こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

カルメ焼きパート3

2008-01-25 16:25:19 | Weblog
そういえば・・・Jぺ~とコンタクトが取れてから、
ずっと疑問だった、例のカルメ焼きの真相を聞いてみました。

彼曰く、僕は理科クラブだったので、そこで教わった気がするとの事。

これが事実だとすると、理科クラブの担当は・・・
(アルバム見ないと判らないな)

因みに、Jぺ~は重曹を買って後々、自分で検討した事は記憶してるが、
Uちゃんの家に集まって作った事は覚えていないそうです。
(誰かの家で作った事は記憶していないらしい)

これはカルメ焼きがプチ・ブームで、すぐに忘れ去られたからなのか、
そもそも美味くない食べ物なのが原因なのか・・・
理由は判らないが、流行った事は覚えてるのに、
なんでこんなに記憶が断片的なんだろう。

この疑問、もしかしたら永遠の謎になるかも知れないね。


世界最強タッグ

2008-01-24 10:19:54 | Weblog
いや~、これは萌えた。
試合は6~8チーム位が数ヶ月かけて総当たりで争う形式で、
技も反則もメンバーも他の追随を許さない豪華絢爛なものだった。

かなり長い期間、行われていたんじゃないかな?
出場チームも相当な数になると思う。

1)ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田
2)ドリー&テリーのザ・ファンクス
3)大木金太郎&キム・ドク(タイガー戸口)の韓国コンビ
4)ミル・マスカラス&ドスカラスのマスカラス・ブラザース
5)アブドラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク
6)ワフー・マクダニエル(狼酋長)&パートナーは誰だ?
7)タイガー・ジェットシン&上田馬ノ介
8)ディック・スレーター(喧嘩番長)&リッキー・スティムボート
9)グレート小鹿&大熊もとし(漢字が判らん)の極道コンビ

他にも、キラー・トーア・カマタ(シークと仲間割れ後のブッチャーのパートナー)
ハリー・レイス、ニックボック・ウインクル・・・
ハンセン、ブロディー、スヌーカー等も出ていた記憶が・・・
天龍や谷津も出てたかな?人間風車、ビル・ロビンソンも出てた気がするが、
マスカラスのライバル、エル・カネックは出てたのか定かじゃない。

なにしろ、このタッグの難解な所は反則チームとの試合結果が大きく影響する点でして、
優勝候補チームが場外に引き摺り出され、両者リングアウトなんて結果になると、
たちまち順位が入れ替わってしまう。
そして、いつも全試合が●(負け)なのに毎年出てくるチームの不思議さ。
反則チームが何故か上位に食い込んでくる奇天烈さ。

やっぱ印象深いのはブッチャーだよ。

テリーの腕にフォークを刺したり、仕返しにドリー・テリーの2人に
片足づつを取られて、ダブルでスピニング・トー・ホールドされたり・・・
(ファンクスだけが激しく回転して締め上げていたが)

マスカラスのマスクを破ったり、ゴングと同時に猛然と襲い掛かる狼酋長、
ワフー・マクダニエルのトマホーク・チョップの連打で
試合開始から1、2分で血がブ~ブ~なんて試合も有った。
(ワフー・マクダニエル、好きだったな~)

大木金太郎とは互いに一歩も譲らない頭突き合戦。

いや~最高だ。
当時の映像を今見ると、どんな印象を受けるんだろうか?
(見ない方が良いのかな)

