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Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

「すかなごっそ」の恵み

2014-06-30 20:33:18 | 

週末に訪れた珍妙なネームのJAショップ(JA葉山・横須賀)「すかなごっそ」では勢いが増してきた夏野菜を買ってみた。胡瓜、茄子、玉ねぎ、じゃがいも、玉蜀黍、みんな三浦近在農家の出自がラベルに印刷されている。この店の在庫といったら足繁く買い出しに通った伊勢原付近のJAショップとは比べ物にならないくらい凄い物量で規模が大きい。

最近では観光バスの「道の駅」風巡回スポットにもなっている様子で、別の建物には魚介類の専門コーナーまで増設されている。値段は内陸部にある町田、座間付近のスーパー店頭よりも2~3割安いといったところである。あてずっぽに買った玉蜀黍は原田さんという農家が作ったもので、この夏の初物として茹でて丸かじりをしてみた。午前持ち込みしたばかりの鮮度が素晴らしくとても甘くて瑞々しい触感だ。これ以上柔らかく甘く進化をしないで欲しいと願いながらパクついてみる。久しぶりに1本150円の充実を満喫する。

これに気をよくしたせいか新鮮野菜を動員してポテトサラダを作ってみた。具材は買ったばかりの新玉ねぎ、ニンジン、キュウリ、ジャガイモ、茹でいんげん、ハムを刻んでソースは粒マスタードとマヨネーズで和えるという古典家庭バージョンだ。これをこんがり焼き色を強めたトーストパンに乗せてコーヒーで味わう。本当はコロッケサンドなどに使うバンスパンの方が納まりが安定するのだろうが、そこは男の短絡料理だから仕方がない。三浦半島も捨てたものじゃないな!と上手く出来上がった即興サンドを眺めながら思う。


ウミガメ食堂のワンタン麺

2014-06-22 19:10:06 | 

港北ニュータウンのセンター南にある「ウミガメ食堂」を初めて訪れてみた。「ウミガメ食堂」の由来はそこの店主と大昔同級生だったことのある旧友の濱野氏から噂を聞いていて、やはり旧友の青柳氏も誘って同行することにした。母体の横浜・麦田付近にある「奇珍」の古めかしい佇まいとは全く別の明るい採光の半地下カフェテラス風のお店だ。昔、足しげく通った南青山の小原流会館の地下にあった台湾料理の「ふーみん」に似た活性を感じるお店になっている。

 

自分は「ワンタン麺」濱野氏も「ワンタン麺」青柳氏は「サンマー麺」を注文する。中国人の知り合い婦人によると中国ではワンタンと汁そばを一体にして食べる習慣はないと力説していたから、「ワンタン麺」も「ラーメン」同様に日本アレンジ独自中華メニューとして発達した様子である。ワンタンが汁に浸食されてずるずると溶けそうな感触が大好きだ。笹塚の「代一元」、その裏手にある富士見女子高付近の「福寿」、四谷見附の「こうや」等へ寄った折は必ず「ワンタン麺」を頼むことにしている。ワンタン皮にくるまれている挽肉の量だが、「福寿」は吝嗇(けち!ではなく親父さんの自信ありげなポリシーか?)を越えた皆無状態。反対に「こうや」は「テルテル坊主」大の特大ワンタンがぷかぷかういているというダイナミック系だ。

「ウミガメ食堂」は中間派というところで、多くの中華そば店の「ワンタン麺」の正道を行っている。麺は自家製だけあって極細の素麺並みながら、腰の強い歯応えは抜群で食べ進んでいてもだらしなく溶解してしまうことはない。シナ竹は太いものを使っているがとても柔らかい。チャーシューは横浜在来の表皮を赤く染めた炙りローストしたものだ。これがチャーハンなどにふんだんに散りばめてあったらさぞかし美味いことだろうと思いながら、スープを飲む。醤油臭い味は除去されているが、昔味わった「奇珍」のスープとも違う。すこし塩味が強く淡白なスープになっているようだ。しかし細かい長ネギがたくさん浮いている味わいは独自な40年が形成した「ワンタン麺」の個性になっている。食文化のBC級ラリーストを自任している自分の「ワンタン麺」序列では四谷「こうや」に軍配を上げざるをえないけど、次回は葱チャーシュー麺にでも挑戦してみようと思っている。


