きぼう屋

生きているから生きている

大人はずるい

2009年10月06日 | 「生きる」こと
パパずるい


息子たちからよく言われます
みんなしゃべれるようになったら
けっこうすぐにこれを言います

そこで

ずるくない!

なんていうウソで応えても仕方がないので

そうなんよ!僕はずるいんよ!ごめんな!ゆるしてな!

と言ってきました

しかし
いつからかよく覚えていないのですが
(5年前くらいかなあ)
ふと気づきまして
言い方をかえました

そうなんよ!大人ってのはずるいんよ!ごめんな!申し訳ないけどそのことは知ってくれ!



大人
という一般名詞になるという
これまたずるいことをしているわけでもありますが

でも

大人はずるい!

のです


わたしは
子ども時代に大人がずるいことを知ることは悪くないと思っています
むしろ大事だと思っています

なぜなら
大人のずるさを最もよく感知できるのは子どもだからです


そこで大人が
ずるくない!
というウソを言ったら
子どもは本当にそのような原理を受け入れて
そこからいろいろと考えて

最終的には

ずるいことがずるくないことになる!

というウルトラCを導き出すと思います

つまりそういうふうにして
ずるさが純粋に麻痺するだろうと思います

でも

大人はずるい
という前提を知らされるならば

大人になるにつれ
ずるくなっていく自分を発見して
それとたたかうことになるだろうと思います

でも嫌々
ずるくなる道を選ばざるを得ないという
苦しみを味わえると思います



というのは

純粋に
まったく悪気なく
ずるいことをしている
大人なりたての人たちに
度々出会います

ずるいことをしているという意識なく
むしろ純粋な良心でもって
平然とずるいことをしていたりします

そして
そういう人たちの親などまわりの大人も

同じように
ずるいことをしているのに
ずるいことをしていないという風な生き方をしています



こういうケースを結構真剣に見つめて考えてきた中で

ひとつ確かなこととして言いたいのは



について無知な場合にこうなるなあ

ということです



大人はずるい

ということを十字架として背負うときに

大人は
本当の意味で
大人になれるのだと

思っています


わが子たちへ

ずるくて本当にすみません・・・