プロレスをショーとして捉えると、シングルマッチよりタッグの方が
ドラマがあって面白いのかも知れないね。

馬場がトップロープからフライング・ボディ・アタックを見せたのも、
この最強タッグの時かも知れないなあ・・・

暴かれた下半身

2008-01-22 17:05:43 | Weblog
いつ頃の事かハッキリ覚えていないのだけど、
今日は、黒い呪術師 アブドラ・ザ・ブッチャーの話題。

我々の世代では、ザクザクになった状態の事をブッチャーの額と形容すると
ほぼ100%の人が、どんな状態か理解してくれると言う程の有名人です。

先が妙に尖ってる(実際には先端は内側に丸まってるのだが)シューズを履き、
怪しげな空手のポーズと地獄突きを武器に、いつもTVの前で流血してたブッチャー。

そのブッチャーが、ある相手との対戦の時、
リングの上で、ダブダブのズボンを引き裂かれるシーンがあった。

まるで覆面レスラーが仮面を取られてしまう時にみたいに、
異様に興奮したアナウンサーの声だけは今でもハッキリ覚えてる。

「遂にブッチャーの足が、長い間、誰も見た事の無い下半身が露になります!」

この声に引き摺られる様に、僕はTVに釘付けになった。
既に、ブッチャーのズボンは膝上くらいまで破かれており、
時折、太ももが見える程度まで露出していた。

「ブッチャーの足が!初めて!初めて!見えようとしています!」
アナウンサーは絶叫していた。

この試合、どういう結末を迎えたのか覚えていないのだけど、
結局、ブッチャーのズボン全ては破かれなかった。
まあ映像的には、これで良かったと思うのだが・・・
(冷静に考えてみると、ブッチャーの下半身裸映像なんて見たくないからな)

この試合、相手は誰だったんだろう?
テリー・ファンクか?それとも”ケンカ番長”ディック・スレーターか?

一時期、ブッチャーとタッグを組んでいた”アラビアの怪人”ザ・シークも謎の人だった。
彼はプライベートを見せない事で有名だったのだけど、
雑誌ゴング(?)が独占スクープ写真!としてシークのプライベート写真を掲載した事がある。

その写真、ビルの屋上みたいな場所で上半身裸のシークが
腕立て伏せをしているようなポーズの写真でした。(絶句)

嗚呼、またプロレス・ネタを書いてしまった!



アルバム

2008-01-21 22:17:23 | Weblog
正月に実家からアルバムを持ち帰り、
暇な時に皆の作文を読んでいるのだけど・・・

これが結構、詳細を記してあって驚いてます。
こんな事なら5、6年の時に作成した文集を捨てるんじゃなかった~!
(卒業アルバムにも作文が掲載されていたのが、せめてもの救いじゃ)

修学旅行の正確な日時、宿泊先も判ったし、
キャンプの場所等も皆の作文を繋げていくと相当、細かい部分まで判明しそう。

文集とセットにすると当時の簡単な年表が作れるのかも知れないね。

はたの君に文集の復刻版を作成してもらい、1部貰おうかな・・・

キックの鬼

2008-01-18 16:06:02 | Weblog
立ち技系は、ここで一度終了しますね。
最後は最も好きなキックボクシングの事を書きます。

昭和40年代、日本で生まれたオリジナル格闘技
キックボクシングは空前の人気を博しました。

信じられない事に、キック中継は4つのTV局で放映されていたそうです。
帝王・沢村忠が所属していた日本キックボクシング連盟はTBS(6CH)でした。
(4つの団体が、それぞれのTV局で試合を放映をしていたと言う事です)

早々に解散した団体もあり、淘汰され残ったのが
沢村を要する日本系、藤原の居た全日本系です。

沢村の居た目黒ジムは練習生が500名を越えていたと聞くし、
彼が練習していると付近の道路が交通渋滞を起こしていたそうです。
(目黒ジムは雅叙園の近くにあります。現在は名称を藤本ジムに変えてます)

極真空手も早くから極真ジムを立ち上げ、山崎照朝、添野義二らが
キックのリングで闘っています。(この連盟のTV放映は短期間で終了したと思う)

変わった所では、”ホタテマン”安岡力也氏もリングに上がってます。

日本と全日本、沢村と藤原が居たからかも知れないけど、
最も層が厚く充実していたのはライト級だったと思う。
(前後のフェザー、ウエルター級にも凄い選手が大勢いました)

日本系には、富山勝治、伊原信一、亀谷長保、樫尾茂、飛馬拳二、稲毛忠治・・・ 
沢村は日本人とは2回対決した以外、怪しげなタイ人との試合が多かったのも事実だけど、
キックを人気スポーツにする為に毎週リングに上がらざるを得なかった事を考えると、
ある意味、納得の結果だと思う。
(なにしろ公式で241試合、本人談では500試合を超えてるそうな)

中にはガチの凄い試合があって、これを見ると沢村の強さが半端じゃない事が良く判る。
パンチは上手くなかったし、ガードも甘い印象を受けるが、ローキックの破壊力は驚異的だよ。
ライト級の蹴りとは思えない位、凄まじい威力だ。
そして沢村自身はローキックで倒された事が一度も無い。
コーラ瓶で彼の脛を叩くと、瓶の方が割れたエピソードが残ってる。