安納芋をかじりながら。

2013-11-06 21:40:24 | 

古本祭りで神保町の桜どおりに出店していた地場産コーナーで売っていた断面の発色が強い蒸かし芋を買ってみた。ちょうど92歳の母親の面会を控える前日だ。これを土産にと思った。古典サツマイモの改良品種で甘みが格別強い安納芋という種類である。施設の母親はやっとのことで生きている様子だが、小さなこの蒸かし芋とコーヒー缶を持参して、ちょうど10時のおやつタイムに与えたら、いつもの面白くなさそうな顔をしながら「美味い」といってくれた。昔風のホクホクした金時芋が自分は好きだが、残しておいた一本を帰宅してからお茶請けにしてしてみた。屋久島産の荒い煎茶を益子の好きな椀で飲みながらこの安納芋を食べてみた。

食しての印象は芋の現代的流体繊維化という語を思い浮かべる。甘い甘いマッシュポテト味がする。顎が退化して発音のイントネーションがソフトにくぐもっている優しい現代少女の味覚にマッチした味なのだろう。芋は世につれ、世は芋につれという味がして変な感心に浸ってみる。

神保町の駄本漁りは面白かった。交差点横の広場のブースでハードケースに入った昔の筑摩版太宰治全集を揃いでポンと買っている20代前期の美女が隣にいた。太宰治という作家はやっぱり風化がない世界にあるのだと昔の影響圏で育った団塊爺さんは確信する。当世風文庫本や電子書籍で接しないという毅然としたその美女の佇まいは古本祭りのよい点景として記憶に残りそうである。

昨年他界した吉本隆明は東工大の学生だったころ太宰治を訪問したらしい。そのときの太宰が吐いた言葉を吉本隆明は終生の箴言として心の中に格納していたようだ。世の中が嫌でたまらない太宰は吉本に茶化しめいた言葉を連発しながら「君、男性の本質はマザーシップだよ!その無精ひげを剃りたまえ」という飛躍に満ちた言葉で本質を語ってくれたという一文をふと思い出す。

しかし古本祭りで買った昭和25年大阪創元社で発行した「映画手帖」という変形新書は面白い。カバーが欠けた本が白山通りの映画に強い古書店では500円で売っていたが、カバー付きが古書会館横の路地裏では210円だった。女優ジーン・シモンズの格調に溢れた表紙があるとないでは大違いだということを理解できる人は真の古書通である。

京大映画部が執筆した映画理論は通史としても原理論としてもかっての講座派マルクス主義者の書いた経済学や歴史学の著作物に通じる精緻な教養と言語的共通文脈を感じる。この本には昭和25年時点の有名俳優の住所録が記載されている。今だったらとても個人情報として許されない内容の住所録だがなんだか面白い。あの原節子が当時住んでいたのは、小田急線の東京府北多摩郡狛江村岩戸であったり、三船敏郎は横浜市磯子区中原だったりする。その付近の景色をおもい浮かべて往年のスターが颯爽と田舎めいた街路を歩いていたことを想像することもやはり映画的想像力の一環なのではないかと煎茶をすすりながら収穫物を開いているところだ。


「和っしょい」パンの楽しみ

2013-10-15 20:59:10 | 

パンが先か釣りが先か?で悩むのがいつものことだが、パンを先に確保しないとたちまち在庫が少なくなることを知ったものだから今回も躊躇しないで開店前の店先でオープンを待ちながら崎陽軒の「シュウマイ弁当」の朝飯をとる。この「和っしょい」のパンがもたらすまっとうで豊かな小麦の恵みというものに病みつきになっている人もいるようで、開店時間前にはどこからかクルマで乗り付ける常連さんで長閑な山裾が少し賑わう。

