きぼう屋

生きているから生きている

教育

2008年06月28日 | 平和のこと
昨晩は
守ろう憲法と平和きょうとネットの例会で
教育基本法が変わってから
どんなことが起きているかを
学びました

現場で体感している現役の先生が
おはなしをしてくれました

わたしの感想としては

子どもや親は
義務教育期間内において
学校内で
子と先生
子と勉強
という出会いがなくても

義務教育後や
学校外で
そういう出会いを見つけていくという
したたかさを持って生きることができるし

しかし
人が集まるという時点で
どんなにえらい人たちによって
規制されようとも
そこでは出会いがおこるものだから

致命傷にはならないと思うのですが

先生たちにとっては
致命傷になる
と思いました

先生たちおひとりおひとりの
人格というものが反映されない
教育システムになるんだなあ

悲しく切なくなりました

人格と人格
事柄と事柄
との出会いに期待しない場合
あるいは
それらの凄みと超越性を信じない場合

そういう人の集まる場所は
機械とされるんだなあ

むかついてきました


また
どちらかというと
どんどんかわる教育において
子がいわば洗脳される
というよりも
親や地域が利用されることによって
そこでの利害に巻き込まれ
抜け出せなくなる
という現象がおこるだろうなあ
と思ったりしました

わたしは教会の人間なので
そういうのに巻き込まれる心配がないのですが

地域で商売する方々はそうはいかないし
教会などの具体的な共同体に生きていない方々もそうはいかないし

このあたりが
教育基本法が変わったことによる
社会の変化なんだろうと思いました

教育勅語制定後

同じ感じなのかなあ


残念な流れですなあ