Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

春の骨董市

2013-03-16 18:10:13 | その他
一年のうちでも滅多にないような好天に恵まれた春分前の土曜日だ。夜勤明けを急いで自宅に戻る。クルマから昨日、厚木・愛甲の山里で買った「ひめうつぎ」「うんなんおうばい」「りゅうきんれいか」といった町のフラワーショップではあまり売っていないマイナーな山野草の鉢植えポットを下ろして、陽が降りそそぐ専用庭の一角へと移動する。水をやってからバイクに乗り換えてさがみ野駅へ向かう。さがみ野から大和までは電車で二駅、五分とかからない所要時間である。ほんとはバイクで大和駅近くへ直で乗りつけるのが一番だが、大和は駅前ファッシズム的規制が特に強い場所だ。駐輪場探しで苦労したり路上放置でトラブルのも厄介だから荷物運びでは苦労もある電車で我慢することにした。半年以上ご無沙汰していた骨董市の会場はすでに盛り上がっている。

風も吹かずにうららかな陽射しが注いでいるお天気につられて来場者の顔つきもなんとなく和らいで見える。この前まではオール500円のガラクタブースに人が群れていたが、そこはオール1000円に宗旨替えしている。安倍経済政策を先取りしたみたいで苦笑する。その代わりといってはなんだが、付近にごちゃごちゃとした山積みブースができている。こちらはオール100円と過激なせいか、人だかりもすごい。両方のブースで買い物してみる。1000円ブースに在庫のあったデザインに魅了された益子の小さな湯呑茶碗5個セットは、あきらかに失敗した。5個中、2個に薄い罅が入っていることに後で気がつく。これはチェック不足のこちらが悪い。100円ブースの方は立派に成功だ。

とゆうことはこの値段領域はもう適当な世界で100円も1000円も優劣はないということになる。縦縞の呉須青模様がゆらゆらしているデフォルメした菓子鉢のようなものだろう。中側は緑釉がビードロ状にきれいに流し込んである。縁をくねらせているモダン風意匠と素地の焼き色から推測して瀬戸の現代作家ものと思われる。これが100円!もう一つの海鼠釉がパーフェクトなぐいのみ、こちらも100円、どちらも出るところへ出れば数千円の値段がついてもおかしくない佇まいを持っている。菓子鉢の方は山野草の小品を入れ替えながら楽しめる器になりそうで、「りゅうきんれいか」の移植にも向いているようだ。

しめて1200円、予算5000円という自己規制枠まで3800円の余裕が残っている。メダカの住い用にと思って深めな火鉢や甕を物色するが、その予算ではどうも追いつかない。諦め気分のうちにブースが新規に増えた奥のエリアで古い木桶を発見する。親父さんに値段を尋ねるも、7000円では開きすぎて勝負になりそうもない。もう一つアマチュア風売人のブースがあって、こちらでも木桶を発見する。取っ手が頑丈な無垢材を使っているが、あきらかに時代はそちらよりも新しい。ペイントも重ね塗りの難点はあるが形は先に見た7000円よりも優っているぐらいである。これにじかで水を入れるのは羽目板に隙間があるので洩れそうである。内側に水桶を重ねて大きな枝ものをざっくりと挿したりしたら面白そうである。または観葉植物のワイヤープラントみたいなものを繁茂させた容器に載せるのも悪くはなさそうである。ちなみに値段を尋ねたら答えは1800円と拍子抜けする。

これを買った直後に旧友の青柳君から電話が入る。藤沢駅の有隣堂書店の6階にて古書展をしているそうだ。そこへの誘い電話だ。買った瀬戸物と木桶で5キロはありそうだ。ガサも大きい。大和駅のコインロッカーにはサイズが無理である。仕方ないものだから、手運びのまま藤沢へ向かう。古書展はさすがに粒よりな良品が揃っている。予算の残りを使って尾崎喜八「自註富士見高原詩集」エリック・ニセンソン「マイルス・デイビス」吉本隆明「老いの超え方」高杉一朗「スターリン体験」等を購入する。青柳君と「灯」にてコーヒーを飲んでしばし雑談。ちょうど二年前はここの帰りに東海道線の車内に閉じ込められたことを、「灯」のママとも震災の余波を受けたその頃の出来事を立ち話する。混みあってきた電車に時代がかった木桶を前にしてシートへ座っているのもかっこ悪いものだが、人物の風体とオブジェがマッチングしているせいか、怪訝そうな視線に会うこともなく小田急、相鉄を乗り継いでさがみ野へ戻ることができた。

