こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

宴会直前に一発!

2007-11-30 17:05:31 | Weblog
ひとつ思い出したぞ。

先生、ワーゲンに乗ってたでしょ?実は丸い車好きだったんだよ。

学校の先生からスバル360の話を聞いた事を思い出したのだが、
それは学生時代の先生の愛車の話だ。(多分、間違いないと思う)

この話、貧乏学生だった先生がドライブに出かけた時の笑い話なのだけど、
走行中にボンネットのフックが外れて、ボヨヨ~ンと跳ね上がり、
視界ゼロのまま決死のドライブをしたって言う話だった。

因みに俺も25の頃に乗ってた車が走行中に同じ現象を起こし、
助手席に乗ってた同僚は、二度と俺の車には乗らなくなった。。。

明日は盛り上がろうね!
因みに、このログはちょうど100個目だよ。

隠しネタ

2007-11-28 22:14:24 | Weblog
いつ知ったかは宴会の時に暴露するとして・・・
(別に隠すような理由じゃないんだが)

先生にはお子さんは2人居るそうだよ。
当たり前の話かも知れないが、既に成人しているらしい。

最近、更新ペースが落ちてる&短い日記みたいな記事が多くてごめんね~

実は・・・今日もこれで終わりだったりする(爆)

行ってきました予防接種

2007-11-27 23:08:09 | Weblog
今日は速攻で会社を出て、子供を連れてインフルエンザの予防接種にGO!

いや~、病院が混んでて驚いたわ~、この時期は風邪が流行るんだよね。
注射受けに行っただけで、他の人から風邪移されそう・・・

注射は子供のかかりつけの小児科で一緒に受けたんだけどさ、
痛いからかね?注射をすると先生が風船をくれるんだよ。

今日もウチの坊主は風船貰ってたよ。
え?俺?俺にはくれなかったな~~~なんでだろ~~。

時代劇

2007-11-21 16:35:33 | Weblog
子供の頃、時代劇は好きじゃなかったのだけど、
この作品だけは面白くて毎週見てた。
ちょうど小学5年生の時のNHK大河ドラマ”黄金の日々”

主人公、ルソン助左衛門(字が間違ってるかも)を演じたのは
若き日の市川染五郎(現:松本幸四郎)でした。
でも、この作品で最も印象が強かったのは以下の2名。

一人は川谷拓三が演じた「杉谷善住坊」
織田信長の命を狙う鉄砲の名手として信長を狙撃するも失敗。
一転してお尋ね者になるのですが遂に捕縛されてしまいます。
最後は首から下を地中に埋められ、晒し者とされ
竹で作られた鋸で首を少しずつひかれて殺されてしまう。(のこぎり引き)

このシーンは残酷さと共に強く記憶に残りました。
以降、川谷さん→善住坊のイメージが自分の中で固定。
(いつもまにか、ど○兵衛のCMの方が印象が強くなったが・・・)


もう一人がご存知、天下の大泥棒「石川五右衛門」
(誰が演じたのか当時は知らなかったが、後に根津甚八だったと知る)
劇中では晩年の秀吉を襲撃し指名手配、そして最も印象に残っているアノ場面
”釜茹での刑”をTVで見た時の衝撃は鮮明に覚えてる。

当時、このシーンをどう見せるかが話題になった。
これに関しては新聞にも掲載されていた気がする。

で、肝心の主人公は・・・上記の2人とは仲が良くて、
助け合ったり、庇い合うシーンも覚えている。
ところが・・・肝心の最終回の記憶が極めて曖昧。
最後には海外(ルソン)で暮らしたんだっけ?
貿易商人になる夢を失い、海外に安住の地を求めたような気がする。

信長を演じた高橋幸治、秀吉役だった緒方拳、この2人も記憶に残ってる。
(他にも、栗原小巻が出てた。)

