きぼう屋

生きているから生きている

サミットということらしく

2008年05月09日 | 平和のこと
昨日

警察のけっこうえらい方が
わざわざ教会まで来られて

サミットの警備協力を
教会にもお願いするという趣旨のことを
話していかれました

怪しい人がいたらすぐに連絡をしてくれとのこと
また
前回のサミット(どこの国だったかなあ)では
会場近隣の公共施設が壊されたりしたから
十分に警戒を
というような恐怖を与えるかたちで理解を求めるという

昨今の最も多い理解獲得方法であり
しかし子どもの教育においてはすべきでないと
多くの学者のいう方法が

あまりにあたりまえに
無意識のうちに
使用されていました

怪しい人の基準って何なのでしょう?

わたしがはっきりとわかることは
世の中が何を選ぶかで
自分以外のみんなが怪しくなるか
誰もまったく怪しくないとなるか
しかない!ということです


さて
サミットのときは
ものすごい数の警察官が
全国から集まるとのことです

2年前にブッシュさんが京都御所に来たときと
同じ規模かそれ以上とのことです

御所の近所のここらへんは
あのとき
住民よりも警察官の方が多いのでは?
というくらいの人数でした

あのとき
わたしは自転車で家に帰るだけなのに
道の角々で
4回も警察官に止められて
事情聴取されました

そんな世界を
もう一度経験しないとならないようです

ここでわたしがはっきりとわかるのは

警察が守ってくれるのは
市民ではなく
政治・経済で力のある人だ!
ということです

軍隊はもちろん警察以上にそうです


こういう世界の循環
主イエスの語るのとまったく逆になっている循環
というのは

内部と外部をつくり
普通の人と怪しい人をつくり
護ることと攻撃することに躍起になる
という循環は

まさに人間ゆえのことなのでしょう
信仰的にいうなら
罪人ゆえのことなのでしょう


だから
せめてわたしは
主イエスの循環を
主イエスと共に
歩み続けると
硬く覚悟を持って決断するわけです

これぞ
保守本流の福音派!!

自称しつつ生きております

ではでは。