敷地の隅には「紫しきぶ」壁の蔓を編んだ花かごには季節の「コスモス」もさりげなく添えてあって、童女風のあどけなさと徹底した探究心を併存させた相貌の店主が実利だけに邁進していない歌心をもっていることに気づく。ドクター桜井氏は家族土産のパンになるから多めの買い物になる。そこへ単身者用の2個を毎回混ぜて一緒に買っていただく。

今回はすごく焼き色が深いハードな小型カンパーニュパンが目についた。中の具はショコラのザクザクしたかけらと胡桃がたっぷりと混じっている。これは夜勤時のおやつ用にする。もう一つは長円形の楽しそうなピッザパンだ。これは釣り場の休憩用とする。しめて490円という小さな贅沢だ。ニジマスが10匹を超えた時点であずま屋風のベンチに腰をかけ水色のよい新崎川を眺めながらこのピッザパンを食べてみる。ガーリックとチーズベースの生地にトッピングはしめじきのこ、ズッキーニ、などが紛れている。しかしこのピッザパンの主役は意表外な長ネギのようである。長ネギの香ばしい香りをチーズとハーモニーさせるというアイデアの勝利だ。ブラックの缶コーヒーと長ネギピッザパンの相性をしばらく楽しんでから、日が傾きかけた釣り場で追い込みをかけることにした。


お好み焼の季節

2013-10-05 11:08:39 | 

金木犀が咲きだした。膨大な花芽が秋雨にうたれて道端に積り始めている。闇夜を伝わってくるその匂いを嗅いでいると、秋の深まりを感じる。庭の片隅でポットに納めている「コート・ダジュール」も紫色の花を咲かせている。

朝方の倉庫付近の気温は19℃になっている。夜勤明けの帰り道はクルマの中でたいていNHKラジオを聞いていることが多い。およそ45分の道のりを、平日なら「すっぴん」週末だと「ラジオ文芸館」あたりの時間帯だ。水道橋博士とか高橋源一郎をパーソナリティに使って真面目なカジュアル路線を狙った「すっぴん」ではテレビで拝見したことがある少しドラ声の藤井アナウンサーが素顔の生彩感を放っているようでいつも気持ちがよい。土曜日は藤井アナウンサーが出ていないからがっくりしていたら、TV番組のPRが流れてきた。「あまちゃん」の後継番組「ごちそうさん」のことである。好きな女優の吉行和子、財前なおみ、が出演するなら観たいのだが、座間へ引っ越して1年も経っているというのに地デジの接続ができない。座間はすぐ真上を米軍の戦闘機が轟いている地域だ。電波障害対策もあって共同受信にでもなっているのかもしれない。尋ねることも面倒くさいのでTV、デジタルチューナーなどをセット済みにもかかわらず、放置1年となってしまった。

そのPRでは「ごちそうさん」の素案を作ったチーフプロデユーサーが登場している。岡本ようこさんという女性が番組趣旨を素晴らしく明晰に語っていた。あの「あまちゃん」でさえ大衆食堂などで覗き見した機会もあった。意識していれば放映場面は町の片隅でも遭遇しそうだ。その岡本さんの説明には大阪食文化圏の「始末」ということの面白さにも触れられている。その説明を聞いていたらケチの次元とは異質な繊細に凝りまくっている美味しい簡単フードが連ドラに登場してくる気配がしてくる。これはTV接続を急がないと思っていたら雨足の強い座間に到着した。

朝飯を思案してみるが買い置き品は、相変わらず散漫である。「始末」という言葉にヒントを得たのだから、なにかないものかと思っていたら「お好み焼」ならできそうだ。気候も涼しい、夏場には縁がなかった簡単メニューである。小麦粉、卵、キャベツ、粉海苔、干しエビまでは在庫している。これにあり合わせのウインナソーセージを輪切りする。竹輪もあった。邪道でも「始末」が趣旨である。粉に対する水の分量がセーフだったようだ。弱火でゆっくり焼き上げる。両面には適度に焦げ色をつける。中はキャベツから滲んだ水気が潤いを与えている。直径25センチのお好み焼が仕上がってようやく朝飯の代用となる。いつもソースと醤油を半分づつに分けて味わうのだが、今日は醤油との相性がよかった。