春の置き土産

2013-03-14 07:17:54 | 自然
強い南風が吹くたびに春めいた陽気になっている。古びた集合住宅の緑地帯の植え込みでは咲き始めたばかりの雪柳が強風に耐えている。白い花びらを密生させた小枝を気忙しそうに上下に震わせている。紫陽花も枯れ枝の中から新芽を膨らませてきた。近所の住宅の庭先では辛夷の梢が満開になっている。

夜勤を終えて強風下を部屋に戻るが、寝不足が祟ってこのところ快調に飛ばしている読書も捗らない。数日前の伊勢佐木町半日散歩で買ってきた古本(ウェルナー・ゾンバルト「恋愛とぜいたくと資本主義」(至誠堂昭和44年発行)D・イーカプラン+アレック・デユプロ共著「ヤクザ」(第三書館1991年発行)別冊レコード藝術(「音楽を読む」ONTOMO MOOK1998発行)等も積み放しの状態である。

この中でやっと読了できたのは100円で買ったレコ芸のムック本だけだ。刺激を受けたのは昭和27年3月創刊号の転載収録ページ、あらえびす、堀内敬三、野村光一、村田武雄による座談会「レコード音楽の在り方について」、濱田滋郎「南米の魂アタウアルパ・ユパンキ」服部幸三「音楽晴耕雨読」などである。これらの記事を寝転びながら読んで感銘を受ける。それにしても、あらえびす氏や服部幸三さんのような大先達の学識を身につけることはどう転んでも無理な話だが、彼らが残した気品や趣味(テイスト)の片鱗くらいは謙虚に身につけたいものだと思う。

コーヒーを沸かして空き地のままの専用庭を眺めてぼけっとしていたら、赤い花塊がにょっきりとガレ地から顔を出している。ヒヤシンスだ。その廻りにももう少し大きな球根の茎も徒長している。どうやら先住者が残した球根花の一群のようだ。この付近を整地して鉢植えの盛期が終わった日本水仙の根っこも植え替えてやりたい。


自然に恵まれた日向時代に横浜から運んで育てた観葉植物類は全滅してしまった。冬期の手入れを手抜きしたせいだ。罪滅ぼしと再生を願って、このところ小さな観葉植物を夜勤の帰りに集めている。アジャンダム、スポットライトの類を古い時代の硝子の鉢や、印判手の磁器、欠けのある信楽の片口鉢を受け皿に使ってみると味わいが増すから楽しい。今年は町田の相原の山沿いにある骨董店の庭で以前に見かけた水瓶の小ぶりなものをなんとか入手したい。これにヒメ睡蓮でも増やして中に黒メダカでも放してやりたい。

それで思い出した。3月16日は大和駅前の骨董市が開かれる。午後になると帰り支度を急ぎ、重い商品の片付けに嫌気がさしている骨董売人もいる筈である。もしお天気が快復するようだったら、古いすり鉢や水甕でも探しに春散歩するのも悪くはないと計画しているところだ。

ベーコンと玉葱のトーストサンド

2013-03-10 10:18:27 | 

ベーシストのビル・クロウの自伝「さようならバードランド(あるジャズ・ミュージシャンの回想)」(村上春樹訳 1996年新潮社刊)を時々、書架から引っ張りだして再読している。ジャズについて熟知している村上春樹のよくスイングする名訳のせいでこの本は何度読んでも飽きることがない。昨夜も夜勤のついでにこの本と山と渓谷社で発行した「原色野鳥図鑑」を携行して出かけた。人っ子一人いなくなる休日でしかも深夜の工場構内というロケーションだ。仕事の隙間ができるとインスタントの焙じ茶やコーヒーを入れて、こうした類の本をめくってたっぷりと過ごせる時間をもてるのも幸せなことだなと思う瞬間である。

