娘は今日、随分前にやったテストを3枚持ち帰ってきました。
嬉しそうに取り出したのが、タイトルにあげた聞くテスト。
言葉が弱い娘にとって、テープの流す音声で
要旨を聞き取って、質問に答える
「聞くテスト」は、本当に難しいものでした。
だから、このテストができていなくても、私は怒った事がありません。
それがね、今回はなんと満点。
答え方の文章も、しっかりと意味が通っていましたし、
頻出する誤字、脱字も見当たりません。
これも、受験勉強の成果なのか、時期がきて成長したのか、
もう一枚の読み取りテストも90点。
裏側の「語句、文法、漢字」は相変わらずひどかったですけど、
予習なしでここまで出来たかと思うと、何だかウルウルしそうですわ。
さて、娘が最後に恐る恐る取り出した算数テスト。
立方体の作図や、垂直平行と言った言葉の問題が中心のテストで、30点。
予測してましたからショックは無いんですけど、
学校や先生について、今日はちょっとクレーム。
今回、私はこの単元を殆ど見てあげていません(ちょこっとは見ました。そこは出来てます)。
入試に出ないので、塾でも手をつけていません。
丸きりの学校頼みでとった点数が30点。
娘の学校には、算数TTもついていると言うのに、
どうして、こんな点数しか取らせられないんでしょう。
「自分の子どもの能力を棚にあげて、ずうずうしい」
と思う方もいるかもしれません。
でもね、私が勤めている学校の6年生には
のんびり娘といいとこ勝負のお子さんも何人かいるんですが、
先生方は、こんな点数を取らせていませんよ。
勤務先の学校は下町にあり、生活環境の厳しいお子さんも結構います。
能力に加えて、塾どころか家庭学習が全然出来ないお子さんも、
基本的な生活習慣が崩れてしまっているお子さんもかなりいます。
のんびり娘の学校よりも、先生達が置かれている状況はよほど厳しいのです。
それでも、先生方は弱い子ども達、すぐにサボってしまう子ども達を
居残りなどさせながら、救い上げています。
先生の得点つけをチラッと盗み見ましたが、
60点を割っているお子さんはいませんでした。
だって、ここは丁寧に教え、プリントなどを繰り返しさえすれば、
かなり出来るようになるところですもの。
手こそだしませんでしたが、娘のノートや教科書から
今どんな事をしているのかの様子は見ていました。
作図に入る前に、いくつも箱を分解していたのは知っています。
ノートには、切り開いた箱が貼り付けてありましたが、
「平行」とか「垂直」とかといった、キーワードになる言葉は
書かれていませんでした。
見取り図を書くプリントが2枚ランドセルに入っていました。
宿題というわけではなく、どうやら遣り残しらしいのですが、
娘は丸っきり書けていなかった。
「一人で直しなさい」と言って、直せるレベルの間違い方ではなかった。
なのに、チェックするわけでも、家庭に振るわけでもなく、そのまま。
「テストがあった」と娘が報告した日、
娘のランドセルの中に大量のプリントが入っていました。
常識から考えて、テストの前に少しづつ配られたものを
娘が出来ずに溜めていたのだと思いました。
それさえキチンとやっておけば、そこそこテストも出来ただろうに、
娘が出来ないままに溜めておいて、それで結果が悪かったのだろうかと。
ところが、そのプリントの束は、テストの終わったあと配られたのだそうです。
よく見れば、まとめて折りたたんだ痕がついていますから、
確かに1度に配られたものなのでしょう。
なんだかなぁ・・・。
今の担任の先生には、4年生の時こんな事をいわれました。
「授業中、のんびり娘ちゃんにまず声をかけに行くようにしているのですが、
他の子達も見なければいけないので、しばらく見たあと他に回るんですね。
それでかなり時間がたって戻ってくると、何にもしていないんですよ。
付っきりっていうわけにも行かないですし、どうしたらいいか困ってしまって・・」
最近になって、勤務先のもう一人のTTの先生(国語担当、かなりお若いですよ)にこの話をすると、
「それって意味ないでしょう。一人で始められるところまで持っていかなきゃ、横につく意味がないじゃないですか。」って。
私もそう思う。
その私の感覚が正しい事を感じたくて今の仕事をはじめたような気がするの。
そうして、今は確信している。
当時の先生の言葉に隠れていたのは
「私はやっているのよ」という心。
娘は確かに、集団指導だけではしんどいよ。
でも、勤務先の先生たち(もちろん例外はいますけどね)のように、
「ったく、もう。」と言いながらも、なんとかしようという気持ちがありさえすれば、
ある程度(飛びぬけては無理ですよ)は何とかなるものなのだ。
子供のせい、親のせいにしてしまう先生は、
はなから、教育技術を磨く気がないのだと私は思う。
仕事の出来る人間っていうのは、困難とチャレンジをこそを楽しむのよ。
