きぼう屋

生きているから生きている

よくぞこんなにも

2009年10月19日 | 教会のこと
昨日の主の日も祝されました

ここにきて
ウチの教会は主の日ごとに
目頭があつくなるような物語がたくさん生まれています
だから主の日の夜は感動してたくさん祈ってしまいます

よくぞこんなにも
みんながみんなのことを覚えて祈り
具体的に声をかけて時間をつくって行動して
寄り添って共に笑って共に泣いて
キリストの前に立つことがゆるされて・・・

神さま
教会家族をつくってくれて
チーム・キリストを起こしてくれて
ありがとう


これからは
とくに無理しなくても
単純にしかし丁寧に教会を生きるなら
おのずと教会家族が増えていくだろうと思います

そしてどんどん交わりの質が深まると思います

今の世界の中でみんなが無意識のうちに求めているものが
ウチの教会の無意識の中にあふれるようになったと思います


妻とは赴任時にこんな話をしていました

10年で教会の交わりの質が変化しなかったら
僕たちにはできないということだから
僕たちは京都教会を辞めよう

でも
5年を過ぎたころ
10年を待つまでもなく辞めよう

ほぼ結論を導き出してもいました

でも
なぜか
不思議とそういうときに
特定の個人との出会いが与えられました

ホームレスの方や
主に従いたいと決断された方や・・・

そのときに僕らが離れたらその人のその先の人生が大変になってしまう
ということのみで
京都に残る決断を繰り返しました

残念ながら教会のことで残ったわけではありませんでした

教会だけならば
その頃いただいたいくつかの招聘先のほうが
僕の知識と経験を生かせたし
それぞれの教会に一緒に宣教を担いたいというパートナーとなるだろう魅力的な人もいたので
(牧師がどこの教会に行くかというのは
 一緒に教会を担うパートナーがいるかどうかを基準にすべきと今は思います
 悩んでいる方そういう視点をぜひ)
あっさりと移動していたと思いますが

僕はどうも
出会うことのできた方というか
不思議と出会ってしまった方との
関係の質が深まる前に
すぐに会うことのできない距離に移動するという
ある意味冷たい選択を
することのできない人間のようです

しかしそれが幸いしました

そういう出会いと僕の性質の結果
いやいや
これこそキリストの出来事なのだろうと信じるしかないのですが
そのおかげで
京都教会に居続けることができて

毎週ウチの教会に起こされる奇跡に立ち会うことができて最高に幸せです

同時に
京都を離れようと考えていた僕自身の未熟さを再発見して
悩み祈るばかりです


またこの奇跡の出来事は
実は心が軽くなるとかすっきりするなんてことではありません
むしろ逆で
さまざまなことを身に引き受けることになるけれども
つまり疲労や困窮がより多くなるけれども

しかし
はっきりと
最高に幸せ!と断言できます


そして今は
京都教会の交わりゆえに
ここを離れる気はまったくありません

それを確信したのは
すでに天に召されたYさんの祈りが
教会で具体的に起こされたときです

Yさんは私の赴任当時にはすでに真剣に祈り
また私にも直接仰ってくださいました

若い人や子どもがあふれる教会になりますように!
全年齢層の教会学校が教会活動の中心になりますように!
若い手話通訳者が起こされますように!

11年前の赴任時は
このみっつとも客観的にかないっこない夢でした

親についてくる子どもはいましたが
子どものためのプログラムはありませんでした
(個人的にしているプログラムは月に一度ありました)

教会学校は有志で行われていましたが
役員会は自分たちには関係ないと明言しました

以上のふたつは僕がたたかえばなんとかなる可能性もあるけれども
手話通訳者だけはどうしていいかもわかりませんでした


しかし今

若者と子どもがあふれているではありませんか
礼拝の中に組み込まれた子どもメッセージは
年々質が高まっているではありませんか

教会学校は終了時間をいつもオーバーするほどにもりあがっているではありませんか
そこでは礼拝説教以上に聖書が聞き取られるケースが出てきているではありませんか

なんと
20代と30代の手話通訳者が起こされているではありませんか
毎週礼拝前の手話の学びのときが生き生きとしているではありませんか

いまYさんが生きておられたら・・・

しかしキリストと共に死者としていまの状況を喜んでくれているに違いない・・・


さらに今
営繕関係も
レクレーション関係も
予想を超えて整っています


というわけなので
くりかえすのだけれども
こういう教会が丁寧に生きられれば
あらたに教会家族に加わる方はおのずと増えるわけです

迎え入れる精神というか
出会いを生きる姿勢というか
つまり信仰とか愛が
なかなか熟されてきたということです

そういえば
11年前は受付もなければ新来者の紹介も新来者への挨拶もなかったわけですから・・・


この3年ほどでなにゆえに急にいろいろと整ってきたかというならば
それは
これらの基礎である
「交わり力」(2003年ごろから用い始めたことば)
「チーム・キリスト」(2008年から用い始めたことば)
にこだわり
それが熟してきたからに違いないと思います



こんな感じで

次は
さらに礼拝の中身を深めたいと思います

賛美と証を担うことのできる礼拝をみんなで考えていきたいです

とりわけ教会音楽のチームが熟されることを期待し祈ります


さらに
総務のチームに次世代が加わることを期待し祈ります
(ウチの教会の総務チームは
 有給スタッフのいないチームとしては
 日本一ではないかと結構本気で思っています)

Yさんのように祈ることできるようがんばってみます



本当は実は昨日の目頭が熱くなる物語を書こうと思ってPCに向かったのですが
なぜかそこに行きつく前にこんなに長くなってしまったので
(だいたいいつも書き始めると
事前に考えていたことと違うことを書いてしまいます)

その物語はまた後日

ではでは