視人庵BLOG

古希(70歳)を迎えました。"星望雨読"を目指しています。
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猪谷六合雄

2006-04-26 04:52:47 | 文化
最近、すごく気になっている人がいます。

猪谷六合雄(1890-1986)

1952年冬のオリンピック、アルペンスキー銀メダリスト猪谷千春のお父さんといってもほとんど判らないと思いますが。
赤城で生まれたこの人は、自分で山小屋をたて、自分専用のスキー場(!)をつくり、70歳をすぎて自動車免許を取得してからは、ワーゲンバスを改造して、その中に住んで日本中を移動生活で送っていた人です。
「自分に必要なもを自分で作る」という生活を戦前から実践していた、日本人の中でも稀なタイプの人だと思います。

詳しくは
「猪谷六合雄スタイル~生きる力、つくる力~展(2001年9月3日(月)~11月24(土))」
をご覧ください。

猪谷六合雄スタイル―生きる力、つくる力

INAX出版

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コマ鼠生活の一日(猪谷六合雄スタイル生きる力、つくる力 P36より)

夜中の一時半に目が醒める。今日も別に決まった予定もないので、起きていてもいいし、眠ってしまっても、むろん差支えない。



しばらくしてその仕事が一段落すると、夕食にはまだ早いので、四キロほど離れた飯能の町まで食料品の買い出しにいく。駐車場の関係もあるし、簡単に済ませられるので行き着けのスーパーマーケットに入って、食料品その他細々とした買物をする。ここではじめて人間と言葉を交わす。同時にこれがおそらく今日最後の会話でもあるだろうと思う。といっても別にだれかと話してみたいというわけでもない。
私の場合、大工をしても土方をしても、スキーをしても山へ行っても、お針や編物をしても、物を読んでも書いても、そのどこかにかすかではあるが対話に似かよったものがあるような気がする。むろんそれは人間相手の場合の何十分、何百分の一ではあるだろうが、でもそんな気持があるためか私は一人ぼっちも割と苦にならない方かも知れない。それに長年使い古してきた道具類などにもある程度の愛着をもっているらしい。
今でも鋸、鈎、金槌、万力、ペンチ、写真機などには四十年五十年と愛用しているものがいくつもある。それに猫や犬とも割に早く仲良しになれる質でもあるらしい。工場へ帰ってくると白菜を山ほど入れてうどんの煮こみを作る。昼食をろくに食べていないので結構うまい。



さっばりして車のテーブルの前でくつろいでいると、今朝からラジオやテレビでたびたびきいていたジャコピニ流星群の話を思い出す。さっそく、車を少し動かして西北の空が寝床の中から真正面に見える位置に持って行く。そしてまたテーブルの前に腰かけると、書き忘れていた手紙の返事を思い出したので丁寧に詫び状を書く。
それからこんどはまた山小屋の設計図面を拡げてみる。夜中に見て気づいた所を直していると、あとからまた思いつくことが出てくるので、それらを書き入れたり消したりしていると、しばし時間のたつのも忘れてしまう。
やがてまだ早いとは思いながら北西の空を覗いてみると、曇りというほどでもないが、晴れとも言えない薄雲の拡がりが気になる。読みさしの本をとって聞いてみても、どうも北西の空に気をとられていつものように実が入らない。いっそその方に専念した方がと思って今日また新しくセットし直した感触のいい寝床に入ってしまう。そして電燈を消して専ら北西の空に見入っていたのに、ついに一つの流星も見えないままいつのまにか眠ってしまった。
夜中になって目を醒ましてみたら、空は前よりもいっそう曇っていたし、どうやら時間も過ぎかけたようなので、残念ながら諦めることにする。
考えてみると、これで一九七二年十一月八日、八十二歳と百六十何日自かの私のコマ鼠生活の一日も終わるわけだ。でもこんな他愛もない毎日だが、これから先もう何年続くことかなどと思う。そしてまた間もなく入る山のスキー場のことなど頭に浮かべながら、取り立てて言うほどの苦もなく楽もないような、割と安らかな気持でまた眠りにつくことにする。

まもなく定年を迎える団塊の世代(全共闘世代?)のひとり、最近身体・精神・意欲が衰え(壊れていく自分)を感じている小生にとって、セカンドステージを考える上での指針になるかと思っています。(こういう考えまずいかなあ?)

