27日、午前6時半頃、娘の絶叫で目を覚ましました。
娘は、しんどくなって、ダンナはんを起こし、発作の状態に。
飛び起きて、私は娘を抱え、顔色を見ると、かなり悪くなっていました。
その間、ダンナはんが救急車の要請をしようと電話を握っていました。
「大丈夫か?」娘に叫ぶようにして聞いた、私。
「ママ、大丈夫!」って顔色の悪い娘。
これが、私が聞いた、娘の最後の言葉でした。
あ、顔色戻った…「救急車大丈夫かも」って、119を押したダイヤルをクリアすると、またすぐにしんどい状態に。
「あかん、やっぱり救急車!」
ダンナはんは、救急車を要請したあと、すぐに大学病院に搬送することを伝える電話をかけていました。
正気になって、「いや~~~!!」って叫んだり、う~~~って苦しんだりの繰り返し。
すぐに救急車が来て、ダンナはんが娘を抱きかかえて、乗り込みました。
私は、すぐに、長男と次男を起こし、自分の着替えもしつつ、2人の着替えもさせてました。
救急車は、6時40分には、病院に到着。
そのまま処置へと移ったようです。
息子2人の着替えをさせながら「ねぇちゃん、しんどくなったから、病院に行くで」って、かなりせかしました。
そのとき、今回はあかんかも…って、イヤな思いが脳裏をよぎりました。
そんなことない!って、気持ちを入れ替えて、車に乗り込み病院の駐車場に6時50分に着きました。
そこに携帯がなりました。
「今、自分で呼吸してないんや!」え~~~~って、ついたことを報告し、子供を引きずるように院内に駆け込みました。
処置室では、人工呼吸器を取り付け作業、強心剤の点滴、心臓マッサージがはじまっていました。
嘘だ…
信じられない光景を見てかなり動揺しました。
処置するので、待合のほうで…って出されてしまいました。
息子2人がうろうろするので、ダンナはんが、じぃちゃんばぁちゃんに連絡を取り、迎えにきてもらっていました。
かなり危険な状態だったので、私の実家のほうにも連絡を入れていました。
ダンナはんが、仕事とか休まなくてはいけない連絡とかの用事をしていて離席してるときに、処置をしている先生に呼ばれました。
7時20分くらいだったかな…。
見ると、信じたくない光景が広がっています。
何十倍の強心剤を投与しながら、人工呼吸器をされて、心臓マッサージを受ける娘。
この瞬間「あぁだめだ…」って思いました。
が、先生方は必死に蘇生をがんばっていました。
マッサージを止めると、心臓が動かないことを説明され、私は冷たくなってる娘の手や足を握り名前を叫び続けました。
マッサージは、先生が交代でずっと続けられました。
精一杯尽力しますって言うと、私は待合で、待たされました。
ダンナはんが戻ってきてから状況を説明しました。
娘が病気を発症してから5年、ずっと診てくれていた先生方。
どうにか…どうにか…復活してほしいと、がんばってくれていました。
そこに、いつも診てもらってるコワモテ先生登場。
時刻は8時前。
もぉ、ダメなのなら呼ばれる…って5分、10分たっても呼ばれませんでした。
その間、担任の先生に、状態がかなり危険なことを連絡いれました。
8時半を過ぎてから、処置室に呼ばれました。
まだ、マッサージは続いていましたが、やれること全てを全部やってもムリだったことをコワモテ先生から説明されました。
「5年もずっと診てるから、娘のような大事な存在で、どうにかして助けてあげたかった…」
いつもの声ではなく、力の抜けた落胆の声でした。
私とダンナはん、大泣きしました。
呼吸器がはずされたあと、2人で順番に抱っこしました。
泣きながら。
血行が悪くなって、冷たくなった手足。
濡れた背中…。
6月27日午前8時37分 永眠
体を綺麗にしてくれるということで、待合で待たされてました。
ダンナはんが両方の両親に報告の電話を入れていました。
でも、人通りがあるので、小児科の部屋に案内されて泣きながら待ちました。
その場所は、5年前、娘がこの大学病院に運ばれてきたときに、エコーをするためにトリクロって言う睡眠薬を使って一生懸命寝かせようと使ってる部屋でした。
