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Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

釣果ゼロの日

2013-09-19 21:51:07 | 
本日休診のドクター桜井氏を座間駅前で拾ってクルマにて湯河原・新崎川へ向かう。絶好の川釣り向きの気候だ。目標は野生化したニジマスと毛バリの鮎である。桜井さんは天然ヤマメが狙いだ。管理釣り場をさけて拾い釣りがいいという案で意見が一致した。途中の相模川、酒匂川のような神奈川の大河川は台風18号の増水のせいで未だ水色は茶褐色で平水に戻っていない。その点、箱根山系の急斜面に大きな石がゴロゴロしている新崎川は夏枯れの水不足も癒えて濁りの片鱗もみられない。

こんなによい釣り日和は滅多にあるものではないとほくそ笑みながら、桜井氏が新宿駅で買ってきた「崎陽軒」のシュウマイ弁当で朝・昼食を兼用する。シュウマイ弁当はとても上手くまとまっているが、時間変化にナーバスになりやすい種類の弁当である。今日は白米の乾燥も潤いを感じる。マグロの照り焼きも木を齧っている感覚がない。朝イチ作成の鮮度が行きわたっているようだ。やっぱりシュウマイ弁当は美味いなと食べながら、そこのTVコマーシャルに出演していた旧馴染みの横浜「ミントンハウス」通称「おいどん」氏の原始共産制っぽい土俗顔を思い起こす。今日は腰までに及ぶウエーダーも履いていてよい釣りができそうだと思った。

しかしよいことは続かない。支度をしていたら愛用の竿ダイワ製「深山」の先端がなにも圧力をかけていないのに、折れてしまった。控えを持参していないから道糸がすっぽ抜けしない為の川べり工作を強いられる。老眼も進んでいるので厄介なことと思って、作業を進めていたが、傍の桜井氏は15センチくらいの天然ヤマメをもう釣り上げている。ようやく段差のある流れ込みへ仕掛けを投入するが、ヤマメ、鱒の引きは見られず、旺盛な食欲のアブラハヤばかし10匹くらい上がってくる。これはハヤには失礼ながら釣果の数には算入できない。アブラハヤのいる場所には渓流魚は潜んでいるのが鉄則なのだが、竿先の折れに出鼻をくじかれた気分になる。晴れ渡る空に太陽の照り返しが強く、日陰のポイントが少ない。これでは釣りにならないということで、河岸を下流に移してみる。

下流では小型の鮎が海から上がってきて育っているのも新崎川の特徴だ。持参の茹でシラスを口に含む。これを噛んで砕く。アジの生身を口に含む方法もあるが、これは生臭いので敬遠する。それを下流へ向かって噴き出すのだ。ハリには同じシラスをつける餌釣りだが鮎の反応はない。そこで虫を形どった毛バリの三連仕掛けに玉ウキを流す「チンチン釣り」も試すことにした。しかしかかってくるのは、これまた良質水質のバロメーターにもなる「カジカ」が立て続けに三匹ということで餌にも毛バリにも鮎は反応してこない。諦めて最上流の公園付近で日が傾き始めた時間にイクラ餌で試してみる。清冽な水流の少し緩んだポイントを流すがやはり駄目だ。


こちらが諦めて彼岸花が咲き始めている様子やハギ天国みたいな幕山公園をふらついている隙間に桜井さんは粘り勝ちする。いずれも小型ヤマメながら難関渓流で4匹という釣果をあげた。幕山公園下のパン屋さん「和しょい」は堅実に盛況の様子で安心する。本日は「イチジクとチーズ入りカンパーニュ」「黒ゴマあんぱん」を購入、おやつとして黒ゴマ餡パンを食べてみるが、これもコクと香りが兼備していて小麦といううものの実体感を満喫する。釣りは駄目だったが、パンは美味いという連休日になってしまった。

夏ご飯 プロとアマ

2013-08-23 15:19:39 | 
都下・久米川の新興和食店「梟」で味わったランチの焼き魚ホッケ定食がとても美味かった。ホッケという北の海で獲れる魚は大抵、身がパサパサ、ボソっとして独特なアンモニア臭がするものが多い。北の産地から大消費圏へ流通する過程で独特な酸化変質による鮮度喪失がしやすい魚と思っていたが、一度北の現地で味わった素晴らしい美味にまた出会えたようで嬉しい限りである。

塩加減、脂の乗り具合、どれも文句のつけようがない半身の焼き魚だった。数日前に青柳君と食べたカサゴの煮つけに優るとも劣らない味わいである。副菜には、アサリの味噌汁、手羽鶏肉のピリ辛煮、茄子とハリハリ漬という立派な香のものが付録になっている。これでアイスコーヒーがついて800円という新興店の意気込みは素晴らしい。国立「だいこんの花」ともども都下における安くて美味い記憶の店としてインデックスに納めておきたい。けっきょくこの八月も湿気と高温に"悩まされる日が続いているせいか、口も不味くなっている。翌日の朝食事はおきまりの自炊メニューだ。