いま時分の空は五時半くらいに白み始める。つぐみ、せきれい、椋鳥、めじろといった野鳥の訪問にはことかかないが、今朝はしばらく姿を見せなかったカワラヒワが閑静な構内をめがけてやってきた。二番い(ふたつがい)のカワラヒワだ。この鳥は野鳥界の中では、その華奢な姿から推測していかにも弱者らしい。サツキの繁みに隠れて砂地に潜んでいる極小な虫でもしきりに啄ばんでいる。そこには比較的にものおじしないスズメもやってくるものだから、いつも警戒深くきょときょとと落ち着かない。この小さな鳥の翼に彩色されている黄色の模様はいつ眺めても嬉しい気分になる。ほんの5分程度の滞在だが、これから気候が温かくなってくると毎朝餌漁りにやってきて来るべき繁殖期の準備に勤しむのだろう。

カワラヒワとの再会を心の中で愛でながら、休日で空いている国道246を帰路についていたら空腹を覚えた。ちょうど昨晩、再読していたビル・クロウの回想記中の食べ物部分を思いだす。それは第2章の「大都会」に入っている。演劇の夏季セミナーの帰りに、4歳年上の軍人の兄貴からニューヨークへ寄り道することを薦められた17才少年の初滞在記箇所である。なけなしの懐をはたいてメジャーな劇場のジャズライブを見聞した感激の波動が聞こえてきそうな直後の記述である。「そのあとで僕は幸せな気分で足をふらつかせながら角のネディックの店に行って、ホットドックとパパイアのジュースというエキゾティックな夕食を取った」

これを読んでいたものだから、今朝はむしょうにホットドックを食べたくなった。246のロードサイドにはモスバーガーもある。ところがあちらのホットドックではどうも理詰め過ぎる。昔、馬車道の角にあったハンバーガー屋で出していたような柔らかめなパンと腸詰のロングソーセージのドックが食べたい。ソーセージもパンも家では在庫切れである。座間へ戻って冷蔵庫を開けて見た。冷凍の食パンとベーコンの切り身があった。玉葱もあるからこれを炒めてハインツのケチャップを和えて、トーストしたパンに挟んでみるのも悪くはなさそうである。具がたっぷりと詰まっているトーストサンドがなんとかできた。これにコーヒーという朝食にやっとありつけることになった。

風呂から帰って

2013-03-08 08:47:43 | JAZZ
近所になんとたった100円で入浴できる風呂施設を発見した。むろん温泉施設ではない。米軍基地・座間キャンプの敷地西側を走るのどかなJR相模線沿いにある市が運営している地域施設の中にある。一人暮らしが難儀するポイントはいくつかある。風呂を沸かして入浴の後に清掃することの厄介である。ましてや設備に付いているガスのバランス釜の時代遅れな沸し性能と追い炊き時間のじれったさ、これも面倒臭がりやにはやっかいな項目の一つだ。湿気が増えてくる初夏より先の風呂場管理は嫌なものだと、風呂に入る度に感じていた。それらは伊勢原の大きめな借家をやめてコンパクトなマンションへ移ったので解決するかと思っていた。しかし部屋掃除、ダイニング、トイレの清潔維持等はやっとのことでコンスタントになってきたのに、風呂場と手付かずの専用庭だけがどうもはかどらない。

先日も行きつけの食堂で、そこの主とこれから秦野の日帰り温泉を浴びてから、夜勤へ出かける話をしていた時だ。たまにその食堂で一緒になる看護士の女性が話を小耳に挟んでいて、入浴できる施設が近くにありますよ。と教えてくれた。翌日地図で教わったとおりに行ってみたら、ほんとに100円で入浴できた。市販のマップを調べてみても入浴施設を名乗っていないから分る筈がない場所である。地元限定の情報というものがあるもので、無駄であっても言葉を交わすということの余得を感じた。毎日は時間的に無理だが週に5日かよっても500円だ。自分も爺さんには違いないけど、加齢臭を漂わせる爺さん同士がたった100円の為に、並んで口開けを待っている姿はかっこいいものではなさそうだ。

