こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

最近の俺

2007-10-31 19:52:01 | Weblog
仕事の合間にメール書いてるんじゃなくて、メールの合間に仕事してる(爆)

つくづく自分の仕事が、デスクワークと動き回る仕事=50:50で良かったと思う。

おそらく軌道に乗れば楽になると思うから、もう少しの辛抱だね。

今日はちょっとバテ気味なので短いけど終わり。(あはははは)

今日の出来事

2007-10-30 15:35:36 | Weblog
つい先程、自分の開発した物が正式に社内で製品化(生産)される為の
全ての手続きが完了しました。

足掛け3年位でしょうか。
当初の予定よりも多くの注文が出た為に、度重なる生産量の変更に伴い
修正すべき事柄が発生し、こんなに長い戦いになるとは。。。

物を売ってお金を儲けるって、物凄く大変な事なんだと実感。
年齢の増加と共に責任も大きくなるわけで(その割に給与は増えてないぞ)
色んな意味で勉強になりました。

学校って場所は勉強を教えてくれる所だと思うのだけど、
実際には社会に出てからの方が勉強する事は多いよね。
その時に備えて、基礎的な事を学ぶのが学校って場所なんだろうな。
(え?今頃、気が付いたのかって?)

勉強が嫌だから社会に出ると言うフレーズを聞くけど、
実は、それは全く逆で有る事を知ったのは何歳の頃だったかな。。。

何はともあれ、今日は自分を褒めてやろう。
同時に、また一人連絡の取れる同級生が見つかったと連絡を受けた。

酒を飲む理由が1日に2つも重なったんだ、
今日は発泡酒は止めてビールを買おうと思う!

さて、一服したら次の仕事にとりかかるべ~

だんだん増えてくると

2007-10-29 19:42:10 | Weblog
なかなか情報の伝達やら管理が大変になってきますな。
これは嬉しい悲鳴でもあるのですが、誰に何を書いたか混同するし、
更に増えた場合の対策を考えねばいけない時期が早々に来るかも知れぬ。

先生との文通も手紙を出して戻ってくるには約1週間が必要だから、
改善したいのだが・・・ネットも使わぬ先生には無理な話なんだろうね。

俺、先生のことだから、バリバリのネット・サーファーかと思っていたんだよ。
だってさ、今ってネットを通じて日本はおろか世界中の教育者と繋がれるし、
色んな学校の教育に関する情報だって得られるじゃんか。

まさか霞を食べて生きてる仙人になっているとは・・・・
ま、気長に頑張るよ。

急展開だ

2007-10-28 19:14:29 | Weblog
連絡の取れる同級生が2桁に達した記念とでも申しましょうか。
先生へも我々が本気で同窓会を企てている事を理解して貰う為、
本日、先生へ手紙を出しました。

今回は、何度か話題になった先生へも疑問点も質問として書いたので、
返事が到着次第、皆様へ報告するね。

んじゃ、またね。

経過報告書(時系列)

2007-10-27 13:24:45 | Weblog
8月24日 1)先生が居るであろう小学校を確認(電話するも既に他の小学校へ移動していた)
        現在の勤務先を教えて貰い、学校へ先生宛でメール
     2)ゆび○まへ下福田小卒業で登録するとS谷君が既に登録している事を発見
        サイトを通じメールすると1時間も経たないうちに返信が届く

8月25日 1)先生からは返信なし。学校側で受信されているのか確認のメールを入れる。
        同時にFAXでも手紙を送る。
     2)S谷君と記憶を辿りながら、当時のクラスメートをリストアップ開始
        苦労しつつ約30名は思い出した。
        
8月26日 1)S谷君から現在でも交流のあるH野君の番号を教えて貰いコンタクトに成功
        この時点で自分を含め、連絡の取れる同級生は3名

8月27日 1)遂に先生より返信メールが届く。元気そうで安心した。
        こちらから再びメールを送るが音信不通になる
     2)H野君がS君の連絡先を知っているとの事
        ここで確実に連絡の取れるクラスメートは4名へ
     3)早くも第一回の宴会開催が計画され始める

