視人庵BLOG

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Bunkamuraザ・ミュージアム「レーピン展『ブロガー・スペシャルナイト』」(2012/08/21)

2012-08-26 12:21:29 | 文化

 8月4日から10月8日までBunkamura ザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展」が開催されています。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_repin/index.html

以下、掲載している画像は主催者の許可を得て掲載しているものです。


 

 8月21日夜、いつも勉強させてもらっているブログ「青い日記帳」の告知で知った、Bunkamuraザ・ミュージアム「レーピン展『ブロガー・スペシャルナイト』」に参加しました。


 最初に山下裕二氏(美術史家:明治学院大学教授)、籾山昌夫氏(レーピン研究家:神奈川県立近代美術館 主任学芸員)、そしてナビゲーターとしてブログ「青い日記帳」の主催者Tak氏のトークがあり、後半レーピン展の鑑賞という流れでした。

 イリヤ・レーピン(1844-1930)については、中学か高校の教科書に載っていた「ヴォルガの船曳き(下左図)」位しか知りませんでしたので、お三人のトークから、レーピンについてオーバービューを知ることが出来、大変助かりました。

 トーク内容については、aohie (あお ひー)氏のブログ「あお!ひー」が参考になります。


「ヴォルガの船曳き」の習作数点が今回展示されています。

 

 

 イリヤ・レーピン(1844-1930)は帝政ロシヤ時代からロシヤ革命を経て、スターリン体制の時代までの激動の時代を生きた画家です。
 下の絵はトークの中で紹介されたものです。1950年代の旧ソ連における、国民的な画家レーピンへの評価を読み解く事例とのこと。帝国ロシア時代のヴォルガ河での過酷な状況は、旧ソ連時代になって、窓の外に見えるヴォルガ河の近代的な運行に変化したと読み取れるようです。

  

 今回の展覧会には約80点の絵がきていますが、その多くは肖像画です。
どの絵も「巧いなぁ!」と素直に思いました。描かれているご本人を、レーピンが描いている時に立ち会って、絵と見比べたら「本人そっくり!」と発声したかもしれません。
 視ていて、ふと高橋由一が描いた明治の元勲の肖像画を思いだしました。高橋由一(1828-1894)のほうが年上ですが、肖像写真が普及しはじめた1880年代に描かれた肖像画のリアリズムに惹かれます。

 

レーピンは右下の「皇女ソフィア(1879)」の絵のような歴史画も描いています。トークのなかでも「怖い絵」ということで話題になっていました。いろいろと読み解くことが出来そうな絵ですが、小生は"怖い女性"は苦手なのでパスm(..)m

 

やはり中央の「ワルワーラ・イスクル・フォン・ヒルデンバンド男爵夫人の肖像(1889)」や右端の「ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像」そしてレーピン展のポスターで紹介されている「休息-妻ヴェーラ・レーピナの肖像」のような美しい女性像に惹かれます。

 

 ワルワーラ・イスクル・フォン・ヒルデンバンド男爵夫人の肖像( Portrait of Baroness Varvara Ikskul von Hildenbandt 1889)。
 山下氏は「この上から目線がイイ!百済観音のようだ。中年男性にはたまらないのでは?」とおっしゃていましたが、小生も"中年時代"なら、この”上から目線”に惹かれて、何度もこの絵を視に会場にかよったのでは?と思います。しかし齢60半ばになると、AKBの”上から目線”の彼女たちに安らぎを覚えます(笑)

そして、小生は左側の絵に目が釘付けになりました。

 

  この絵には「パリのペール・ラシェーズ墓地内のコミューン犠牲者の壁の前における年忌追悼集会(1883)」という題がつけられています。
 「レーピンがパリ・コミューンの絵を描いていた!?」
 驚きでした。
 高校2年の夏、パリ・コミューンを描いた大佛次郎の「パリ燃ゆ」を一気に読み通し、大佛次郎の歴史小説の魅力の虜になった小生としては、感動ものです。

 

 

 レーピンがパリに留学していたのは1873-76年ですので、直接パリ・コミューン(1871)に立ち会った訳ではありません。
 この絵はホームページ「ロシア美術資料館」に紹介されているレーピン:大月源二著 人民文庫 青木書店 1953年」によると、1883年2度目のパリ訪問で遭遇した、パリ・コミューン犠牲者の追悼集会を描いたようです。

 ペール・ラシェーズ墓地のこの壁の前で、パリ・コミューンで政府軍に反対した多くの市民が政府軍の手によって虐殺されました。

 パリ・コミューン Commune de Paris[ フランス ] 1871年3月18日パリに成立した民衆的革命政権。
  第二帝政末以来の民衆運動,普仏戦争の敗北,国防政府への不満などを背景に,国民衛兵中央委員会がパリの支配権を握った。そのもとでコミューン議会が選出 され,ヴェルサイユに脱出した政府と戦いつつ民衆の要求に応える施策を展開。「血の1週間」とよばれる市街戦の後5月28日鎮圧された。マルクス主義的視 角から史上初の労働者政権と評価されてきた。(角川世界史辞典より)

 

下右端の絵には「思いがけなく」という題がつけられています。
レーピンが1884年から88年にかけて描きあげた大作です。レーピンは肖像画など、テーマによっては僅か数日で描きあげてしまう画家でした。
この絵を描きあげるのに4年という歳月をかけています。
19世紀後半、帝政ロシア時代の裕福な家庭に突然戻ってきた、政治運動に係り投獄されていた男への家族の驚きが描かれているようです。

 

「思いがけなく(1884-1888)」
この絵を読み解く鍵が「「パリのペール・ラシェーズ墓地内のコミューン犠牲者の壁の前における年忌追悼集会(1883)」のなかにあるような気がします。

 

P.S.
 音楽家クロード・アシル・ドビュッシーは1862年8月22日に生まれました。彼が8歳の時、パリ・コミューンがあり、彼の父親も政府軍に反対して闘ったため、逮捕され牢獄に繋がれていました。

 19世紀後半、世紀末の芸術運動に、パリ・コミューンがどのような影を落としているのか?
興味深いです。

 

 「レーピン展」。小生にとっては意外な発見がありました。

 でもまずは美しい、高貴な女性たちの肖像画を視にいかれると良いと思います。

 

Bunkamuraザ・ミュージアム「レーピン展『ブロガー・スペシャルナイト』」の情報を教えていただいた、ブログ「青い日記帳」の主催者Tak氏に感謝します。
 

展覧会概要
 「国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展」
会期:2012年8月4日(土)~10月8日(月・祝) 開催期間中無休
開館時間:10:00-19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日21:00まで(入館は20:30まで)
会場:Bunkamuraザ・ミュージアム(渋谷・東急本店横) 
http://www.bunkamura.co.jp/
主催:Bunkamura
後援:ロシア連邦外務省、ロシア連邦文化省、在日ロシア連邦大使館、ロシア連邦文化協力庁、ロシア文化フェスティバル組織委員会
協力:日本航空
企画協力:アートインプレッション

巡回先:
浜松市美術館 2012年10月16日(火)~12月24日(月・祝)
姫路市立美術館 2013年2月16日(土)~3月30日(土)
神奈川県立近代美術館 葉山 2013年4月6日(土)~5月26日(日)

 

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