猪谷六合雄―人間の原型・合理主義自然人

平凡社

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ヘルマンヘッセ展

2006-04-23 05:20:03 | 文化
世田谷文学館で開催されている「画家と詩人 ヘルマンヘッセ展」にいってきました。
実はヘルマンヘッセは「車輪の下」位しか読んだことがないのですが、彼の水彩画はとてもすきなのです。
昔、ヘルマンヘッセの大ファンだった亡父のお抱え運転手兼鞄持ち(?)で、ヘッセの生まれ故郷カルプ(シュットガルトの近く)から、彼が晩年を過ごしたスイスとイタリアの国境近くのモンタニョーラ(ルガノ湖畔)までドライブしたことがあります。
下の本の表紙の絵はモンタニョーラからルガノ湖畔を望む景色です。
そこはとても美しい景色でした、

ヘッセの水彩画

平凡社

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車を運転しないのでドライバーの気持ちや疲労が判らない父と、ドイツ語が出来ない小生(父はドイツ語が出来た)の旅行で、つくづく親と一緒に海外でドライブなどするものでないと思った旅行でしたが、今ではいい思い出です。

会場には50点くらいの水彩画が展示されていました。モンタニョーラでの絵が多いのでとても懐かしかったです。
見終わった後、文学館内の喫茶店で、売店で購入した「ヘッセの水彩画」をボーツと見ながら、ドライブ旅行の時のことを思い出していました。

下の本は文庫版でとても手ごろなのですが、絶版で古本でしか手にはいりません。
でも是非手にいれてみてください。いい本です。

色彩の魔術―ヘッセ画文集

岩波書店

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スコット・クロスフィールド氏の死

2006-04-22 05:51:09 | Weblog
1950年代前半、アメリカの超音速記録レースでチャック・イェーガーの常にライバルであったテストパイロットのスコット・クロスフィールド氏が飛行機事故で亡くなりました。

以下YOMIURI ONLINE(読売新聞) - 4月21日12時49分更新 より

マッハ3初記録、米民間テストパイロットが墜落死

 【ワシントン支局】1960年11月、米国の民間テストパイロットとして音速の3倍(マッハ3)を初めて記録し、“世界最速の男”となったスコット・クロスフィールドさん(84)が、飛行機事故で死亡した。
 ジョージア州の山岳地帯で、操縦していた小型機が墜落、20日に死亡が確認された。
 AP通信などによると、クロスフィールドさんは、戦後、米航空宇宙局(NASA)の前身、国家航空諮問委員会(NACA)で民間人としてテストパイロットを務めた。その後、55年にNACAを離れて民間の航空会社に移り、60年に最速記録を樹立した。
 80歳を超えてもなお、市民パイロットとして定期的に飛行機を操縦していたという。


スコット・クロスフィールド氏は1953年11月20日、ダグラス・スカイロケットD-558-IIで、マッハ2の壁((2078 km/h i.e. Mach 2.005)を破りました。
直線的なX-1にくらべ、白い女性的な曲線のD-558-II、野性的なイエーガーと知的なクロスフィールド氏の活躍は、当時少年であった小生にとって心躍るものでした。
その後、クロスフィールド氏はスペースシャトルの元になったX-15プロジェクトに民間人テストパイロットそして開発者として参画しています。

昨年、ヒストリーチャンネルで放送された「エドワーズ空軍基地」のなかでも若いときの凛々しさとは違いましたが、矍鑠とした氏のインタビューを見ることができたのに・・・

ご冥福をお祈りします。
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先週末は講演会三昧でした。

2006-04-18 20:25:45 | 文化
4月15日(土)は仕事は午後休にして、新宿明治安田生命ホールで行われたJAXA主催の第25回 宇宙科学講演と映画の会に出席、宇宙科学研究本部教授の川口先生から「はやぶさ」のイトカワ着陸の講演を聞きました。
サブタイトルは-3億kmかなたに宇宙船をあやつる-
正直、その誘導技術の凄さに感銘を受けました。
「日本もやるじゃないか!!」

そしてもうひとつ感じたことは、会場を埋め尽くした人達の多くが小生と同じように頭の後ろが薄い人ばかりということ。多分JAXAのOBの方々なのでしょうけど、あのような素晴らしい話はぜひ中学生高校生に聞いてもらいたいです。
なにか仕掛けを考えなければいけませんね?

