こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

零戦52型 5

2011-09-28 23:40:05 | Weblog
烈風に続いて零戦も胴体の組み立てに入りました。
さすがに最新の1/48キット、コクピットは素晴らしい出来です。

52型の試作機が完成したのは開戦から1年4カ月を経た昭和18年4月と言われておりますが、
量産が開始されたのは更に4カ月後の18年8月らしいです。

初期の52型(昭和18年末まで)は相変わらず防弾装備が皆無で、
列強の戦闘機が時速600kmを超えるのが普通になった時期に550km程度が限度でした。

軽くて遠くまで飛べる様に設計された零戦は大出力エンジンを搭載する余裕も無く、
日本の工業技術は安定供給出来る2000馬力級エンジンを最後まで完成させる事が出来ませんでした。
言い換えれば日本の戦闘機開発は零戦を頂点にして次の壁を越えられなかったとも言えます。

52型は途中から防弾ガラスや自動消化装置、防弾鋼板に火力増強した派生も登場しています。
特攻が当たり前のように行われた末期には胴体に半埋め込み式の爆弾を抱えたタイプも存在しますが、
最も多く量産されたのが52型でした。
そして最も活躍しなかったタイプになってしまいました。
この辺りの事情が零戦の中で52型の人気(評価)が分かれる原因なのだと思います。

それでも零戦が特別な存在なのは、流麗なラインや日本人好みの格闘性能に長けていたこと、
短期間だったにせよ米英の戦闘機を完全に圧倒した時期があったからなのでしょう。



烈風11型 1

2011-09-26 19:56:07 | Weblog
零戦と一緒に塗装した烈風を先に組み立てています。
主翼と胴体の合わせ目に豪快な隙間が出来ました!
(見えにくいアングルで写真を撮りました。あははははは~)

太平洋戦争の緒戦で無敵の活躍をした零戦でしたが、
2倍の出力を誇る敵戦闘機の高速を活かした一撃離脱戦法に苦戦が続きます。

格闘性能を重視し、数gでも軽く作られましたから防御は一切考慮せず
型式によっては急降下時の速度にも制限が付けられていました。
(分解する危険性があったため)

主翼内にも燃料タンクを装備して長距離飛行を可能にした反面、
防弾や消化装備による重量増加を嫌ったので、敵弾が命中すると高確率で火を噴いたようです。
(これは多くの日本軍航空機に共通しています)

烈風は零戦の後継機として設計されました。
欧米と同じく2000馬力級のエンジンを搭載していますが、
格闘性能に拘った為に主翼面積が非常に大きい機体となりました。

烈風を見た印象として「まるで艦攻のようだ」と何かの本に書かれていたのを覚えています。
製作を中断している同スケールの零戦と並べると大きさに驚きますが、
同時期のアメリカの戦闘機と比べても全幅の長さに驚かされます。

高速での一撃離脱が主流になると理解しつつも
零戦の伝説的な格闘能力を捨て切れなかったのだと思います。

終戦間際に量産に入りましたが実戦には間に合わず、B29迎撃目的の行動半径が短い戦闘機を除けば
海軍は太平洋戦争を零戦のみで戦わざるを得ませんでした。

烈風は戦歴が無いので評価が分かれる所ですが、昭和17年~18年初頭ならばまだしも
終戦間際の20年に登場しても活躍の場は無かったのではないでしょうか。

零戦52型 4

2011-09-25 22:24:04 | Weblog
一緒に主翼上面の識別帯も塗装しました。
こちらはマスキングして、残る部分に濃緑色を塗装します。

いつも使っている、モデルマスターの水性アクリルは日本軍用のカラーが全く無いので、
調色するか近似色を使わねばなりません。

今回は調色せず、ユーログリーンを使う事にしました。
濃緑色に比べると明度が高いのですが、個人的には面白い仕上がりになるので気に入ってます。

零戦52型 3

2011-09-25 22:19:57 | Weblog
機体の塗装に入りました。

大戦中期から日本軍の航空機は主翼前縁に識別用の黄色塗装を行いました。
(おそらく前から見た際に敵か味方かを判断する為だと思います)

尚、主翼下面はこの識別帯に沿って上面の濃緑色が回り込んでいる事が当時の写真でも判ります。
私は面倒臭がりなので、この回り込んだ部分はいつも省力してしまいます。

写真上は1/48の零戦52型、下は1/72の烈風の主翼です。
スケールが違うにも関わらず、烈風の主翼が大きいのが印象的ですね。

零戦52型 2

2011-09-24 22:43:57 | Weblog
引き続いてコクピットの製作です。

タミヤの1/48の方は写真の様に完成後は全く見えないと思われる部分まで部品化されています。
操縦桿下の小窓(下が覗ける)が再現されているのも1/48では最初ではないでしょうか。

