られようとも
意味をなさないほどに
平和をないがしろにする時代であって

それはとくに

希望

の見えない時代だったわけですが

だから
平和宣言も平和の誓いも

半ばやけくそになっても
本質のみ語りきり
希望の無い世界で
希望を語りきる

ものとなってきただろうと思います

それは叫びであり
嘆きであるという言葉だったと
記憶します


しかし

日本は首相がかわっており
アメリカもまもなく大統領がかわるというとき

希望を背景に
獲得できる事柄を獲得する!

ための
平和宣言と平和の誓いが
語られるというのは

とてもただしい知恵だと思いました


時間ができたら
じっくりと宣言文を読んで
もう少し考えてみたいなあ
と思います