視人庵BLOG

古希(70歳)を迎えました。"星望雨読"を目指しています。
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オタクに未来はあるのか!?―「巨大循環経済」の住人たちへ

2008-06-14 06:26:45 | 読書
オタクに未来はあるのか!?―「巨大循環経済」の住人たちへ
森永 卓郎,岡田 斗司夫
PHP研究所

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"オタク"と自認する評論家、森永卓郎氏と岡田斗司夫氏の対談をまとめたもの。
森永卓郎氏の序文から、最後の岡田斗司夫氏のコメントまで、30分くらいで読める本。
格差社会の対立する(?)上層下層の相互監視体制(フーコーのいうところの監獄(パノプティコン))が現実になった"携帯"ネット社会における「檄文」といえるのでは?


P002
序文
メイドブームがピークを過ぎて、今オタク産業が転機を迎えている。 これまでは開店すれば行列のできた秋葉原のメイド喫茶も、閑古鳥の鳴く時間帯が出てきた。
  オタク人口が減少しているのだろうか。
  いや、そうではない。いわゆる「萌え」を欲する人の数は、増えている。
「萌え」が発生する原因ともなった人たち。つまり、「人間の女性との恋愛に恵まれない男性」 は増え続けている。新聞とかの統計を見ても、もはや30歳代前半男性の過半数が非婚になっているというデータもある。
 経済の弱肉強食化が進むなかで、所得格差の拡大以上に問題なのは、恋愛の機会の格差の拡大だ。一部の金持ちやイケメンが女性を独占することによって、しわ寄せがくるのは、決まって「オタク層」である。世の中の大部分を占める、金持ちではなく、そしてイケメンでもない男性たちが恋愛の機会を奪われているのが、現実なのだ。
そういう意味では、これからのオタクは、その現実をいかに克服するかに、ベクトルを向けていくのではないだろうか。
「メイド喫茶」や、「恋愛シミュレーション」の萌えではなく、もっと「リアル」な萌え。
 言うならば、「萌え」の彼方にある「ネオ萌え」 を希求していくと思うのだ。
 今までのオタクは、社会的意義を相対化、要するに無力化することに情熱を傾けてきた。しかし、これからは違うはずである。今後、オタク産業はむしろ社会的存在意義を高めていくのではないだろうか。
  人間はひとりでは生きていけない。
  今のオタクたちは、そのことを痛感している。リアルなコミュニケーション、リアルな恋愛が 大切なのを実感している。
  だけど、生身の人間の女性が、そう都合よく相手をしてくれないこともわかっている。という ことは、「メイド喫茶」以上の、より精度の高い「リアル疑似」が構築されないといけない。
メイドやゲームに飽き足らなくなったオタクが、その恋愛のパワーを振り向ける対象が必要となっていくだろう。その対象こそが、「リアル疑似」であり「リアル疑似」がもたらす「ネオ萌え」なのである。
 だから、今後ますますオタク産業が重要になるはずだ。今の世の中は、格差社会が当たり前になってきている。そう、それは、オタクとしての必要条件とも言える、それほど金持ちでもないし、それほどイケメンでもない男性が増加しているということ。
 オタク産業にとって、それも重要な事実だ。

森永卓郎




P157
岡田
 この10年間でのおたく業界の最大の変化は、ネット化と、メイド喫茶、この二点に尽きる気が します。つまり環境化がキーワードなんです。唯物的とでも言いますか。作品という架空の世界 に自分を投影するんじゃなくて、架空のものが現実となる世界を欲している。実際に自分がその気になれば体験できるもの。それを、「リアル」と感じている気がするんです。だから、今のおた くの「リアル」は、現実世界に降りてきていると思います。
  その一例が、アキパっていう街であるとか、メイド喫茶っていう場であるとかですよね。アキバに行けば、そこにゲームや、パソコンや、路上アイドルがいる。メイド喫茶に行けばメイドがいる。そんな感じですね。
極論ですが、今のおたくは唯物的であり、対象物が物質世界に降りてこないとダメだから、もう作品というものは必要としてないんでしょうね。
 これからのおたくの定義というのは、若干ややこしくなると思います。作品を中心とした興味のあり方ではなく、つまり、特撮を研究するとか、アニメを見るとか見ないとかじゃなくて、もっと現実にシフトしていくはずです。
 彼女がいないという基本ラインは変わらないとしても、彼女がいないかわりに「萌え」がある、
仲間がいないかわりに「ネット」がある、といった感じになっていくと思うんです。
 今の「萌え」は、喫茶店や、路上で、現実に存在しているわけですし、「ネット」の仲間意識は半端ではないですからね。
  そして、そういう人口は増えます。
「今のおたくは、作品のリアル化より、現実のファンタジー化を求める」
  これがおそらく、まさに今のおたくの定義でいいんじゃないかな、暫定的な2008年版の定義としてですけれど。
 そういう人たちはたぶん、現実に彼女や友人を作っても、物足りなく感じてしまうんじゃないでしょうかね。現実の彼女はメイドではないし、路上でパフォーマンスもしてくれませんから。
彼らは退屈で満足できないんだと思います。現実の人間のスピードの遅さと反応の悪さにね。


~終り~



コメント
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