これから春先には線路沿いの桜並木の景観がとてもよさそうである。看護士さんの小学生の子供さんが桜の本数を数えたら、その数は106本だったそうである。しばらく桜並木でも眺めて時間をかせいで、空いた時間を見計らって入れば浅ましいことにはなりそうもない。風呂問題が解決したら、こんどは庭作りの課題が待っている。風呂の帰りに来年に向けて黄色い水仙を2鉢買ってきた。花が終わったらこの球根を埋めて来年の開花を待ってみようと思っている。

帰ってきてコーヒーを沸かしてから部屋を片付ける。しばらく未開封だった荷物にマリリン・モンローのバンドロケ風景のパネルが出てきた。これをDKの壁に飾って春を呼ぶことにする。いつもながらモンローの横顔のたおやかさに幻惑されてしまう。この前にようやっと434ページを読了したジョン・ハモンドの「ジャズプロデユーサーの半生記」にもモンローがちょっぴり登場してくる。1950年代の半ばのことで、アメリカ社会はそのころでも黒人差別は根深い問題を孕んでいたようだ。アメリカの鉄道王を祖父に持つジョン・ハモンドは優れた黒人音楽家の為にエール大学を中退して1930年代あたりから白人サイドでの元祖追っかけみたいなことを重ねて、健康なアメリカ人が本来持っているリベラリズムを義侠心豊かに発揮しすぎてたくさんの敵も作ったようである。

モンローはそのころマリリン・モンロー・ミラーと名乗っていて、「セールスマンの死」で有名なアーサー・ミラーと生活していた。ジョン・ハモンド夫婦が住むNYのハイソアパートの上階部には彼らが住んでいるという夢みたいな話だ。黒人がアメリカ文化の向上に果たした役割を趣旨としたイベントにジョン・ハモンドがアーサー・ミラーをパネリストとして誘う話合いがもたれた折らしい。苦い現実を知り尽くしているアーサー・ミラーはその要請を断ったらしい。黒人俳優が白人を演じることをアメリカの一般大衆が支持するはずがないというのが根拠で、今では信じられないような話である。それを聞いていたパートナーのマリリンがやはり義侠心を発揮してアーサー・ミラーに噛み付いたという記述がある。「あんたったら何言ってんの。黒人の俳優には可能性がないですって」(森沢麻里訳)とジョン・ハモンドを援護したらしい。

1時間に及ぶ話し合いは実らなかったが、後年ジョン・ハモンドはモンローについて述懐している。「マリリンはすばらしい女性だ。彼女を見るのはそれだけで目の保養になるが、彼女が自分の考えを一生けんめいしゃべっているときは、その美しさがなおきわだって見えた」ジョン・ハモンドの伝記にはやはり横道に逸れたこの種の美味しい話がたっぷりと詰まっている。音楽関連という範疇を超えた20世紀アメリカ社会史としても読める内容だ。マリリンの楽しげなパネルを見ていたら、ジョン・ハモンドの書中に随所に登場してくる彼がこよなく愛好していたテディ・ウイルソンのピアノがふと聞きたくなった。


やはりロートルになってしまったオリバー・ジャクソンのドラム、ミルト・ヒントンがベースで参加しているフランスのブラック&ブルー盤によるCDが、老いてもテディ・ウイルソントリオのジャズスピリッツの健在を示す好アルバムである。ジョン・ハモンド的にも懐かしい曲のオンパレードで音も現代的にしっかり優れている。タイトルは「THREE LITTLE WORDS」である。「時さえ忘れて」「セントルイスブルース」「わが心ここにあり」「あなたの面影」、ジョン・ハモンドもいつか復唱したことがある古い時代が生んだエレガンスな曲ばかり詰まっている。