ここで始まり、ここで終わるなんて…。
娘のお気に入りの服をダンナはんが急いでとりに帰ってくれました。
綺麗にしてもらったあと、オレンジのワンピースとイチゴのパンツを履かせてもらえました。
熱が出ていて、お風呂に入れていなかったので、髪もサラサラ綺麗にしてもらえました。
眠っているかのように穏やかな顔をしていました。
そこに、じぃちゃん、ばぁちゃん、長男、次男が到着。
次男はまだ、分かってない様子ですが、長男は神妙な顔をしてました。
じぃちゃん、泣いていました。
ばぁちゃんは、口をキッとして、娘を見ていました。
娘の帰りの車の手配をしたくらいだったか…看護士さんが「面会の担任の先生が来られてますが…」って言いに来てくれました。
せっかくなので、会ってもらおうと、「お願いします」って伝えました。
そこに現れた先生。
入ってきたときに「どうです…えっ…」
「先生、先ほど、亡くなりました」
「え~~~~」
驚いて、大泣きされました。
先生は、娘の様子を急いで見にきてくれたのですが、こんな対面になるなんて思わなくて、めちゃ驚かれていました。
実際、私自身も信じられない状態のときに…先生との対面。
先生は泣きながら、戻って行きました。
じいちゃん、ばぁちゃんは、私たちが家に戻って用事がしやすいように…っと、息子2人を預かって、じぃちゃんたちの家に戻って行きました。
迎えの車が来て、コワモテ先生、処置してくれた先生方、娘が長期入院してたときに、お世話になった看護士さんたちが、残念な表情で、見送りをしてくれました。
入院していたわけでもないので、まさかこんなに見送ってくれる方がいるなんて思わなかったので、嬉しかったです。
書いてて混乱して…無茶な文になってるような気がします…
お許しください。
娘は、しんどくなって、ダンナはんを起こし、発作の状態に。
飛び起きて、私は娘を抱え、顔色を見ると、かなり悪くなっていました。
その間、ダンナはんが救急車の要請をしようと電話を握っていました。
「大丈夫か?」娘に叫ぶようにして聞いた、私。
「ママ、大丈夫!」って顔色の悪い娘。
これが、私が聞いた、娘の最後の言葉でした。
あ、顔色戻った…「救急車大丈夫かも」って、119を押したダイヤルをクリアすると、またすぐにしんどい状態に。
「あかん、やっぱり救急車!」
ダンナはんは、救急車を要請したあと、すぐに大学病院に搬送することを伝える電話をかけていました。
正気になって、「いや~~~!!」って叫んだり、う~~~って苦しんだりの繰り返し。
すぐに救急車が来て、ダンナはんが娘を抱きかかえて、乗り込みました。
私は、すぐに、長男と次男を起こし、自分の着替えもしつつ、2人の着替えもさせてました。
救急車は、6時40分には、病院に到着。
そのまま処置へと移ったようです。
息子2人の着替えをさせながら「ねぇちゃん、しんどくなったから、病院に行くで」って、かなりせかしました。
そのとき、今回はあかんかも…って、イヤな思いが脳裏をよぎりました。
そんなことない!って、気持ちを入れ替えて、車に乗り込み病院の駐車場に6時50分に着きました。
そこに携帯がなりました。
「今、自分で呼吸してないんや!」え~~~~って、ついたことを報告し、子供を引きずるように院内に駆け込みました。
処置室では、人工呼吸器を取り付け作業、強心剤の点滴、心臓マッサージがはじまっていました。
嘘だ…
信じられない光景を見てかなり動揺しました。
処置するので、待合のほうで…って出されてしまいました。
息子2人がうろうろするので、ダンナはんが、じぃちゃんばぁちゃんに連絡を取り、迎えにきてもらっていました。
かなり危険な状態だったので、私の実家のほうにも連絡を入れていました。
ダンナはんが、仕事とか休まなくてはいけない連絡とかの用事をしていて離席してるときに、処置をしている先生に呼ばれました。
7時20分くらいだったかな…。
見ると、信じたくない光景が広がっています。
何十倍の強心剤を投与しながら、人工呼吸器をされて、心臓マッサージを受ける娘。