本日は一緒にファインモールドの1/72零戦52型のコクピットも仕上げました。
こちらも非常に繊細な出来で充分過ぎる再現度ではないでしょうか。

操縦席の側壁はハセガワが良く用いる側壁を別部品する方式ではなく、
機体部品の内壁にモールドされており、幾つかのパーツを接着して仕上げる様になっています。
(どちらの方式が優れているのかは知りません)

計器版の上から突き出している黒っぽい部品は、機首に装備した7.7mm機銃の底部です。
この機銃はカウリング上面からプロペラの回転半径内を通り発射されます。
(プロペラの回転と同調させる装置により、弾丸がプロペラを破壊することは無いそうです)

零戦52型 1

2011-09-23 23:38:12 | Weblog
作りかけを放置して1/48の零戦に手をだしています。
このキットはタミヤ製の52型でして、おそらく同サイズの52型では最新キットだと思います。

まずはコクピットの組み立てから。
タミヤは数年前に1/32でも零戦52型を出しています。(買ったが未製作のまま放置)

完成後には見えないであろう部分まで部品化されている所もあり、
まさに零戦52型の決定版と言えそうです。

コクピットは部品数をおさえめですが、充分なディティールではないでしょうか。

因みに写真奥に移っている黄緑色の操縦席は、ファインモールドから発売されている
1/72スケールの零戦の後継機「烈風」のものです。
こちらも同時に製作中です。

放置している1/72の零戦52型(モデルグラフィックスの付録キット)も
塗装工程位は一緒に済ませたいですね。。。

日本海軍 航空母艦 赤城 番外

2011-09-19 22:40:22 | Weblog
元々は八八艦隊の1艦として40cm砲10門を備える巡洋戦艦として建造開始された赤城。
(この状態では未完成なのですが、近年フジミがキット化したのが写真下段の姿)

軍縮条約により建造中止になる所、航空母艦として誕生する事になり、
世にも奇妙な三段の飛行甲板の姿で誕生。
(この姿も近年ハセガワがキット化しました。写真中段)

そして、艦載機の発達により一枚の全通飛行甲板を持つ姿へ改造されます。
(これもハセガワがWLシリーズとして以前から発売していましたが、
 今回は最近発売されたフジミのキットを組み立てました)

航空母艦・赤城は真珠湾攻撃の機動部隊旗艦として攻撃に参加。
第一次攻撃隊として、97式艦攻×27と零戦×9を発艦させています。
(第二次攻撃隊は99式艦爆×18、零戦×9)

その後もラバウル攻撃、オーストラリア方面へ進出、インド洋での作戦を経て
運命のミッドウェー作戦へ参加します。

赤城は飛行甲板に直撃弾を受け火災を発生。
兵装転換で艦内にゴロゴロしていた爆弾が誘爆、最期は味方駆逐艦の魚雷で処分されました。






日本海軍 航空母艦 赤城 24

2011-09-17 15:01:03 | Weblog
飛行甲板上へエッチングパーツを取り付け完成しました。
(艦首の菊花紋章の塗装はしていないので厳密には未完成なのですが)

作業ペースが上がらなかった事と予想以上に部品が多かった為に
完成まで1ケ月に渡る組み立てになりました。

あ、後部エレベーター上の白線がズレてる・・・
(インレタ式デカールは、良いアイデアだと思いますがイマイチ)

赤城の全長は戦艦大和より数メートル短いだけの巨体なので、
完成すると迫力が有ります。

次回は赤城完成を祝い、ちょっと面白い写真をupしようと思います。

日本海軍 航空母艦 赤城 23

2011-09-16 23:15:13 | Weblog
本日は機銃の取り付け。

赤城の機銃は25mm連装が片舷に7基、計28挺。

他に前部機銃より前の位置に単装機銃を2づつ取り付ける指示が説明書には有ります。
確か赤城は艦橋トップに7.7mm機銃らしきものを装備した写真も残っており、
この単装機銃は7.7mmなのかも知れませんね。

さて、木製シールを貼った飛行甲板ですが・・・
よく見ると中央エレベーター手前に、インレタの説明として書かれている白線番号
「⑤」が一緒に転写されてるではあ~りませんか!!

こりゃ、明日にでも削り取らねば。