前述の様に、人気を牽引して行く使命を持つが故、派手な技を駆使していた為に
沢村の本当の強さが見え難いのは間違いないと思う。

どこが真空なのかは不明だが、体力を消耗した試合後半に、
あれだけの跳躍技(真空飛び膝蹴り)を連発出来るスタミナは尋常じゃない。
助走なしで垂直に飛び上がり、落下の重量+捻りを加えた飛び膝は芸術でした。
スターとして輝き続ける事を義務として背負った事で、
良くも悪くも、キック=沢村になってしまったのは残念です。

全日本系には、島三雄、岡尾国光、鈴木勝幸、長江国政、玉城良光、越川豊・・・
国際戦の相手も現役ムエタイの王者やランカーが多く、
特に藤原敏男の対戦相手は物凄い選手ばかりでした。

チャランポン・ソータイ、シリモンコン・ルークシリパット、ジャイディ・ピサヌラチャン、
モンサワン・ルークチェンマイ、シープレー・ギャティソンポップとの激闘は伝説的な試合です。
(幾つかは今でも映像を見る事が出来ると思います)

500年の伝統を持つムエタイのベルトを最初に海外へ流失させ、
ラジャダムナン、ルンピニーの両スタジアムで試合をし、
タイの国賓に認定される程、実力を評価された選手です。

沢村の日本系か藤原の全日本系、どちらが強かった?

そんな疑問に答えるが如く、両団体の交流戦は確か2回程行われています。

看板選手の沢村を温存した日本系に対し、藤原を筆頭に全力勝負した全日本系でしたが、
全ての結果を総合すると日本系の圧勝で幕を閉じています。
(藤原は勝ったけど、島は亀谷に負けている)

この時期、日本のキック界は間違いなくタイのランカーと五分に戦っていたのです。

日・タイ王者の激突

2008-01-17 17:36:24 | Weblog
1986年11月24日 後楽園ホール
(半券が残っているので日時や場所は正確)

この日、10年以上の空白を埋める一人のタイ人が来日しました。
現役ムエタイ・チャンプ(ラジャダムナン系のウェルター級)
パーヤップ・プレムチャイが日本に来たのです!

まさか自分が生で現役のムエタイ王者を見れるとは思っていなかったので、
この時の興奮は今でも鮮明に覚えています。

対戦したのは日本マーシャルアーツ・キックボクシング連盟の
ウェルター級王者、向山鉄也(キック黄金期の数少ない生き残りでした)
間違いなく当時のウェルター級では最強だった選手です。

試合は判定でパーヤップが勝ったのだけど、
パーヤップは殆ど左ミドルしか使いませんでした。

1R、何気なく出したパーヤップの左ミドルに会場は騒然とします。
ノーモーションから繰り出される蹴りの速さと決まった時の音。
ちょっと次元が違っている事に誰もが気が付いたのです。

2Rからは一方的な展開で、パーヤップの蹴りをもらう度に向山選手は
上体が起こされてしまい、リングの上は殺戮の場となりました。

かつて確実にムエタイと互角に戦えるまでに成長したキックボクシングの姿は
そこには無かったのです。
分裂を繰り返した日本のキックボクシング団体はレベル面でも完全な低迷期に入っていました。

パーヤップはタイでも選手層が薄いウェルター級でした。
(この階級、10位までのランキングが埋まらない事もあります)
既にタイでも対戦相手が居ない程の実力者だったそうですが、
層の厚い激戦区の軽量級に比べると、レベルは低かった筈です。

パーヤップは、その後も他の競技に出ましたが、
残念ながら本気で戦ったのは、この試合だけだった気がします。
(この試合はタイにも中継されていた事が原因でしょう)

極真の世界大会では2回戦くらいで敗退。
(パーヤップがノン・グラブで正拳突きするワケないでしょ)
シュートボクシングではシーザー武志のミドルで悶絶KO負け。
(観客からは怒号が飛ぶような内容でした)
体重が10キロ位違う、ロブ・カーマンとも対戦して負けていたと思います。

同時期に、やはりムエタイ・チャンピオンだった選手が居ます。
ラクチャート・ソーパサドポン(舌を噛みそうですな)
かなり強かった選手ですが、パーヤップのミドルで腕を折られています。
この人も多くの試合を日本でやってるのですが、不可解なKO負けをしてます。

なんだ~ムエタイって弱いじゃん~~!

