勤務先の先生に、いつも苦虫を噛み潰したような表情の方がいる。
おそらく(詳しい事は知らないのよ)40代。一年生の担任。
この先生の授業、いっぱい工夫はしてくれてる。
準備も万全だし、子ども達の動かし方も悪くはない。
指示の仕方も、かなり丁寧で混乱は少ない。
指導技術という点では、あんまり問題はないんだけど、
でもね、なんだかいっつも怒ってるの。
「なんで、これができないの。」
「何度言ったらわかるの。」
「どうしてあれだけ言ってもできないの。」
「文句言ってできるようになるくらいなら、教師なんぞ要らんわ!」
と、思わず心の中で突っ込みいれたくなる。
夏休み前の最後の授業で、男の子が一人怒られていた。
先生が怒っても、謝るでもなくぽけーっとしていたその子は、
最後には、
「廊下で、皆のやる事を見てなさい!」
と、出されてしまったけど、
もちろん、
「何を、どう見ていたらいいのか」
がわかってないから、やっぱりぽけーっとあちこちを見たり
手いたづらをしたり。
それでまた先生に、
「遊ぶためにそこにいてもらってるんじゃないの。ちゃんとしてなさいね。」
と怒られる。
自分の持ちものを管理するという事が出来なくて、
落し物箱は殆ど彼のものでいっぱいになっているのに、取りに来ない。
朝は、何度言っても遅刻する。
遅刻したからと言って急ぐわけじゃない。
今朝も今朝とて、遅れてきていたその上に、
「せんせい、ない。」
と、空っぽの筆箱を見せたものだから、
「キチンとしている」タイプのこの先生の怒りを買ったらしいのだ。
先生の目を掠めて、立たされ坊やの所に行き、
「何見てたらいいかわかる?」
と尋ねると、
「ううん。」(そりゃぁそうだ)
「どうして怒られたかわかる?」
と聞くと、
「うん。遅くきて、エンピツなかったから」
(おぉ、よくわかってる。)
「起こしてもらえなかったの?」
「うん。めざまし時計もないから起きられないの。」
「そりゃぁそうだよね。」
我が家では、中学1年生だって親に起こしてもらっている。
小学校1年生が、起こしてもらえなくて遅刻するのは当然だ。
と思うのが私。
人間というのは、自分と違ったタイプの人間の心の動きを想像するのは、ほとほと難しいものなんだなぁと思う。
自分と違う生活環境に置かれている人間の事を想像することも、なかなかに難しいものなんだなぁと思う。
この先生のお宅では、きっと何もかもがキチンと動いていて、それが当然なのだろう。
子どもは、「言えば出来る」のだろう。
だから、「1年生なんだから自分で起きてちゃんと仕度をして来なさい!」
が当たり前なんだろうな。
「いえの人がちゃんとしてくれないんだから、余計に貴方がしっかりしなさいよ!」
と、手厳しく指導される先生の心の動きも想像できなくはないけれど、
出来ない子だからこうなってるのに、「いえの人の分まで」なんて、そんなに多くを期待してどうするって思っちゃうんだよね。
この春転出された、同じくらいのん年齢の先生はずいぶん違っていたな。
親が全然手をかけてくれないから、登校時間に間に合った事が無い男の子のことを、
「Mはねぇ、御うちの人に起こしてもらえないのに、ひとりで起きて支度をするんだよ。
洋服でもなんでも自分でちゃんと用意して学校にくるんだよ。先生ね、すごいと思う。偉いと思う。」
って、みんなの前で話してくれていた。
忙しいのに、毎朝家に電話して、
「まだ寝ていたい」という彼に、
「給食だけは食べにおいで。家にいても何も食べられないでしょ。お腹すくから給食からおいでよ。」
と呼びかけて、遅れていく勉強は放課後よく見ていらしたっけ。
持ち物なんて当然揃わない。体育でさえ、普段着でよくやっていたけど、それを責める様子はサラサラなかったわ。
そのM君。今はおじいさんが同居してくれて、毎朝ごはんを食べて定時登校ができる用になった。
であったころ(2年生)、まだひらがなが書けなかったのに、最近は筆算の割り算を自慢しながらといていく。
「俺、もう先生に助けてもらわなくていいんだからね。」って。
整然とした授業はなさらなかったけど、クラスはいつもざわついていたけど、
その先生の教室に行くのはなんだか楽しかった。
子ども達のしでかす事で、いっつも困った顔をされていたけど
(企画外れのやんちゃさんが多かったので、かなりのエピソードがありました)、
