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Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

煎茶の味わい

2013-04-05 10:26:06 | 
お茶と米は切れると困る必需品だ。独居生活を心配してくれる古い友人や妹などが、送ってきてくれたお茶や米が珍しく半年近くもって助かっている。米については、産地ブランドへの選り好みはしなくなった。ほんとは新潟・十日町在に属する川西町産の「こしひかり」が全国一番の美味米だと思っている。ここの豪雪地域に永住してしまった鞄作家の友人、富田実さんに頼んで送ってもらう縁も数回あったが、なにせ卸し値段であっても平凡な産地米の二倍はする価格に負けていつのまにか、頼まなくなってしまった。いまは伊勢原産の「彩流」、「秋田こまち」などを気ままに買ってみたり、もらったりしてうまくしのいでいる。

お茶については抹茶は嗜むことがない。煎茶一筋をとおしてきた。この年になるまで諸国産の煎茶をいろいろ飲んだ結果、どうやら好みは収斂した気がする。嫌いな味の産地は母親の故郷でもある静岡全域のお茶と一保堂などのブランドでも名高い京都宇治茶だ。奈良産のお茶も京都に似ていた記憶がある。

反対に好きな産地は鹿児島の知覧茶、福岡八女茶、神奈川足柄茶である。静岡や京都だってきっと美味いものがあるはずだが、ミカンにおける三ケ日・青島みたいな傑出した個性のお茶には今まで出会ったことがない。宇治の煎茶はなんだか味覚が難しい。一保堂の「玉露」などはそうした難解味覚の頂点にあるごとき味がする。無意識を疎外させすぎている京都人の複雑な意識を反映しているのか?味に独特なくすみと韜晦を感じてしまう。ペットボトルの鵺(ぬえ)っぽい京ブランドを謳ったサントリーその他のお茶もやはり難解な味がするのかと試してみたことがある。味は薄いがやはりなんとも難解な宇治系の同じ味が伝わってくる。

その点、好きな産地のお茶はどこか味が共通に明快である。上手く淹れたらの話だが、香り、甘み、苦み、お茶の三要素が健康にバランスしている。ストック品のお茶で美味そうなものの開封をわざと遅らせていた。ちょうど正月の近辺に日置さんが置き土産してくれた「八女茶」もその一つである。これを開けてみた。「ちゃちゃ」というニックネームが付いている深蒸し煎茶だ。強い蒸気を当てて蒸すものだから、葉っぱは粉茶みたいに細かい。これを急須に入れて70℃程度に下げた弱い熱湯で煎じる。普通よりも長めに待って茶碗へ注ぐ。苦味作用が乗ってくるけど甘みとの拮抗がとてもいい塩梅だ。美味い!八女は福岡の南にある。昔、自営時代に雇っていたY女史の母親が八女の出身ということで、時々八女茶を持ってきてくれた。それ以来の八女茶ファンになっている。お茶碗もできるだけ八女の近くがいい。

福岡市内の骨董屋で昔、入手した唐津の茶碗で一杯目を楽しんでみる。麦穂をあしらった鉄絵の佇まいが実に静寂である。今ものの唐津にはない孤独で得難いマチエールだ。美味い煎茶はよい器でこそ価値が倍増するという感慨が強まる。二杯目は大ぶりな茶碗で飲んでみる。これは福岡・柳川を故郷に持つ三浦・夢窯の黒田千里さんのお茶碗だ。なにか美味いお茶に添える菓子と思うが、近江八幡にある「たねや」みたいな品格の茶菓子がない。しかたなく昨日、座間駅付近のパン店にて購入のリンクドーナツをお茶の友にする竜頭蛇尾な喫茶時間となってしまった。