味のある話

2013-03-01 20:59:37 | その他

3月になった。夜勤明けの寝不足疲れをとるには家の小さな風呂は向かない。そこでちょくちょく2時間入浴へ出かけている鶴巻温泉の駅前にある「弘法の里湯」に向かう。オープンする時間にはまだ一時間半以上の間があるから、昨秋まで住んでいた日向薬師へ先に寄り道することをを思いつく。梅が満開の里景色でも眺めながら、売店の親父さん(苗字を知らないための仮称)に会えることも期待している。広場のランドマークになっている辛夷の大木も花芽が揃ってきたようで春はそこまでやってきている。

ミカンの盛りは過ぎようとしているが、売店ではいつも盛期が大磯・湯河原付近産、晩期は浜名湖奥の三ケ日産のミカンを売っている。これもお目当てだ。山へぶつかった風が吹き下ろしてくる天気になって雲行きは悪くなっている。売店はやはり閉じていたが、後にある広場の駐車場へ廻ってみたら、ちょうど親父さんが日向薬師の境内にある売店から帰ってきた所でばったり出あう。店を開けるとミカンはやっぱり大きくてとても味が濃い三ケ日産があった。これを二袋買ったら、少し見栄えが冴えないもう一袋をおまけによこす。さりげないいつもの気遣いだ。

昨夕に伊勢原市内の「わくわく広場」で「ポンカン」を買ってあったことを忘れていた。ついでに買ってみた浜松産という新玉葱はすごく柔らかい手触りでサラダの春素材として応えてくれそうだ。それにしても急に柑橘お大尽になってしまった。食べきれない分は施設食では潤沢に食べることができないと嘆く母親への差し入れと近辺に住む友人にあげることにする。

この親父さんは推定80歳くらい、小柄ながらしゃっきとしている。昔は企業のボイラー設備士のような仕事をしていて、引退後は半ばボランティアのようにお寺に付属する売店の手伝い仕事を気ままな様子でしている。めったに雑談をすることはないのだが、この親父さんと雑談した時は必ず味のある横道話に逸れて井伏鱒二の小説に登場するような無駄の妙味を感じて楽しみにしている。

この前はカメラの世界で著名な立木義弘と知り合った時の話が面白かった。どこか富士五湖付近の富士山撮影ポイントで知り合ったらしい。一眼のアナログカメラで富士山を撮っていた時に立木氏が覗いてアドバイスしてくれたのが、偶然に知り合ったきっかけとのことだ。露出やスピードなど、それじゃ駄目だよと笑いながら立木さんは模範撮影の手本を示してくれたようである。同じ対象がどのように違う画像になるのか、数値もよく見ておくように云われて、その日に撮影したネガフィルムをプリントしてみたら全然違っていて吃驚したと高笑いした話等も味のある横道話の一つである。その後立木さんとは、氏が教えに来ている写真アートの大学が厚木にあって、この親父さんの七沢付近にある自宅へ泊まって、のんびり世間話をして帰ったこともあるらしい。しかし最近は交流もなくなっているようで心配している。

今日の横道話は悲話めいてしまうが、やっぱり味があった。いつも売店には鳥かごが吊るしてある。そこに雄の囀りがきれいなメジロが一羽、飼われている。このメジロを眺めることも売店に寄る楽しみの一つだった。今日はいないようだね。とこちらが質問する。百舌鳥(モズ)に頭をちぎられてしまった。残念やるかたないという表情の答えが帰ってきた。店の日陰に鳥かごを吊るしたときらしい。百舌鳥が飛んできてカゴにしがみつく。さすがに山里ならではの事件である。パニックになったメジロが暴れて右往左往する。真ん中でじっとしていればよいものを、勢い余ってカゴの柵側へ向かってしまう。そこを待ち構えている百舌鳥に噛みつかれたらしい。冬枯れの山野で見かける百舌鳥はぽっちゃりとした穏健な小鳥の風情だが、やはり猛禽の仲間ということを示す格好の例だと思った。今度、売店に寄ったときは翡翠(かわせみ)がお寺の池でクチボソのような小魚を捕獲する時の始終について、前に小耳に挟んだ話でも、この親父さんから聞き出そうと思いながら売店をあとにした。