8月30日 1)S谷君からT中さんの連絡先をGET、コンタクトに成功
        この時点で自分を含め、連絡の取れる同級生は5名へ

8月31日  1)H野君が卒業アルバムを発掘!当時の全員のフルネームが判明。
   
9月1日  1)夕方、高座渋谷にてH野君と合流し、下福田小学校を見物。
     2)自宅を記憶しているクラスメートに限り、周囲を探索し実家の現存有無を確認
        既に実家が存在しない人が何名か居る事を知るが、
         なによりも痛恨だったのは・・・(ここは省略)
     3)S君と合流し、高座渋谷駅へ向かう途中でY口が居るらしい店へ立ち寄る
        1km先からでも間違えようがない程、かわっていない姿に呆然
         連絡先はGETしたので、これで6人目が見つかったことになる。
     4)電車に乗り大和へ移動、適当に飲み屋に入り宴会投入
        S谷君が若干遅れて参上、大爆笑の連発で宴会は無事終了

9月7日  1)近況報告と連絡の維持を目的に先生へ手紙を書く。
        あまりに多く書きすぎて切手は+10円が必要になった。

9月14日 1)先生より手紙の返事が届く(内容はブログへUP済だね)

9月21日 1)T中さんへ第二回宴会宴会でもする?と口説きにかかる。

    

10月23日 1)H野君がY田さんの連絡先をGET!
     2)T中さんを通してコンタクトしてもらう。
        連絡の取れるクラスメートは7人になる。 
     3)第二回目の宴会日程の調整に入る

10月26日 1)Y田さんがY池さんの連絡先をGET!コンタクトに成功
        8人目の所在が判明する。
     2)夜、Y池さんからHさんとの接触に成功した連絡が入る。

          
先生発見から同級生探しを始めて約2ケ月、ありがたいことに皆様のご協力で
全45名中の20%に相当する9名が揃いました。

今日は天気も悪いので自宅でまったりしてるS田でした。
ではでは。     

凄い!凄すぎる!!!

2007-10-26 20:36:20 | Weblog
本日、我らのクラスメートが新たに2名発見された模様です!

これで9名(更に1名が近日中に見つかりそうとの事)

これって凄い事だよね。
ここまで来たら意地でも先生を担ぎ出さないと俺は死刑だな・・・
うっしゃあ、頑張るぞ~~~!!!

巨人の国から、こんにちわ。

2007-10-26 15:53:42 | Weblog
この試合は、既に我々が高校生以上の頃だと思う。
色んな意味で忘れられない凄いファイトだったので書いちゃうね。
(格闘ネタは書き始めたら止まらない)

刺客の名前は、ラジャ・ライオン(パキスタン空手の使い手)
デカイ!とにかくデカイ!
相手のG馬場よりもデカイ。(2人共、身長2mを超える巨人)

既に試合前から結果は想像していたが、ゴングが鳴ると期待以上の凄さだった。
あまりに凄くて全然覚えてない・・・(爆笑)

まるでスロー再生かと疑うようなスピード感に溢れた試合展開に
僕はTVの前から離れる事が出来なかった。

試合は馬場の勝ち(寝技でギブアップしたと記憶)
かなり短時間での決着だった事は覚えてるが、
どんな攻防が展開されたのか記憶は皆無。。。

実は、この試合で一番覚えているのは試合終了後の出来事。
ラジャのセコンドを勤めていたのは、タイガー・ジェット・シンでしたが、
試合終了直後にリングへ乱入し、馬場を襲撃したのである。

ところが・・・暴れ狂うシンは、何故かラジャへも暴行を加えました。

おそらく会場に駆けつけた納得のいかないファンを代表し、
怒りをストレートに爆発させたのがシンだったのだろう。

忘れられない迷勝負だったよ。
ああ、格闘技万歳!

最強は誰だ!

2007-10-25 12:10:34 | Weblog
あの頃、プロレスは毎週欠かさず見てたね。
忘れられない選手、試合は枚挙に暇が無いのだけど、
当時熱狂した一つが、燃える闘魂!アントニオ猪木の格闘技世界一決定戦シリーズ。

その中でも最も印象が強く、内容が素晴らしいかったと思うのが
ザ・モンスターマン・エベレット・エディとの試合。

この試合は、夏休み中に行われた。
僕は父親の故郷、山梨でこの試合の中継を観たから間違いないと思う。
(何年に行われたのかは記憶にない)

モンスターマンは当時日本に上陸したアメリカプロ空手(マーシャル・アーツ)の
ヘビー級チャンピオンで、同時来日したライト級チャンピオン
ベニー・ザ・ジェット・ユキーデと共に人気者だった。
(最強対決と呼ばれた、ベニー・ユキーデVS藤原敏男の試合も結局実現しなかったね)