ベーコンと玉葱のトーストサンド

2013-03-10 10:18:27 | 

ベーシストのビル・クロウの自伝「さようならバードランド(あるジャズ・ミュージシャンの回想)」(村上春樹訳 1996年新潮社刊)を時々、書架から引っ張りだして再読している。ジャズについて熟知している村上春樹のよくスイングする名訳のせいでこの本は何度読んでも飽きることがない。昨夜も夜勤のついでにこの本と山と渓谷社で発行した「原色野鳥図鑑」を携行して出かけた。人っ子一人いなくなる休日でしかも深夜の工場構内というロケーションだ。仕事の隙間ができるとインスタントの焙じ茶やコーヒーを入れて、こうした類の本をめくってたっぷりと過ごせる時間をもてるのも幸せなことだなと思う瞬間である。

いま時分の空は五時半くらいに白み始める。つぐみ、せきれい、椋鳥、めじろといった野鳥の訪問にはことかかないが、今朝はしばらく姿を見せなかったカワラヒワが閑静な構内をめがけてやってきた。二番い(ふたつがい)のカワラヒワだ。この鳥は野鳥界の中では、その華奢な姿から推測していかにも弱者らしい。サツキの繁みに隠れて砂地に潜んでいる極小な虫でもしきりに啄ばんでいる。そこには比較的にものおじしないスズメもやってくるものだから、いつも警戒深くきょときょとと落ち着かない。この小さな鳥の翼に彩色されている黄色の模様はいつ眺めても嬉しい気分になる。ほんの5分程度の滞在だが、これから気候が温かくなってくると毎朝餌漁りにやってきて来るべき繁殖期の準備に勤しむのだろう。

カワラヒワとの再会を心の中で愛でながら、休日で空いている国道246を帰路についていたら空腹を覚えた。ちょうど昨晩、再読していたビル・クロウの回想記中の食べ物部分を思いだす。それは第2章の「大都会」に入っている。演劇の夏季セミナーの帰りに、4歳年上の軍人の兄貴からニューヨークへ寄り道することを薦められた17才少年の初滞在記箇所である。なけなしの懐をはたいてメジャーな劇場のジャズライブを見聞した感激の波動が聞こえてきそうな直後の記述である。「そのあとで僕は幸せな気分で足をふらつかせながら角のネディックの店に行って、ホットドックとパパイアのジュースというエキゾティックな夕食を取った」

これを読んでいたものだから、今朝はむしょうにホットドックを食べたくなった。246のロードサイドにはモスバーガーもある。ところがあちらのホットドックではどうも理詰め過ぎる。昔、馬車道の角にあったハンバーガー屋で出していたような柔らかめなパンと腸詰のロングソーセージのドックが食べたい。ソーセージもパンも家では在庫切れである。座間へ戻って冷蔵庫を開けて見た。冷凍の食パンとベーコンの切り身があった。玉葱もあるからこれを炒めてハインツのケチャップを和えて、トーストしたパンに挟んでみるのも悪くはなさそうである。具がたっぷりと詰まっているトーストサンドがなんとかできた。これにコーヒーという朝食にやっとありつけることになった。

オムライスや親子丼など座間のB級グルメ

2013-02-27 08:18:09 | 

ものは試しと思って初めて自宅から相武台前駅までを歩いてみた。途中の脱線があるけどおおよそ30分かかる。同じ小田急が走っている座間駅までは20分くらいの所要時間だ。しかしこちらの座間駅コースは坂のアップダウンが多すぎる。「天台」などと命名された旧地名の謂れが納得できるようないつも喘いでしまう道だ。舗道も狭いせいか通過車両からの圧迫感もつよい。昨日歩いたコースは平坦な新開地風道路で広々として眺望もよい。

途中にはいくつかグリーンスポットへの入り口がある。先日のブログに登場した「県立座間谷戸山公園」のメインの入り口は、やはりこちらの通り沿いにあるようだ。しばらくいじっていないコルネットの1番ピストンのバネを修理したら、どこか大きな公園の人気がない適地を探してみたいものだ。もう少し春めいた気候になってきたら実行することを思いつく。伊勢秀一郎さん直伝のロウソクの灯を消すみたいな微かなロングトーンの練習ならば、公園に憩う人へのはた迷惑にもならないだろう。

