Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

墓さがしもあった思い出

2013-03-21 16:15:18 | その他

上大岡、杉田、富岡と横浜の京急沿線南部を歩き回る春のお彼岸になった。ボードレールの言葉にフラネールというのがある。ぶらぶらする都市散歩者を指す美しい語感のする言葉だ。夕方から金沢の並木団地で行われるトランペッター、金井豊さんのミニコンサートへ出かけるついでに半分、故郷みたいな京急線の駅周辺を墓参りのついでにふらついてみた。

大岡川の橋を渡って少し丘のほうへ歩くと我が家が檀家の末席に連ねている真言宗の菩提寺がある。この菩提寺も今でこそ綺麗に整備されたお寺になっているが、一昔前には貧乏臭い山寺の面影を漂わせていたものだ。父親が戦後すぐに先妻さんにあたる人を28歳で亡くした。戦争中からの結核をこじらせたらしい。種子さんという余り明るい響のしない名前が、わが家の墓銘碑には刻まれている。その人を弔ったときに、この寺から墓地を買った。これはよかったのだが、以後20年以上に亘って貧窮生活に追われて、親父はその墓地を放置してしまうという失態をしでかした。当時の住職もお寺だけでは食えなくてどこか区役所に勤めていたという非ブルジョア寺である。

あまりにも放置期間が長いせいか、お寺さんとしては新規墓地の整理をして分譲を重ねている過程で、我が家の区分が分らなくなってしまった。息子の自分が代理になって墓地の確認に挨拶に行ってみたらそのことが判明した。非はこちらにあるのだが、無情にも始末したという引け目もあるのだろう。双方があからさまなことも言えなくてどうにも気まづい交渉になったものである。お寺さんとしては、こちらの無責任を責めるような言葉もなく代替の区分を配慮しますという答えが返ってきた。改めて安めな権利代金を支払いついでに墓石を新調してから、早いもので20数年が経ってしまった。

自分などの死後については唯物論哲学を少しは齧ったのだから、どうでもいいことだと思っている。近未来にやってくるおふくろの安住できる墓地があるだけでもよいことだと思って墓石の廻りを清掃して花を供えてやったら、どこか救われた気分になった。大岡川のほとりでは、早い河津桜などが散り始めているが、下流のそめいよしのは、今度の週末がピークに咲き揃いそうな気配である。上大岡の町は昔の新婚時代と基本は変わっていない面白みを感じないところだ。よく上大岡の銭湯に行って、上がった合図をマイルス・デイビスが吹く「もしも私が鐘ならば」の一節を亡くなった女湯にいる家内に口笛で知らせたものだ。鎌倉街道を少し北に入った洋食の「津久井」のある横にその銭湯はあったのだが、今はその面影も見当らない。

ついでに京急線の各駅停車に乗って、夕刻までの時間を杉田駅の「YAMA」で美味コーヒーを飲んだり、富岡駅前の「ギターラ」にてアルテックA-7のスピーカーでクリス・コナーやメアリ・アン・マッコールのよい歌を聴いていたら、フラネール気分が昂揚し始めた。金沢スポーツセンターで聴く金井さんの生ラッパは観客のチンプンカンプンは別として、カラオケ装置のリズムだけによるソロプレイだけであってもいつも感激を与えてくれる。「エターナル」「眠る珊瑚礁」ちょうどよい硬質音がびしっと伸びて、大好きなラッパ吹き、ドン・ファーガキストのレコードを聴く感激と一緒の感激にいつも襲われてしまうのだ。


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