そしてその足でアストロノミー・パブに出席。内容は

ホスト:桜井隆さん
(国立天文台副台長 前太陽観測所長)
聞き手:矢治健太郎さん
(立教大学)
<テーマ>
「皆既日食と太陽研究最前線」

です。

3月26日、ぐんま天文台でインターネットによる皆既日食中継のとき、トルコの現地にいってらっしゃった桜井隆さん、そしてやはり現地にいらしていた アストロノミー・パブ世話人の縣さんから皆既日食直前のインターネット回線のトラブルの件について直接お聞きすることができました。
TV会議システムで,現地にいらしていた縣さんの顔を見ている小生としては、あのときの状況を非常に立体的に捉えることができました。
現在、国立天文台のホームページで皆既日食の映像がアップされています。

2006年3月29日の皆既日食(トルコにて撮影)(約11分)

この映像の中で日江井先生が「あっ!第2接触、セカンドコンタクト!」とおっしゃった時、ぐんま天文台の会場では落胆の声があがった次第です。
でもそのあとすぐTV会議用カメラで皆既日食を視ることができましたが。
アストロミーパブが終了後、常連の人達と「星と酒」の宴でさらに盛り上がったのでした。
楽しかった!


(左:桜井さん、右:矢治さん)

そして日曜日も実はある講演会に出かけたのですがそれは次の機会に書きます。
コメント (1)
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ラジオ講座「ヨーロッパ中世の修道院文化」

2006-04-15 05:56:17 | 文化
4月にはいり、何かひとつ新しい事を始めようということでラジオ講座を聞き始めました。

NHKカルチャーアワー 歴史再発見 ヨーロッパ中世の修道院文化

■放送期間 2006/4~2006/9
■放送日・時間 ラジオ第2=火 午後9:30~午後10:00
ラジオ第2=水 午前11:00~午前11:30 (再放送)

講師は中央大学の杉崎泰一郎先生です。
中世の修道院というと映画「薔薇の名前」の世界がすぐ思いだされます。
先生の講義の筆頭でも取り上げられています。(映画の舞台の設定は14世紀)
小生もあの映画を視て中世の魅力にとりつかれたひとりです。

薔薇の名前 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ

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しかし「薔薇の名前」のキリスト教一辺倒の世界と思われる中世も以前、杉崎先生の「欧州百鬼夜行抄―「幻想」と「理性」のはざまの中世ヨーロッパ」を読んだとき、あの中世がキリスト教一辺倒の世界でなくて、日本と同じようにさまざまな宗教習慣が混在している世界だときづかされたのでした。

欧州百鬼夜行抄―「幻想」と「理性」のはざまの中世ヨーロッパ

原書房

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そして最近読んだ本ですが、暗黒の中世が始まる直前の状況を描いた「古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?」は西暦476年西ローマ帝国の滅亡によってヨーロッパの中世が始まったような、単純なイメージをさらに打ち砕かれたのでした。

古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?

刀水書房

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ラジオ講座は2回目が終わったばかりですが、修道院の世界をとおって迷路のような中世の魅力に引き込まれつつあります。
そして今回もTalkMasterのお世話になっています。
最近、夜起きているが辛いのでもっぱら朝早くベッドのなかで聞いています。
中世の世界に浸るには、「文字」でなく「声」による知識の伝達が向いているようなきがします。

あともうひとつTalkMasterでのお気に入りはNHKラジオ「浪曲十八番」(木曜後9・30~9・55)を聞くことです。
落語と違ってほとんど聞くことができなくなった浪曲ですが、これからの「愛国の日本」には向いているのではないでしょうか?

 
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