スーパーにあった「じゃこ天」焼き、ふじっ子製のシイタケ昆布、納豆、大根の酢漬け、冷やしトマト等、創意なきワンパターンぶりである。徒歩圏内には「吉野家」「松屋」「かつや」がひしめいている。しかし通ってラクをしないように自炊優先生活を貫こうと自戒しているところだ。

梅雨明ける

2013-07-07 16:40:01 | 
しばらく前(1986年野草社刊行・新泉社発売)にでた詩人山尾三省の「野の道 宮澤賢治随想」を読み終えた一昨日の夜半ごろ、今年の梅雨は明けたようである。山尾三省は2001年に九州の屋久島で癌を患って亡くなっている。屋久島では24年間農耕と瞑想的生活を重ねていたらしい。享年63歳とある。

いつだったか一度だけ国分寺の本多という所に住んでいた山尾三省の貸家だったかアパートだったか、記憶がさだかではないが、そこを都下のひばりが丘に住んでいた友人のN君と訪問して雑談を交わしたことがあった。彼が浅草付近の英語塾で講師をしながら生活の糧としていた時分のことだ。たしか1967年前後だったと思う。まだ生後間もない男の子をあやしていた。その赤ちゃんの名前はたしか「太郎」という直裁な名前だったのでよく覚えている。そこでの雑談もぼかし絵みたいに曖昧な記憶の彼方に埋没してしまったが、たしか八ヶ岳の麓を開墾してヒッピー版の武者小路風「新しき村」みたいなコンミューン運動へ参加しないか?という誘いの話だった。彼の命名による「部族」というものだった。小屋を作ったり便所なども露天掘りするという野生的荒仕事の概要計画を聞いていて、これは自分には不向きだと思った。

親との同居が嫌でたまらない。横浜の弘明寺・大岡町在に安い下宿を借りて茫洋とした青春期を浮遊していた最中の出来事である。生活費は自力で確保するというバイト生活による労苦も始まったばかり。下宿の老夫婦がわけてくれる当時としても珍しい山羊の搾りたての濃厚このうえないミルクには、慢性栄養失調者として随分と助けられたものだ。八ヶ岳まで行く当面の路銀の捻出も不可能だ。そして往時の50数キロという痩躯では体力にも不安があって、結局山尾三省の勧誘には乗れないことでその話は立ち消えとなった。そのとき同行していたN君も後年の風の噂によると都会暮らしからドロップアウトして信州の僻村で木工職人となっているようだ。そして自分は数年の勤め人生活をしてからその後は都会の藻屑のような自営業生活に終始して後半生の座礁風生活へと連なっている。

山尾三省はインド・ネパールなどの聖地を巡礼後、トカラ列島にある諏訪之瀬島在住を経て屋久島が終の棲家となった様子である。この本は偶然古本屋で見つけたものだ。青春の一こまに偶然出会ったその後の山尾三省について、その立ち位置程度の知識はやはり風の噂で知っていた。しかしその著作については初めての読書になる。賢治の自然思想への共鳴や思慕を語る隙間にさりげなく描写する屋久島の「野の道」の風景が素晴らしい。ちょうど梅雨から真夏にかけての季節には屋久島の至る所で「クチナシ」が咲き誇るようだ。山尾三省は「玄米四合」という章の中で「クチナシ」を讃えている。

「…クチナシの花の白さというものはただの純白というものではない。それは見れば見るほど異様なまでの白さで、花びらの確かな質感といい、高い観音様が私たちの貧しく悲しみの多い生活にさずけられた、慈悲の白光であるかと思わずにはいられない。その高く甘い香りは昼も夜も家の中にまで流れこみ、この季節が水の底に住む季節であるとともに、クチナシの花の季節であることを知らせてくれる。…」P177

相当前から高度消費社会からの意識的脱落を選択して「人間界の代表として自然へ懺悔する(吉本隆明の親鸞論に登場するフレーズ)」賢治などと共通したポジションを担保したいかにも山尾三省らしい含蓄と哀感を含んだ言葉である。

梅雨が明けた翌日はすでに猛暑が到来している。エアコンに逃げない。蚊取り線香を焚いてまどを開け放つ。自炊昼食の冷やし中華を食することにして、しばし遠くにある屋久島を想像することで山尾三省を偲ぶ時間とする。