ところがですよ・・・彼らは国技であるムエタイの威信がかからない時は、
単なる出稼ぎのオッチャンだったりするのです。
従って、どうでもいい試合に出ても本気モードで試合せず、
明らかに体重オーバー、練習不足で出てきたりもします。
(きっと帰りに秋葉原でラジカセとか買ってるんだろうなあ・・・)

加えて、首相撲からのヒザや肘打ちを禁止している団体との試合では、
持ち味の7割以上を最初から殺されているワケで、
馬鹿馬鹿しいので、やってられないって事なのかも知れません。

ムエタイが強いのは選手層の厚さ+ギャンブルとしての人気、
そして技術面で玄人のファンが多いからだと思います。
(客がお金を賭けるので八百長なんかしたら選手生命を断たれます)

立ち技で世界最強なのはムエタイだと私は思っちょります。
ただしガチのムエタイを見て面白いと感じるかは疑問です。
(殆どが首相撲に終始し、KO率も2割程度)

そういう意味では、ラジャ・ライオンのパキスタン空手が世界最凶なのかも知れません。

リングに舞う赤い蝶

2008-01-16 11:28:40 | Weblog
リングに舞う”赤い蝶”を初めて見たのは下福田小の頃だと思う。

ちょうど、キックボクシングが下降線を辿り始めた時、
アメリカ発のプロ空手(マーシャルアーツ=以下MAと略)が上陸した。

胴着の下だけ身に着け(と言うより派手なパンタロンに見えるぞ)
足の甲をガードする変なスリッパ(足裏だけ出てる)を着用。
この格闘技で最も有名だったのが、赤い蝶と呼ばれた男、
ベニー”ザ・ジェット”ユキーデでした。
家族全員が格闘家で、少し窪んだ異様にギラギラした目を持つ選手でした。

後年、タイガーマスクが使用したローリング・ソバットを
必殺技として使ったのはユキーデが最初かも知れない。
(キックの富山勝治選手が後ろ飛び廻し蹴りを既に使っていたけど)

当時、藤原敏男が居た全日本キック連盟に殴りこんだユキーデは、
(沢村が居たのは日本キック連盟)
鈴木勝幸、大貫忍、岡尾国光、内藤武と有力なランカーを次々とKOで葬りました。
速射砲の様なパンチ、多彩なキック、物凄い速さで日本人選手を圧倒したのです。
誰もがユキーデVS藤原敏男の頂上対決を夢見ていたと思います。

結局、両者の対決は実現しませんでした。
ユキーデがムエタイの選手(プライユット・シーソンポップ)の首相撲と膝蹴り、
ローキックに為す術も無く敗れた為だったと記憶してます。

同じ対戦相手との試合内容から想像する事しか出来ないのだけど、
(藤原はプライユットに勝っている)
ユキーデVS藤原のカードだけは見たかったなあ・・・と今でも思います。

同時期、沢村VS藤原の対戦も話題になっていたが、
沢村は既に全盛期を過ぎていたので、無類の沢村ファンだった僕は
この試合は観たくなかったと言うのが本音→この試合も実現しなかった。
(多分、両者のスタイルは噛み合わないと思うのだが)

格闘技の世界って誰かを神格化しちゃうと、その後が続かないんだよね。
ユキーデ以降も強い選手は何人か出てるのだけど、
人気を取り戻すまでには至ってないんだよなあ・・・

ドン星野ウイルソンなんて選手はモーリス・スミスやブランコ・シカティクにも勝ってる。
それから、デル”アポロ”クックの横蹴りも早かったなあ。
(チャンプア・ゲッソンリットに手も足も出ずに負けていたが)

この頃だね、ロブ・カーマンが最も強かったのは。(1990年前後)
(彼はMAのベルトも持っていたから、MAスタイルで戦う事も多かった)
確かチャンプアとも何度か試合してた。

K-1に出てた頃は全盛期を過ぎてて、周囲より体格も小さかったので、
チャンプアやカーマンの参戦は酷く残酷に思えたもんだ。。。
(打撃系において、ウエイトの違う選手を戦わせるのはナンセンスだと思う)

すっかり、ベニー・ユキーデから脱線しちゃった。
確か、映画スパルタンXでジャッキー・チェンとユキーデが対決する場面が有ったぞ。

格闘ネタ(マイナー系)

2008-01-15 15:33:03 | Weblog
正月の休みの間に慢性のサボり癖が出てしまい、更新がおぼつかなくなった。
(面倒くさいと言うか、書く事が無いと言うか・・・)

同窓会に関しても佳境に入り、細かな調整を残すだけになりました。(本当か?)