2009年度の大河ドラマに主人公は「直江兼続」。
伊達政宗を子供扱いし、徳川家に敢然と挑戦状を叩きつける。(直江状)
さてまた、閻魔大王に手紙を出したり・・・

写真は彼が愛用していた兜、愛染明王にあやかり「愛」の字が前立てについてる。
秀吉の朝鮮出兵時には渡海し、たくさんの書物を持ち帰ったそうだが、
その中には、世界で一つしか現存しない宋の時代に書かれた「史記」も含まれている。
(これは現在、国宝として認定されている)

こりゃあ、今から放映が楽しみだわ~。


今日は寒い

2007-11-19 17:17:25 | Weblog
寒い、なんて今日は寒いんだ。
(間違いなく、この冬一番の寒さだと思う)
玄関を開けて外に出た瞬間、家に戻ろうかと思った。

そういえば学校には、石油ストーブが有ったね。
点火時と消火時に、イヤ~な臭いがするストーブ。
冬場には牛乳を暖めて飲んだりしたぞ。
渋小時代は毎年の様に生徒が増え続けたせいで、
プレハブの教室で過ごした時期があったが、あれは半端じゃなく寒かった。

あのストーブ、元々は電気着火式だった筈なのだけど、
あまりにも古いので、先生がマッチ(ライターじゃないよ)をすって、
上部の蓋を外して投げ込んで点火していた。
(下福田時代は電気着火だったような・・・)

高校時代も同じ形のストーブだった。
ただし、暖める物は牛乳なんて健全な物じゃなくて「あたりめ」
これを休み時間に焼いて食べるのが冬場の楽しみでした。
雨の日には皆が濡れた靴下を干すので、教室は阿鼻叫喚の地獄になりました(爆)
学校が貧乏な為、ストーブは2時間目までしか使ってはいけないルールがあるのだが、
当然、誰もそんなルールは無視!(午前中はボ~ボ~と燃やす)
石油は週に1回の配給制だったのだけど、2日ぐらいで空っぽ。
従って、放課後は他のクラスに忍び込んで石油を強奪。

会社で働くようになって、流石にアノ石油ストーブは見なくなった・・・
と言いたい所だが、古い建物に1台だけ有りました!
ちょうど皆でそのストーブを囲んで休憩してた時の事です。
”ボン!”と言う炸裂音が・・・
なんと防寒着のポケットに入れてあった100円ライターが熱で爆発したのでした。
幸い怪我もなかったのだけど、必要以上にストーブには近づいちゃ駄目(本日の教訓1)

もう一つ思い出した。
当時、田舎に掘りごたつが有ったのだけど、
たまにコタツの中から朦朧とした足取りの猫が出てきました(一酸化炭素中毒)
掘りコタツには長時間、篭ったら駄目(本日の教訓2)

では、また。

ひとつ謎が解けました!

2007-11-16 17:19:45 | Weblog
以前にカルメ焼きが下福田時代の我がクラスで流行ったと書いたけど、
もう一度、作り方から考え直してみました。

遂に謎が解けました!!
これは理科の授業でK先生から教わったものです。(間違いない!)

カルメ焼きには重曹を使うのがミソ。
砂糖を熱して液状にしたら、火から離して上手いタイミングで重曹を入れる。
これが、ふっくら仕上げる決め手になるのですよ。

重曹:正式には炭酸水素ナトリウム(化学式は 2NaHCO3)
こいつは加熱すると・・・炭酸ナトリウム+二酸化炭素+水になる。
この二酸化炭素が出る事により、カルメ焼きはふっくら仕上がるんだよ。
そして適温にしないと駄目なのは、中をスポンジの様にスカスカにする為だ。

この反応は化学式で書くと、
2NaHCO3  → Na2CO3 + CO2 + H2O
(炭酸水素ナトリウム) (炭酸ナトリウム) (二酸化炭素)(水)

最初、これを教わったのは家庭科の時間かと思ったのだけど、
料理に関しては絶対に違う先生に教わってたので可能性ゼロ。

そして料理の授業でカルメ焼きは題材としては酷すぎる。

でもK先生と一緒に作った記憶は有る。
そして、この当時しか同じクラスにならなかった奴の家で再挑戦してる。

これらを合わせて考えたら、理科の実験だと気が付いた。
記憶だけだと曖昧な事も理論的に考えると判ることもあるんだね。
謎が解けるのはとても嬉しいぞ。

給食

2007-11-16 12:55:50 | Weblog
給食の時間は、机をくっ付けて班(?)で食べてたね。
牛乳は瓶で、近藤○乳、森○ホモ牛乳だった。
(多分、前者が渋小で後者が下福田だったと思う)

