ウチの若菜さんは
教会活動の背景といいますか
裏方といいますか
土台といいますか
つまり
表に現われないし
評価もなかなかもらえないような
下働きならぬ下奉仕
の場面をデジカメで残すことをしてくれています
命をかけていると言ってもいいくらいです
だって
こういう見えないところでの奉仕が
教会を支えているというどころか
教会の本質であるし
キリストにとっては
表の中の表なわけです
だから
歴史が語られていくときには
こういう場面こそが語られねばならないわけです
しかし
そんな感じで写真を撮られたとある青年がこのように応えてくれたそうです
「天に宝を積ませないわけですね」
なるほど
とても面白い
キリストにとって表の活動は
人間社会の中では見えてこないままも全く問題なく
もしかしたら
むしろ見えてこないほうがいいのかもしれなくて
見えてきたら
今度はそれが
人間社会の中で表と認識されて
それゆえに
つまりキリストのためではなく
人間社会で評価されたいがために
見えてこなかった奉仕をし始める
なんてことが起こるのだろうなあ
と学ばされました
今
ウチの教会がすごいのは
見えない奉仕をすすんでする人があふれていること!
これは奇跡
良く見える奉仕はするけれども
見えない奉仕はしないどころか
見えない奉仕の存在を知らない
という教会だったわけだから・・・
だからわたしは
イイワケとアリバイから解放されよう
という半ば標語にもしてきたメッセージを
ずっと語り続けてきたわけですが
気づけば
最近は語っておりません
でも
現在の人においては
イイワケとアリバイからの解放が見られてきておりますけれども
残念ながら
形骸化時代のイイワケとアリバイがかちこちに残っているのも事実です
たとえば
コンセプトのない新教会堂
献金を議論することないままにはじまった駐車場収入や会場収入
そして
体に染み付いているものとしての無意識領域のイイワケとアリバイ
意識に上らないものとしての
祈りと聖書と奉仕と交わりと献金の日常生活でのプライオリティの低さ
はまだまだこれからの課題でもあります
しかもおそらく最も大きな課題です
だからウチの教会の仲間は常にめいめいチェックしていきたいと願います
この無意識のイイワケとアリバイは
キリストという他者と共に
他者のために生きる
つまり
他者と共に徹底的に準備を整えて礼拝する
という具体的な時間と場所によって
消えます
そういう礼拝が
純粋でない教会収入を不必要とし
みんなが喜ぶ教会堂改築を生み
みんながみんなを覚え祈るという交わりを生みます
この世界はイイワケとアリバイで儲かりますが
天に詰まれる宝はその逆です
で
「天に宝を積ませないというわけですね」
と応答がとある青年から生み出されていることに
アメージンググレイス
と賛美するしかないのでした
で
若菜さんには
そういう写真をこれからもどんどん撮っていただいて
もっとたくさんの人が
「天に宝を積ませてくれえ」
って叫ぶようにしてほしいものです
感謝感謝
教会活動の背景といいますか
裏方といいますか
土台といいますか
つまり
表に現われないし
評価もなかなかもらえないような
下働きならぬ下奉仕
の場面をデジカメで残すことをしてくれています
命をかけていると言ってもいいくらいです
だって
こういう見えないところでの奉仕が
教会を支えているというどころか
教会の本質であるし
キリストにとっては
表の中の表なわけです
だから
歴史が語られていくときには
こういう場面こそが語られねばならないわけです
しかし
そんな感じで写真を撮られたとある青年がこのように応えてくれたそうです
「天に宝を積ませないわけですね」
なるほど
とても面白い
キリストにとって表の活動は
人間社会の中では見えてこないままも全く問題なく
もしかしたら
むしろ見えてこないほうがいいのかもしれなくて
見えてきたら
今度はそれが
人間社会の中で表と認識されて
それゆえに
つまりキリストのためではなく
人間社会で評価されたいがために
見えてこなかった奉仕をし始める
なんてことが起こるのだろうなあ
と学ばされました
今
ウチの教会がすごいのは
見えない奉仕をすすんでする人があふれていること!
これは奇跡
良く見える奉仕はするけれども
見えない奉仕はしないどころか
見えない奉仕の存在を知らない
という教会だったわけだから・・・
だからわたしは
イイワケとアリバイから解放されよう
という半ば標語にもしてきたメッセージを
ずっと語り続けてきたわけですが
気づけば
最近は語っておりません
でも
現在の人においては
イイワケとアリバイからの解放が見られてきておりますけれども
残念ながら
形骸化時代のイイワケとアリバイがかちこちに残っているのも事実です
たとえば
コンセプトのない新教会堂
献金を議論することないままにはじまった駐車場収入や会場収入
そして
体に染み付いているものとしての無意識領域のイイワケとアリバイ
意識に上らないものとしての
祈りと聖書と奉仕と交わりと献金の日常生活でのプライオリティの低さ
はまだまだこれからの課題でもあります
しかもおそらく最も大きな課題です
だからウチの教会の仲間は常にめいめいチェックしていきたいと願います
この無意識のイイワケとアリバイは
キリストという他者と共に
他者のために生きる
つまり
他者と共に徹底的に準備を整えて礼拝する
という具体的な時間と場所によって
消えます
そういう礼拝が
純粋でない教会収入を不必要とし
みんなが喜ぶ教会堂改築を生み
みんながみんなを覚え祈るという交わりを生みます
この世界はイイワケとアリバイで儲かりますが
天に詰まれる宝はその逆です
で
「天に宝を積ませないというわけですね」
と応答がとある青年から生み出されていることに
アメージンググレイス
と賛美するしかないのでした
で
若菜さんには
そういう写真をこれからもどんどん撮っていただいて
もっとたくさんの人が
「天に宝を積ませてくれえ」
って叫ぶようにしてほしいものです
感謝感謝