この瞬間「あぁだめだ…」って思いました。
が、先生方は必死に蘇生をがんばっていました。
マッサージを止めると、心臓が動かないことを説明され、私は冷たくなってる娘の手や足を握り名前を叫び続けました。
マッサージは、先生が交代でずっと続けられました。
精一杯尽力しますって言うと、私は待合で、待たされました。
ダンナはんが戻ってきてから状況を説明しました。
娘が病気を発症してから5年、ずっと診てくれていた先生方。
どうにか…どうにか…復活してほしいと、がんばってくれていました。
そこに、いつも診てもらってるコワモテ先生登場。
時刻は8時前。
もぉ、ダメなのなら呼ばれる…って5分、10分たっても呼ばれませんでした。
その間、担任の先生に、状態がかなり危険なことを連絡いれました。
8時半を過ぎてから、処置室に呼ばれました。
まだ、マッサージは続いていましたが、やれること全てを全部やってもムリだったことをコワモテ先生から説明されました。
「5年もずっと診てるから、娘のような大事な存在で、どうにかして助けてあげたかった…」
いつもの声ではなく、力の抜けた落胆の声でした。
私とダンナはん、大泣きしました。
呼吸器がはずされたあと、2人で順番に抱っこしました。
泣きながら。
血行が悪くなって、冷たくなった手足。
濡れた背中…。
6月27日午前8時37分 永眠
体を綺麗にしてくれるということで、待合で待たされてました。
ダンナはんが両方の両親に報告の電話を入れていました。
でも、人通りがあるので、小児科の部屋に案内されて泣きながら待ちました。
その場所は、5年前、娘がこの大学病院に運ばれてきたときに、エコーをするためにトリクロって言う睡眠薬を使って一生懸命寝かせようと使ってる部屋でした。
ここで始まり、ここで終わるなんて…。
娘のお気に入りの服をダンナはんが急いでとりに帰ってくれました。
綺麗にしてもらったあと、オレンジのワンピースとイチゴのパンツを履かせてもらえました。
熱が出ていて、お風呂に入れていなかったので、髪もサラサラ綺麗にしてもらえました。
眠っているかのように穏やかな顔をしていました。
そこに、じぃちゃん、ばぁちゃん、長男、次男が到着。
次男はまだ、分かってない様子ですが、長男は神妙な顔をしてました。
じぃちゃん、泣いていました。
ばぁちゃんは、口をキッとして、娘を見ていました。
娘の帰りの車の手配をしたくらいだったか…看護士さんが「面会の担任の先生が来られてますが…」って言いに来てくれました。
せっかくなので、会ってもらおうと、「お願いします」って伝えました。
そこに現れた先生。
入ってきたときに「どうです…えっ…」
「先生、先ほど、亡くなりました」
「え~~~~」
驚いて、大泣きされました。
先生は、娘の様子を急いで見にきてくれたのですが、こんな対面になるなんて思わなくて、めちゃ驚かれていました。
実際、私自身も信じられない状態のときに…先生との対面。
先生は泣きながら、戻って行きました。
じいちゃん、ばぁちゃんは、私たちが家に戻って用事がしやすいように…っと、息子2人を預かって、じぃちゃんたちの家に戻って行きました。
迎えの車が来て、コワモテ先生、処置してくれた先生方、娘が長期入院してたときに、お世話になった看護士さんたちが、残念な表情で、見送りをしてくれました。
入院していたわけでもないので、まさかこんなに見送ってくれる方がいるなんて思わなかったので、嬉しかったです。
書いてて混乱して…無茶な文になってるような気がします…
お許しください。
ショックで、苦しくてなんて言っていいのかわかりません。(ごめんなさい)
ブログを拝見して3年間・・・
しきさんの日常を知り、しきさんの前向きで優しいお人柄、思いやりのある旦那さん、愛情あふれたお2人の元から生まれたお子さん達の元気なかわいらしい姿にとても癒されていました。
これからもそれは変わりません。
お悔やみ申し上げます。
安らかな顔で、娘が旅立っていったので、よかったな~っていう気持ちです。
でも、やっぱり寂しくなっちゃって、泣いちゃったりもするのですが…