きぼう屋

生きているから生きている

十字架の主を選ぶ

2011年02月11日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「十字架の主を選ぶ」

先週は日本バプテスト連盟の理事会がありました。
事前にファイルいっぱいの資料が届きましてとても驚きました。
でも資料が膨大なのは、理事会は、全国の教会・伝道所に資するためにきめ細かい作業をしているゆえのことです。

理事会では、教会の現状を丁寧に祈り覚える中で、きめ細かい議論をし、政策を決定しました。

またその際、理事会は確固たる姿勢を貫きました。
それは、
切らない、つながり続ける、信頼する、愛する、という姿勢です。

交渉ごとで、
罪人である私たちは、
一部どうしても不信から議論をはじめてしまいましたが、
最終的には、
理事会はキリストの十字架のもとで信頼するところから、結論とそれにいたる信仰の筋道を整えました。
主の導きであると信じ感謝するばかりです。

また私は恥ずかしながら理事を担うことに消極的な面もありましたが、
今回参加して、
十字架の下に立つ姿勢に触れ、
責任を担う喜びを発見しました。
こちらも主に感謝するばかりです。

連盟は全国324の教会・伝道所が協力伝道のために主体的に加盟してつくられています。
でも教会から連盟への協力伝道献金が、
改善しつつもまだ少ないことがテーマのひとつとなりました。

私はこの現象と、教会への十一献金の意識が連動していると感じました。
つまり、十一献金という神さまとの約束が守られている教会は、連盟への献金も標準比率に達しますが、
どうも十一献金の約束が丁寧に分かち合われていない教会は、
連盟との約束も反故にできていることがデータから読み取れると思いました。

また献金だけではなく、
隣の教会など、連盟諸教会を覚え祈り、交わりを持つことと、
各個教会において個人が他者を覚え祈ることも連動していると思います。

さらに言うならば、
信仰理解が
「自分のために神様から益をいただく」から
「世界全体の困窮のための十字架の神様の下に集まり共に生きる」へと変わってはじめて、
一気に、
他者との交わり、教会への責任的参加、十一献金、連盟諸教会への祈り、連盟への協力伝道献金と奉仕
などのすべてが起こされるのではないでしょうか。

京都教会の私たちも、
「わたしのため」から「十字架に集まる困窮のため」の主を
共に選び取って信じたいと願います。

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プロテスタント教会の生みの親
ルターさんが言いたかったことは
十字架の主に従う
ということだなあと思います

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