烈風に続いて零戦も胴体の組み立てに入りました。
さすがに最新の1/48キット、コクピットは素晴らしい出来です。
52型の試作機が完成したのは開戦から1年4カ月を経た昭和18年4月と言われておりますが、
量産が開始されたのは更に4カ月後の18年8月らしいです。
初期の52型(昭和18年末まで)は相変わらず防弾装備が皆無で、
列強の戦闘機が時速600kmを超えるのが普通になった時期に550km程度が限度でした。
軽くて遠くまで飛べる様に設計された零戦は大出力エンジンを搭載する余裕も無く、
日本の工業技術は安定供給出来る2000馬力級エンジンを最後まで完成させる事が出来ませんでした。
言い換えれば日本の戦闘機開発は零戦を頂点にして次の壁を越えられなかったとも言えます。
52型は途中から防弾ガラスや自動消化装置、防弾鋼板に火力増強した派生も登場しています。
特攻が当たり前のように行われた末期には胴体に半埋め込み式の爆弾を抱えたタイプも存在しますが、
最も多く量産されたのが52型でした。
そして最も活躍しなかったタイプになってしまいました。
この辺りの事情が零戦の中で52型の人気(評価)が分かれる原因なのだと思います。
それでも零戦が特別な存在なのは、流麗なラインや日本人好みの格闘性能に長けていたこと、
短期間だったにせよ米英の戦闘機を完全に圧倒した時期があったからなのでしょう。
さすがに最新の1/48キット、コクピットは素晴らしい出来です。
52型の試作機が完成したのは開戦から1年4カ月を経た昭和18年4月と言われておりますが、
量産が開始されたのは更に4カ月後の18年8月らしいです。
初期の52型(昭和18年末まで)は相変わらず防弾装備が皆無で、
列強の戦闘機が時速600kmを超えるのが普通になった時期に550km程度が限度でした。
軽くて遠くまで飛べる様に設計された零戦は大出力エンジンを搭載する余裕も無く、
日本の工業技術は安定供給出来る2000馬力級エンジンを最後まで完成させる事が出来ませんでした。
言い換えれば日本の戦闘機開発は零戦を頂点にして次の壁を越えられなかったとも言えます。
52型は途中から防弾ガラスや自動消化装置、防弾鋼板に火力増強した派生も登場しています。
特攻が当たり前のように行われた末期には胴体に半埋め込み式の爆弾を抱えたタイプも存在しますが、
最も多く量産されたのが52型でした。
そして最も活躍しなかったタイプになってしまいました。
この辺りの事情が零戦の中で52型の人気(評価)が分かれる原因なのだと思います。
それでも零戦が特別な存在なのは、流麗なラインや日本人好みの格闘性能に長けていたこと、
短期間だったにせよ米英の戦闘機を完全に圧倒した時期があったからなのでしょう。