高校に通う頃になって、友人と給食の話題になった時、
我々の給食は結構、貧相だったことを知りました。
(給食関係者の方、ごめんなさい)

小学校~中学校の間、瓶入り牛乳以外は飲んだ事がないのだが、
高校の友人はコーヒー牛乳とかも出たよと言ってた。
他にもプリンだのイチゴ牛乳だの・・・

あの頃は、鯨の竜田揚げを良く食べた。
(俺は結構、あれが好きだった→当時は鯨だとは知らなかった)
それから、ソフト麺!なんだか伸びたみたいな不思議な麺でした。
やたら油っこい、揚げパン・・・
(高校の友人は、きな粉パンを食べていたと豪語していた)

そういえば1月に一度だけ希望献立と言う日があった。
これは他の学校で人気があるメニューが出ていたと思う。
(この日は、フルーツポンチとかが良く出てたね)

最も忘れられないメニュー・・・
これは、中学時代の給食だったかも知れないのだけど、
”もろきゅ~”が出てましたな。
8cm位で縦に切った胡瓜と味噌・・・
(味噌はモロミだったかは正確に覚えていないけど)

これを友人に話したのは大失敗でした。
(いやいや、他の学校でも当然食べてると思っていたのですよ)
それから散々に馬鹿にされた。
なんで学校給食でおつまみが出るんだ!お前はおかしい!等と罵倒された。
(いや、おかしいのは俺じゃないだろ?)

この当時、もろきゅ~の名前の由来を知らなくて、
皆で考えた結果、出た答えは・・・”モロに胡瓜”だから。(爆)

給食の話は他にも色々と書けそうだ。
ところで、当時は先生も一緒に教室で食べていたよね?
(あんまり記憶にないな~)

なんのこっちゃ

2007-11-15 16:56:59 | Weblog
以前、H野君が言ってたけど、
ウチのクラスの男子、異常にイニシャルSが多いね。

全員が揃うと、区別が難しくなりそう。
ちなみに出席番号順でいくと・・・

SA×2君、S田(私)、ペッタンコS君(すまん)、S谷君、S木君、S田君
合計で6名がイニシャルS。
(私以外にもS田君が居ますな・・・)
因みに女子にはSさんは一人も居ません。

女子は?と考えたら、実はYが多いんですよ。
これまた順番に並べると・・・
Y田さん、Y本さん、Y池さん、Y田さん、Y田さんの5名。
(2人のY田さんは、どう区別すれば良いのだろう)

男子にもY田君、Y口君、Y川君がいます。

今は良いけど、表記の方法にも工夫が必要だね。


先生の事

2007-11-14 19:38:35 | Weblog
何度か手紙をやり取りして気が付いたんだけど・・・

先生は手元に我々の卒業アルバムが無いんじゃ。

そりゃあ、俺達から見れば小学5~6の担任はK先生が唯一の存在だけど、
先生はずっと先生をしていた訳で、その間に関わった生徒数は膨大なんだよね。

たった一つ、他の生徒と違って我々が有利なのは、初めての教え子だった事で、
先生にとって初めての卒業生って事だけなんだよね。

最初に先生の手紙を読んだ時、文面の内容を見て先生を凄く遠く感じてしまったのは
おそらく我々の顔を思い出せないからなんだと思いました。
だから、当たり障りの無い文章になったんだな~と少し判って来ました。
(一番、最近の手紙には皆の名前を見ながら顔が浮かんでくると書いてあったよ)

そこで・・・近日中にH君から卒業アルバムの写真部分をコピーして
先生へ送って貰う予定です。

これを見たら、先生は涙チョチョ切れて我々に会いに来るよ、きっと。