と、言う訳で今回は(今回も)格闘技ネタ炸裂!
昭和50年頃に誕生した、プロ空手のお話。

このスポーツは、キックボクシングとマーシャルアーツ人気を受けて登場したと思います。
基本的に、カラフルな胴着を着用して奇声を発しながら戦います。
(クェ~~! キェェェ~~!なんて声は普通です)

グローブは着用しません。素手です!
顔面への正拳突きは禁止ですが、掌底による打撃はOK、
初期のキックボクシングの様に頭突きもOKです。
腰を落とした様な姿勢で、両手で円を描く様に、ユラユラと動かしながら
奇声を発して間合いを取ります。

強いのか弱いのか判らない団体でしたが、一時期だけTVで放映していたと思います。
(キックボクシングとの交流戦でコテンパンに負けています)
そして、いつの間にか見なくなりました。

この団体の中に、紅孝司と言う選手がおりまして(写真の赤い胴着の人です)
必殺技の名前は”紅三段蹴り”だったのは覚えています。
これが出ると相手は100%マットに沈みます。

20年位前ですが、プロ空手は復活興行を行っています。
(格闘技の殿堂、後楽園ホールにて2~3回)

KO率9割と言う触れ込みで・・・当然、僕は観戦に行きました。

全部で5試合位だったと思うのですが、今でも覚えてる試合があります。
馬場拳二 VS 三竜武士(龍一馬だったかな?)のカード。
(三竜と龍の2名は以後、シュートボクシングのリングでも見かけました)

この両者は中堅~ベテラン同士による対決でしたが、
激しい顔面打ち合いの末、会場に響く異様な頭突きの音。。。
(バキ!ドゴ!って音じゃなくて、グシャ!メリメリ・・・って音)
こりゃあもう、打ち合いの音なんて消し飛ぶ程の凄さです。

試合は頭突きで決まりはしなかったのだけど、
会場に居た100名にも満たない観客は明らかに顔色が悪くなってました。
KO率9割は嘘だったけど、度肝を抜かれたのは事実です。

しかしプロ空手が凄かったのは、この後です。
次の試合が30分経っても全く始まりません。

そして、おっとり刀で会場にアナウンスが入ります。
「ただいま、救急車を手配しております、もうしばらくお待ち下さい」
「××選手が頭を14針縫いました」←誰も聞いてないってば。
「すいません、今、馬場選手が救急車で運ばれているので中断します」

その後も確か一人が救急車で運ばれ、試合がストップしました。
復活興行は2回(3回?)だけだったと思うけど、
あれは選手が少な過ぎて、次回に誰も出られなかったからなのかも知れない。。。
恐るべし!プロ空手。


会社が始まったのだが、

2008-01-07 22:49:14 | Weblog
同窓会プロジェクトも一気に加速してる。

たった1日で、同窓会関係のメールが送受信で70本をOVERしてます。
(物凄い勢いに流されそうだ~~! 何処に流されるんだ?)

最近、考える時間が少ないから?それともネタ切れ?
なかなか新しいログを書くのが難しい状況です。

こんな時は・・・エロ? それともプロレス?

平成20年、40歳になっても全く成長しない私ですが、
今年も宜しくお願いします。

おめでとうございます

2008-01-02 20:32:09 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。

実家に帰って来ました。
秘蔵のアイテム探しもしてきました。
(数ヶ月前に相当、処分されたらしいのですが、幾つか変なアイテムが残っていました)
→ これは同窓会当日に持参する予定。

写真も5~6年生の時に撮影された物が約10枚程度出てきました。
(登山&キャンプ&修学旅行関係)

それから、校庭で賞状を持って皆で撮った記念写真。
(何の賞状なんだろ?我々のクラスが受賞した物らしいのだが、拡大したら判るかな)

つ~事で、今年も宜しくお願い致します。