ひさしぶりの高級おやつ

2013-07-05 21:58:02 | 
ドクター桜井さんが座間の部屋のジャズサウンドを聞かせてほしいということで、先週の週末にやってきた。そのときの手土産が赤坂「とらや」の最中だった。「とらや」といえば羊羹も最中も伝統の高級品で通っている。氏が伊勢原へ遊びに来た時は小田急電鉄の子会社が経営している「HOKUOU」というパン店で売っている特製ラスクのお土産が定番だった。それも美味いもので参集した皆さんのおやつとしてはいつも好評だった。佐々木トーシロさんが持参してくる自宅に近い横浜駅界隈デパ地下名物として名高い「ござ候」の今川焼と双璧の我が家における人気おやつである。しかし今回のお土産はなんだか高級すぎて恐縮してしまう。「とらや」の羊羹も葛きりも最中も都内を離れてからは、しばらく口にする機会がなかった。有り難く頂戴してその練成した餡子のアートを堪能させてもらうことにする。

一人で全てというわけにも行かないから、友人諸氏へ少しづつお裾分けする前に色違いの味を楽しんでみた。茶色の生地が小豆粒入り餡、ピンク生地が白餡、しろ生地がコシ餡である。さすがに各々の味は優劣がつけ辛いくらいに濃厚で丁寧に練りこんだ豊かな餡の味がする。自分の嗜好では「梅ケ香」という名前のついた白生地最中が好きである。今週にかけて在宅時のおやつは一日おきのペースでこの最中を一個づつ煎茶の友とすることができた。無論、最中を乗せる小皿の質感にも気を使う。ある日は美濃地方のプロの手になった織部の角皿、次の日は唐津のアマチュア陶芸家の板皿、そして翌日は金沢・大桶焼の中村長阿弥作飴釉菓子皿等を持ち出す。皿を意識するようなレベルを持ったお菓子が登場したせいか、沈静気味だった陶磁器漁色衝動が湧き上がったような気がしている。

鮎塩焼きの夕ご飯

2013-06-12 18:37:25 | 
ちょうど一週間前のことだった。Y教授が座間までやってきたのは。彼は無理強いしたような禁欲の延長上にある観念の自己規制がとても強い人だ。お茶もコーヒーも酒類も飲まない。タンポポ茶のようなアブストラクトな味のミント茶やプレミアム風の水ばかし飲んでいる。おやつといえばサンザシのドライフルーツやクコの実だったりする。蕎麦と寿司だけが一般人の口と繋がりを保てる唯一の食分野である。それでも寿司屋などへ入ったときのオーダーはやはり変わっている。コハダ、鯖、鰯、等ヒカリものの繰り返しパターンを貫くのだ。根っからの吝嗇気質のせいで廉価品をオーダーしているのではなく、独自の健康食生活理念を実践しているようだ。

昔、彼がオーナーになっているビルのテナントにノギスの製作メーカーで著名な「ミツトヨ」が母体のレストランが入居したことがあった。港区の芝界隈で名を馳せた植物蛋白だけを素材とする自然食中華の「菩提樹」という店だった。まだ現在ほど食生活の自然食志向は差別化されていない時代だった。青山通りにあった「ナチュラルハウス」あたりがそろそろ活況を呈し始めた頃のことである。その店では湯葉を肉類に見せかける美的造型力を持った本場のコックが活躍していて、不思議にも単調な味にならない豊富なメニューが提供されていた。Y氏は妻がポジティブに料理に専心するタイプと一緒にならなかったせいで、その「菩提樹」が一時期の彼におけるメイン食堂代わりになっていた。そんなY氏だが、先週会った折の本音トークで鮎の塩焼きを絶賛していた。彼は子供時代に伊豆の伊東市内に預けられたことがある。伊東には松川が流れている。鮎はたくさん遡上する筈だ。そのころの味覚の記憶から発した言葉なのか、何処で食べた話なのか、確認することもなくなにげなく聞き流してしまった。

一週間が経って、自炊夕飯の材料を近くにあるコープにて物色していたら鮎が売っていた。Y氏の鮎絶賛を思い出した。岐阜産とあるから放射性セシウムの面でも安心だろう。無論養殖もので一匹286円、これの塩焼きに挑戦することにした。パックを開けたら、鮎特有のスイカめいた香りが漂ってきた。日本画家土田麦僊の「香魚」の構図を思い出す。水気を拭って最近、お気に入りのアルペン・ザルツという岩塩粉をたっぷりとまぶす。これをガスグリルにてよい焼色がつくまで焼く。10分程で完成だ。鮎だけでは自炊が単調になるといけない。

ちょうどコープに神戸三田屋のチルドメンチカツが売っていた。これを揚げて生キャベツをたくさん添えることにした。鮎は二年ぶりに食べた。塩が吹いているカリカリになった皮の部分が一番美味い。味噌汁、納豆、メンチ、鮎塩焼きという梅雨時の夕餉、Y氏の一言に左右されたようである。