こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

零戦52型 その1

2010-05-08 23:45:51 | Weblog
零戦最大の生産数を記録した52型の製作に入りました。

既に胴体・主翼の塗装は完了していたので
主脚とカウリングの塗装と組み立てを行いました。

その後、燃料注入口や翼端灯などを塗装したので残る組み立ては
プロペラと風防程度だと思います。

52型の全幅は、21型の12mから32型では11mになり、再び22型で12mに戻りましたが
再び11mになりました。
ただし同じ11mでも32型の様な翼端が矩形ではなく、円形に成形されてます。
このため、アングルによっては主翼が短くなった印象を受けません。

主翼が短くなった事で急降下時の最大速度が向上していますが、
同時に空中分解対策として主翼の外板の厚みが僅かに増えています。
これは戦闘機同士の戦いにおいて格闘戦の終焉を意味している事でもあり、
零戦は52型になって、初めて高速での一撃離脱向けへの方向転換とも考えられます。

しかしながら従来の軽快な運動性を好むパイロットからは鈍重と判断され、
あまり好まれなかったという話も本で読んだ記憶があります。

弱点でもあった防御力の貧弱さに関しては、この型でも改善はされておらず、
52型の初期型には防弾設備も燃料タンクの消化装置も付いていません。

52型には、甲・乙・丙等のサブタイプが存在します。
これより先は52、52甲を優先して完成まで漕ぎつける予定です。
(写真には52丙が2機混ざっています)

余談ですが、零戦と同時期に陸軍で生まれた一式戦闘機・隼は
性能こそ零戦より劣っているのですが、最初から防弾装備が施されておりました。
日本の航空機は一撃で引火すると思われているようですが、
必ずしも全てがそうではなかったのです。

零戦22型 その3

2010-05-08 19:16:37 | Weblog
22型の2機が完成しました。

手前の機体が、昭和18年8月 ニューブリテン島ラバウルに展開していた
201航空隊飛行隊長 河合四郎氏の乗機。

奥が昭和18年6月 ブーゲンビル島ブインに展開していた582航空隊飛行隊長
進藤三郎氏の乗機になります。

当初、片方を22型のマーキングにするつもりだったのですが、両方とも22甲型でした。
(手前の機体は22型として製作したので誤りになってしまいました)

22型は生産数も少なく、ソロモン方面に多く展開した様で
現存する写真の多くが同時期に同方面で撮影された物が多いようです。
その為、今回の2機は似たような雰囲気になってしまいました。

今回、21型~32型~22型と作りましたので次は最多生産数を誇る52型です。
同時製作で進めてきた零戦も残り4機となりました。