さて、モンスター・マンと猪木の試合だが・・・
(この試合、マーシャル・アーツの1R2分で全12Rのスタイルだったかな?)
試合の主導権を握っていたのはモンスターマンだったと思う。

速射砲の様なパンチ、強烈なニールキック、一度足を上げたら着地せずにハイ・ローへ2発の蹴り。
怪鳥キックと呼ばれた必殺の飛び蹴りは、猪木を何度もダウンさせた気がする。
僕が猪木が負ける???と思ったのは、異種格闘技ではこの試合だけだ。

あ、でも僕が応援してたのはモンスターマンの方だったから、
立ち技系が寝技系のプロレスを完膚なきまで叩く姿に大喜びして観てたよ。
プロレスは大好きだったけど、キックボクシングは更に好きだったから。

ところが・・・何ラウンドか覚えてないけど、フラフラになった猪木に捕まってしまい、
モンスターマンはパワーボムみたいに落とされ、大の字になってしまった。
しかも勢いに乗る猪木は倒れてるモンスターマンにギロチンドロップまでしやがった!
(この試合、ダウンした相手への攻撃は反則だった気がするんだが・・・)
あれだけ優位に試合を進めながらの敗北だった。

その後、モンスターマンは再び猪木と試合をしたんだけど、
善戦するも最後にはやっぱり投げられて大の字になりKO。
敵討ちにアメリカからはランバー・ジャックと言うマーシャルアーツの選手が
猪木と対戦するが、やはり最後に見たのは大の字になったランバー選手でした。
(モンスターマンの方が断然、彼よりも実力が上だった)

所属団体や競技の垣根を越えた試合は本当に素晴らしいと思うのだけど、反面、凡戦も起こり得る訳です。
そんな中で、あれだけ強く素晴らしいファイトを見せてくれたモンスターマン。
僕は彼を弱いとも思わなかったし、その勇気に敬意すら感じる今日この頃です。

小5~6とは関係ないが

2007-10-24 10:59:52 | Weblog
大場政夫が僅か23歳で生涯を終えたのは、僕が小学校に入学した頃。
残念ながら、彼の試合に関する生の記憶は全くない。
自分にとっては伝説のボクサーだ。

事故が起きたのは首都高5号線の大曲のカーブ。
彼の愛車、コルベットのメチャクチャに破壊された写真は衝撃的だった。
この当時、日本にコルベットは2台しか存在せず、もう1台の所有者が
昨日のネタの主人公、沢村忠だったそうな。
(この事件後、彼はコルベットを手放しているらしい)

大場政夫に関する書籍も出版されているが、極貧の幼少期は想像を絶する凄まじさ。

はっきりと覚えていないのだけど・・・
おかずの無い食卓や、一杯の納豆を家族で分け合い食べる描写があって、
お椀に残った納豆を末弟が舐める特権(!)を持ってたなんて部分は思わず泣けてくる。

小さな頃に真似事で始めたボクシングはいつの間にか夢への実現手段になっていく。
大金持ちになって両親へ家を、兄弟の学費を、大好きなスポーツカーを手に入れる。
世界チャンピオンになり、5度の防衛を果たし、スリリングな試合展開に
日本中は熱狂したそうだが、突然の事故死だった。

本には彼の死後の様子も書かれているのだけど、
自称フィアンセを名乗る女性が何人も実家を訪ねて来たりして
週刊誌やワイドショーで大騒ぎになったこと等が書かれていました。
(この辺りの内容は読んでいて俺を非常に複雑な気分にさせる)

大場政夫に関して忘れられないのは・・・
僕の以前に勤めていた会社の先輩に伊豆で旅館を営んでいる人が居るのだが、
大場が試合の前に伊豆でキャンプをした際に宿泊した事があったと言う話。
どこまで本当の話か判らないし、勘違いも有るかと思うが、
その頃の大場選手は世界チャンピオンになる前だったとの事。

旅館のトイレで隠れてタバコを吸ってたそうだ(笑)
当時、子供だった会社の先輩がサインをねだると
”世界チャンピオンになったら書いてやる”と笑いながら答えたそうな。

実際にチャンピオンになった後にもキャンプで宿泊しに来たそうで、
その時に書いてもらったサインは現存していると聞きました。
(カレンダーの裏かなにかに書いて貰ったそうだ)