Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

春の置き土産

2013-03-14 07:17:54 | 自然
強い南風が吹くたびに春めいた陽気になっている。古びた集合住宅の緑地帯の植え込みでは咲き始めたばかりの雪柳が強風に耐えている。白い花びらを密生させた小枝を気忙しそうに上下に震わせている。紫陽花も枯れ枝の中から新芽を膨らませてきた。近所の住宅の庭先では辛夷の梢が満開になっている。

夜勤を終えて強風下を部屋に戻るが、寝不足が祟ってこのところ快調に飛ばしている読書も捗らない。数日前の伊勢佐木町半日散歩で買ってきた古本(ウェルナー・ゾンバルト「恋愛とぜいたくと資本主義」(至誠堂昭和44年発行)D・イーカプラン+アレック・デユプロ共著「ヤクザ」(第三書館1991年発行)別冊レコード藝術(「音楽を読む」ONTOMO MOOK1998発行)等も積み放しの状態である。

この中でやっと読了できたのは100円で買ったレコ芸のムック本だけだ。刺激を受けたのは昭和27年3月創刊号の転載収録ページ、あらえびす、堀内敬三、野村光一、村田武雄による座談会「レコード音楽の在り方について」、濱田滋郎「南米の魂アタウアルパ・ユパンキ」服部幸三「音楽晴耕雨読」などである。これらの記事を寝転びながら読んで感銘を受ける。それにしても、あらえびす氏や服部幸三さんのような大先達の学識を身につけることはどう転んでも無理な話だが、彼らが残した気品や趣味(テイスト)の片鱗くらいは謙虚に身につけたいものだと思う。

コーヒーを沸かして空き地のままの専用庭を眺めてぼけっとしていたら、赤い花塊がにょっきりとガレ地から顔を出している。ヒヤシンスだ。その廻りにももう少し大きな球根の茎も徒長している。どうやら先住者が残した球根花の一群のようだ。この付近を整地して鉢植えの盛期が終わった日本水仙の根っこも植え替えてやりたい。


自然に恵まれた日向時代に横浜から運んで育てた観葉植物類は全滅してしまった。冬期の手入れを手抜きしたせいだ。罪滅ぼしと再生を願って、このところ小さな観葉植物を夜勤の帰りに集めている。アジャンダム、スポットライトの類を古い時代の硝子の鉢や、印判手の磁器、欠けのある信楽の片口鉢を受け皿に使ってみると味わいが増すから楽しい。今年は町田の相原の山沿いにある骨董店の庭で以前に見かけた水瓶の小ぶりなものをなんとか入手したい。これにヒメ睡蓮でも増やして中に黒メダカでも放してやりたい。

それで思い出した。3月16日は大和駅前の骨董市が開かれる。午後になると帰り支度を急ぎ、重い商品の片付けに嫌気がさしている骨董売人もいる筈である。もしお天気が快復するようだったら、古いすり鉢や水甕でも探しに春散歩するのも悪くはないと計画しているところだ。