きぼう屋

生きているから生きている

ストップイラク派兵訴訟判決

2007年03月24日 | 平和のこと
敗訴でありました。
イラク派兵訴訟

派兵差し止めは却下
損害賠償請求は棄却

とまあ
こんな時代なのでこうなるのはわかっていたけれど

判決文の短さに唖然としました。
読んでみてさらに愕然としました。

そして
くやしいとか
怒るとか
そういう風に身体が反応するのではなくて

悲しく
寂しく
切ない気持ちになり
涙がたまってきました。

平和を求める良心とその自由という事柄でもって
丁寧に裁判をすすめていったけれども

その事柄との対話が全くない判決文でした。

そう、対話がないわけです。

わたしもそのひとりでしたが
多くの人が法廷で意見陳述しました。

生々しい戦争体験がそこでは語られていきました。
ひとりひとりが実体験から
平和を熟成させてきている
その熟成の物語が熱く語られていきました。

けれども

それらをすべて無視して
まったくキャッチボールすることなく
時代時代に生まれる大きな力による原理が
判決文の書き方というものもつくっていく
そういう判決文で
ばっさり切り捨てたということが起こりました。

あの話を聞いてもらえない悲しさ
あの勝手にあちらの考えを押し付けられる中で
こちらが消されていく寂しさ

なるほど

こうやって生命が人格が消されていくというのが
まさに平和でないということであり

そういう平和でない循環の中で平和を求める良心というのは
こうも見事に無視されていくという・・・

切ない

思いがあふれます。

しかし振り返ると
4人の息子たちの親をさせていただく中で
彼らが懸命に訴えていることを
こっちの考えでもってばっさり切ってしまうこともしばしばあり・・・

なんか
人間の弱さは

対話する力がないこと
聞く力がないこと
そんなことに時間と力をかけるなら
自分の安全と安定と気持ちよさを追求したいと思うこと
たとえ8000キロ先のイラクで誰かが殺されようと
いや
きっと身近なところで誰かが殺されても
それもまた
悲しむ者たちと対話するんじゃあなくて
すでに持っている原理でさっさと完結しといて
あとはできるだけ自分の気持ちよさのためにエネルギーを使うという

こういう弱さだと思いました。

そしてこれが平和を崩すのだと思いました。

と同時に

だったら
平和はつくることができると思いました。
聞いて
対話していくことにいのちをかければいいと思いました。

平和は
ひとりひとりの物語の証言の積み重ねからしかつくられない!
平和は
原理原則化されえない!


あと
若い弁護士も言っていましたが
私も判決文を読んでまずそう思いました。

それは、良心の自由を民主主義でもって否定したということです。

自由が民主主義で否定された!

民主主義もまた暴力!というベンヤミンの言葉が思い出され・・・

民主主義から平和は起こりえない!平和から本当の民主主義は起こりうる!という姜尚中の言葉が思い出され・・・
(これは金大中の太陽政策を評価する場面で語られていたと思う)

いやいや
控訴して
まだまだ
がんばりますか。

平和をつくるのだぁ!!