相武台前駅近くにある黄色の踏み切り遮断機が遠くの視界に入ってくるあたりで、素人っぽい店舗を見つける。福祉施設が運営する付属店舗のようだ。「きづきcafe」という店名でお昼のランチメニューの誘導表示板にさそわれる。ここで防寒厚着を一旦緩めて一休みする。500円の均一献立では色彩に目を奪われた「オムライス」がとても美味そう。「長寿卵」というプレミアム玉子を使っている。中身のケチャップご飯を覆った玉子はふわふわしてとろりとしている。甘いお菓子めいた香りも漂ってきて実に美味い。ほんとうは固めに仕上げた玉子焼きに、やはり固めなご飯を長円形に型抜きした昭和の昔風なオムライスが食べたいのだが、これはこれで現代風に満足できるものだ。それにしてもトマトケチャップの大胆な注ぎ模様には驚いた。アンフォルメルの絵画みたいである。ボーズ301スピーカーからは有線のジャズが流れている。「いつか王子様が」とか「星への願い」みたいな曲を聞きながら食後のコーヒーを啜る。近くで練習してからここで一服休憩するのも悪くない場所だと思いながら店をあとにする。

玉子で思い出したが、「池久ベーカリー」のある座間・立野台近くには「善知鳥(うとう)」という小さな居酒屋がある。ここもランチをしているが、ここの親子丼(煮干ミニラーメン付600円)をたまに食べに出かける。ここには風呂敷に印刷されたという棟方志功の女人像の優れものが飾ってあって、その描かれた女人の豊頬とモウブ色の背景配色に目を奪われながら食する親子丼の美味も忘れがたい。五年住んだ伊勢原では野菜等の原材料には恵まれたが、蕎麦店以外の街中の普通食堂で舌鼓を打つような小さな幸せには恵まれなかった気がする。

ポトフ日和

2013-02-15 20:24:26 | 
連休の最終日は神保町で古本でも漁ってついでに音楽ソフトでも物色しようと思っていた。起き掛けにパソコンで天気予報を開いたら東京・神奈川地区は雨または雪の予報とある。午後からは特に悪くなるとのことだから散歩を取りやめることにした。傘をさしながらの古本の物色はとても気色が悪いものだ。ついでに余り品で構成してみたラジオ風装置のモノラルシステムにAM/FMチューナーの中古品でも追加してみたくなって秋葉原へも足を伸ばそうと思っていたのでなおさらである。諦めて日替わりにTさんからのバイタボックスシステムをエイジング稼動させる一日をめざすことにする。

独居用の小さな冷蔵庫を調べたら、外へ食べに出なくても済むギリギリ程度の食材があった。パンも冷凍してあるから、珍しくポトフを作ることにした。ポトフなら作りおいても便利だし体も温めてくれそうである。相模ハムの荒挽きポークウインナがちょうど在庫していたので、メインの肉代わりとする。野菜はジャガイモ、人参、玉葱、椎茸を具材にする。封をきっていないグレープシード・オイルの大瓶もあったが、保守的にいつも使っているダンテというイタリア製安物のオリーブオイルで具を炒めることにした。添加調味には塩、黒胡椒、バジル粉末、固形コンソメ、白ワインなど必須品が珍しく完備してあった。アク抜き、煮込み中の火力調節にも神経を使ったせいだろうか、円やかな味のポトフが完成して安心する。トーストパン、ポトフ、小さな「サン富士」という林檎をデザートにした朝・昼の兼用食事にやっと漕ぎ着けた。


午後は読書とヒアリングをくりかえす。知己のビンテージオーディオの碩学者「いぼたろう」さんがバイタボックスの不明名称についてMIXI日記でご教示してくれた。MIXIに倦んでしまいログインさえ覚束なくなってしまったが、「いぼたろう」さんの仰られる輸入元、今井商事によるアッセンブリイ箱説には合点がいった。舶来品をイデアルタイプとしてだけ追っている極東日本のフェティシストだったら、そのような事実によって欠損感覚や瑕疵的心情に苛まれてしまいノイローゼになるような人もいるのだろう。