嬉しそうに取り出したのが、タイトルにあげた聞くテスト。
言葉が弱い娘にとって、テープの流す音声で
要旨を聞き取って、質問に答える
「聞くテスト」は、本当に難しいものでした。
だから、このテストができていなくても、私は怒った事がありません。
それがね、今回はなんと満点。
答え方の文章も、しっかりと意味が通っていましたし、
頻出する誤字、脱字も見当たりません。
これも、受験勉強の成果なのか、時期がきて成長したのか、
もう一枚の読み取りテストも90点。
裏側の「語句、文法、漢字」は相変わらずひどかったですけど、
予習なしでここまで出来たかと思うと、何だかウルウルしそうですわ。
さて、娘が最後に恐る恐る取り出した算数テスト。
立方体の作図や、垂直平行と言った言葉の問題が中心のテストで、30点。
予測してましたからショックは無いんですけど、
学校や先生について、今日はちょっとクレーム。
今回、私はこの単元を殆ど見てあげていません(ちょこっとは見ました。そこは出来てます)。
入試に出ないので、塾でも手をつけていません。
丸きりの学校頼みでとった点数が30点。
娘の学校には、算数TTもついていると言うのに、
どうして、こんな点数しか取らせられないんでしょう。
「自分の子どもの能力を棚にあげて、ずうずうしい」
と思う方もいるかもしれません。
でもね、私が勤めている学校の6年生には
のんびり娘といいとこ勝負のお子さんも何人かいるんですが、
先生方は、こんな点数を取らせていませんよ。
勤務先の学校は下町にあり、生活環境の厳しいお子さんも結構います。
能力に加えて、塾どころか家庭学習が全然出来ないお子さんも、
基本的な生活習慣が崩れてしまっているお子さんもかなりいます。
のんびり娘の学校よりも、先生達が置かれている状況はよほど厳しいのです。
それでも、先生方は弱い子ども達、すぐにサボってしまう子ども達を
居残りなどさせながら、救い上げています。
先生の得点つけをチラッと盗み見ましたが、
60点を割っているお子さんはいませんでした。
だって、ここは丁寧に教え、プリントなどを繰り返しさえすれば、
かなり出来るようになるところですもの。
手こそだしませんでしたが、娘のノートや教科書から
今どんな事をしているのかの様子は見ていました。
作図に入る前に、いくつも箱を分解していたのは知っています。
ノートには、切り開いた箱が貼り付けてありましたが、
「平行」とか「垂直」とかといった、キーワードになる言葉は
書かれていませんでした。
見取り図を書くプリントが2枚ランドセルに入っていました。
宿題というわけではなく、どうやら遣り残しらしいのですが、
娘は丸っきり書けていなかった。
「一人で直しなさい」と言って、直せるレベルの間違い方ではなかった。
なのに、チェックするわけでも、家庭に振るわけでもなく、そのまま。
「テストがあった」と娘が報告した日、
娘のランドセルの中に大量のプリントが入っていました。
常識から考えて、テストの前に少しづつ配られたものを
娘が出来ずに溜めていたのだと思いました。
それさえキチンとやっておけば、そこそこテストも出来ただろうに、
娘が出来ないままに溜めておいて、それで結果が悪かったのだろうかと。
ところが、そのプリントの束は、テストの終わったあと配られたのだそうです。
よく見れば、まとめて折りたたんだ痕がついていますから、
確かに1度に配られたものなのでしょう。
なんだかなぁ・・・。
今の担任の先生には、4年生の時こんな事をいわれました。
「授業中、のんびり娘ちゃんにまず声をかけに行くようにしているのですが、
他の子達も見なければいけないので、しばらく見たあと他に回るんですね。
それでかなり時間がたって戻ってくると、何にもしていないんですよ。
付っきりっていうわけにも行かないですし、どうしたらいいか困ってしまって・・」
最近になって、勤務先のもう一人のTTの先生(国語担当、かなりお若いですよ)にこの話をすると、
「それって意味ないでしょう。一人で始められるところまで持っていかなきゃ、横につく意味がないじゃないですか。」って。
私もそう思う。
その私の感覚が正しい事を感じたくて今の仕事をはじめたような気がするの。
そうして、今は確信している。
当時の先生の言葉に隠れていたのは
「私はやっているのよ」という心。
娘は確かに、集団指導だけではしんどいよ。
でも、勤務先の先生たち(もちろん例外はいますけどね)のように、
「ったく、もう。」と言いながらも、なんとかしようという気持ちがありさえすれば、
ある程度(飛びぬけては無理ですよ)は何とかなるものなのだ。
子供のせい、親のせいにしてしまう先生は、
はなから、教育技術を磨く気がないのだと私は思う。
仕事の出来る人間っていうのは、困難とチャレンジをこそを楽しむのよ。