きぼう屋

生きているから生きている

ホッ

2008年05月07日 | 平和のこと
2008.5.3の
「生きるために 今 憲法! 5.3憲法集会in京都」
における冒頭のあいさつです

これ以外に余計なことも
今回もしゃべってしまっておりますが・・・
ここでは本筋のみを。

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有事法ができるに際しての
小泉前首相の言葉を今でもたびたび思い出す。
「あなたの家族が、
いま、強盗に殺されようとしても、
あなたは家族を守らないのか。
丸腰なのか!」

明らかに憲法9条二項を意識した言葉であると同時に
戦争をしたいときに権力者がまずいうところの言葉です

この言葉は
人間のどうにもならない生命維持本能を剥き出しにします。
それによって人間は自然に
家族が危険なときは家族以外を殺してもいい
という感触を抱くでしょうし
それはさらに
仲間内が危険なときはその外部を殺してもいい
国民が危険なときは外国人を殺していい
という感触にまでつながるのだろうと思います。

殺してもいい世界。
どうも今の日本は殺してもいいことが前提であるところの世界
になっているのではないかと思っています。

殺してもいいことが前提の世界では
当然
搾取も収奪も独占も
いじめも殺しも自殺も
戦争も
なくならないはずです。

だからわたしたちは
本日このように集まって
もうひとつの世界をつくる!
ということを
確認したいと願います。

もうひとつの世界
それは殺してはならない世界です。
生かされて生かし生きる世界です。
 
そして
世界の中でこのもうひとつの世界を
もっとも明確に提示しているのは、
現憲法第9条ではないでしょうか。

本日は講師の安斎育郎さんを通して
憲法9条を分かち合います。
 
そしてさらに、
生かされて生かし生きる世界を前提とすべく、
憲法第25条をも本日は分かち合います。
反貧困ネットワーク事務局長の
湯浅誠さんに講演していただきます。

今は、
ホームレス生活者、
非正規雇用労働者、
貧困な者たちが
外部とされていると思います。
外部として殺されても仕方がない人間
とされているといっても
過言ではないと思います。
少なくとも、
彼らの人権なんて関係ない
という世界を私たちは経験しています。
 
本日は、ご一緒に、
それに、否!と叫びたく願います。

集会の最後まで、
できれば憲法ウォークまで
ご一緒できますならば幸いです。


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しかし
湯浅さんの話も
安斎先生の話も質の高い内容が詰まっていて
でもわかりやすくて
たいへんよかったです。

湯浅さんの

批判することは大事
それが的を得ていることも多い
でもそれだけでは学者にしかなれない
生活の場での運動は
批判しつつ
しかし共通点を探し
共に歩むことが求められる

という言葉は
なかなか面白いものでした


運動の交流も熱かったです

ママ友9条の会は
手話と共に歌をうたってくれて
子どもたちも一緒に手話をしていて
同じように小さな子どもを与えられている私としては
実はその時は壇上に座っていないといけないときで
大変目立つところいたにもかかわらず
涙があふれて止まりませんでした

感謝感謝

非正規雇用における人権を訴えるユニオンぼちぼち
「人間としておかしいと直感で思って
 そういう風に声をあげたあとに憲法を読んだら
 なんと憲法にしっかり書いてあって感激した」
という正直な言葉は
しかしすごく力がありました

わたしも15年ほど前に
そんな経験をしています

最低賃金で100日間
実験的に生活をした若者たちは
その経験ゆえに
最低賃金の非人間性を見事に語ってくれました
重たい言葉でした

京都のホームレスの状況と支援の状況など
これまたNさんが熱く語ってくださり
感謝でありました



わたしが実行委員長を担う憲法集会は
これが最後
次回からは
憲法九条京都の会が主催するので
それこそスーパー著名人たちが
呼びかけ人代表として
前面に出てくれることになると思います

なんか肩の荷がおりたという感触を
味わっております

そしてとてもホッとしています
つまり
わたしが8年くらい前から
イメージしていたところの
強く確実な運動組織が
発足するからです

ここまでの
みんなの地道な努力と
そこから広がっている交わりの深まりが
豊かに実を結ぶわけで

ホッとしてしまうのですが

しかし情勢はそれほどホッとしすぎてもいけませんので

平和のために

私の場合は
はっきりしているから
はっきり言いますが

キリストの平和のために!!

なお
献身し続けたいと願うばかりなわけです


でも
ホッとしております・・・・