箱の裏側は素地のままの米松材、フロントとサイドはベニヤ合板につき板のウオールナット化粧を張ったものだ。よくみると往年の日本的実務臭も香ってくるスピーカーだと思う。しかしバスレフ開口部の異常にも思える四角い大サイズぶりなど日本サイドだけの設計案で決まったとも思えない箇所もあるから不思議である。

今日もエラックのミラコードプレーヤーでコロンビアのモノラルLPをかけてみる。サミー・ケイのムードミュージック集やジョー・スタッフォードのビックバンドものなどだが、端正な顔に反して押し出しのよい油っけも解像力も兼備したバランスのよい再生音が流れることに唸らされる。かって二年ほど付き合った国産の銀箱に収納した604Eの濃厚音よりも、同じソースが格上に変貌しているようだ。よい年になっているのだからオーディオは卒業したいが、これではしばらく卒業できそうもないと思う瞬間である。

自炊食

2013-02-06 11:13:30 | 
旧友のS氏が大腸癌の治療による長めな入院から復帰して普通の暮らしに戻っている。不動産鑑定士業務も構造不況らしいが仕事を再開したらしい。積もった近況話を交換する為に代々木八幡の和食店で食事、目黒駅東口の路地にある昔の昭和風カフェ「Do」でお茶をする。ここへ近くの白金に住んでいるやはり旧友のカメラマンS君も急遽加わって三者特有の辛辣で諧謔っぽい与太話を久しぶりに楽しむ。

自分は先に心臓を患った。あとの二名は元気で金も無いのに遊蕩の日々を楽しんでいるのかと思っていたら、どちらも厄介な病気に見舞われているとの風の便りが届いてきた。会って話を聞いてみると快復しているのか、進行をなんとか防ぐだけなのか、宙ブラリな毎日で焦りと諦めが同居しているような冴えない顔色をしている両人である。それでも10キロほど痩せて年令相応に老けこんだS氏だが、鳥瞰図的人間読解や情況読解の言辞はやっぱり耄碌していないところが面白い。

同じ全共闘世代のやっかみ目線で都知事になった元信州大全共闘出身のルポ・ライター猪瀬直樹知事への評なども穿っている。「猪瀬という男は権勢欲の亡者だから、都知事を辞してその後に衆議院代議士になることを狙っていてその権勢欲は最終的に完成するだろう」等と云っている。S氏の人生を振り返ると頭は冴えているのに権勢欲にはやはり無縁だった。こんなフレーズを聞くと岡留氏が主宰していた廃刊雑誌「噂の真相」の各ページの端っこに載っていた時局録めいた醜聞暗示風な字句を思い出すので無責任に面白いものである。

S氏の全共闘性を甘えや仮装の一種と学生時代からみなしていた大学教師のYさんから電話をもらった。やはりS氏の身を案じているのだが、ついでにS氏の放縦人生を批判することも忘れてはいないようだ。彼の食生活、飲酒生活のでたらめ振りを難じる返す刀で、こちらのラーメンなどが好きだった油脂過剰摂取生活の過去も揶揄することを忘れない。お互いに年を取ったような証拠の話題である。

釈明ではないが、Yさんに自炊食事の最新献立例を説明する。カマスの塩焼き、ワンタンスープ、大根の柚子入り甘酢漬け、納豆、自家製ラッキョウ、ゼザートは蒸かしたサツマイモだ。病んだ彼らの話を聞いてから始めたメニューではない。ここ数年に及ぶ心臓病後の節制食である。


和風献立のこういうものを食べているからといって病気が防げるものではないことは分っている。Yさんの場合はこうした魚等が含まれている動物性蛋白は一切、採らない。全てベジタリアンで徹底している。彼に不徹底を指摘されるが、だからといって従うこともないのが食生活である。今日も伊勢原の街を歩いていたら、「麻釉」という揚げ物の店があった。そこで大きな牡蠣のフライでも食べてみたい気分が湧いたが、小さな積み重ねをフイにしてしまうのが怖くなって自制してしまった。