それでも、子供たちのことが大好きで、先生という仕事が好きで好きでたまらないというのが伝わって来る方だった。
しかめっ面で、
「信じられない!」
を連発する先生に、このお仕事の本当の面白さを早くわかってもらいたいな。
子ども達はそれぞれ、色んな能力と色んな背景を持っている。
自分の尺度で測っていたら、それぞれのこの面白さは見えてこないよ。
「出来ない」事ばかりが目に付いてしまう。
それは、どんな「優等生」だって同じね。
「出来ない事」を注意するばかりでは、楽しくないし、皺も増えちゃう。
一人一人をじっくり見られるようになれば、
その子の状況にあった対応が浮かんでくる。
「褒めたくなる」所も沸いてくる。
そうすれば、先生のしかめっ面もあかるい笑顔に変っていくと思うんだ。
おそらく(詳しい事は知らないのよ)40代。一年生の担任。
この先生の授業、いっぱい工夫はしてくれてる。
準備も万全だし、子ども達の動かし方も悪くはない。
指示の仕方も、かなり丁寧で混乱は少ない。
指導技術という点では、あんまり問題はないんだけど、
でもね、なんだかいっつも怒ってるの。
「なんで、これができないの。」
「何度言ったらわかるの。」
「どうしてあれだけ言ってもできないの。」
「文句言ってできるようになるくらいなら、教師なんぞ要らんわ!」
と、思わず心の中で突っ込みいれたくなる。
夏休み前の最後の授業で、男の子が一人怒られていた。
先生が怒っても、謝るでもなくぽけーっとしていたその子は、
最後には、
「廊下で、皆のやる事を見てなさい!」
と、出されてしまったけど、
もちろん、
「何を、どう見ていたらいいのか」
がわかってないから、やっぱりぽけーっとあちこちを見たり
手いたづらをしたり。
それでまた先生に、
「遊ぶためにそこにいてもらってるんじゃないの。ちゃんとしてなさいね。」
と怒られる。
自分の持ちものを管理するという事が出来なくて、
落し物箱は殆ど彼のものでいっぱいになっているのに、取りに来ない。
朝は、何度言っても遅刻する。
遅刻したからと言って急ぐわけじゃない。
今朝も今朝とて、遅れてきていたその上に、
「せんせい、ない。」
と、空っぽの筆箱を見せたものだから、
「キチンとしている」タイプのこの先生の怒りを買ったらしいのだ。
先生の目を掠めて、立たされ坊やの所に行き、
「何見てたらいいかわかる?」
と尋ねると、
「ううん。」(そりゃぁそうだ)
「どうして怒られたかわかる?」
と聞くと、
「うん。遅くきて、エンピツなかったから」
(おぉ、よくわかってる。)
「起こしてもらえなかったの?」
「うん。めざまし時計もないから起きられないの。」
「そりゃぁそうだよね。」
我が家では、中学1年生だって親に起こしてもらっている。
小学校1年生が、起こしてもらえなくて遅刻するのは当然だ。
と思うのが私。
人間というのは、自分と違ったタイプの人間の心の動きを想像するのは、ほとほと難しいものなんだなぁと思う。
自分と違う生活環境に置かれている人間の事を想像することも、なかなかに難しいものなんだなぁと思う。
この先生のお宅では、きっと何もかもがキチンと動いていて、それが当然なのだろう。
子どもは、「言えば出来る」のだろう。
だから、「1年生なんだから自分で起きてちゃんと仕度をして来なさい!」
が当たり前なんだろうな。
「いえの人がちゃんとしてくれないんだから、余計に貴方がしっかりしなさいよ!」
と、手厳しく指導される先生の心の動きも想像できなくはないけれど、
出来ない子だからこうなってるのに、「いえの人の分まで」なんて、そんなに多くを期待してどうするって思っちゃうんだよね。
この春転出された、同じくらいのん年齢の先生はずいぶん違っていたな。
親が全然手をかけてくれないから、登校時間に間に合った事が無い男の子のことを、
「Mはねぇ、御うちの人に起こしてもらえないのに、ひとりで起きて支度をするんだよ。
洋服でもなんでも自分でちゃんと用意して学校にくるんだよ。先生ね、すごいと思う。偉いと思う。」
って、みんなの前で話してくれていた。
忙しいのに、毎朝家に電話して、
「まだ寝ていたい」という彼に、
「給食だけは食べにおいで。家にいても何も食べられないでしょ。お腹すくから給食からおいでよ。」
と呼びかけて、遅れていく勉強は放課後よく見ていらしたっけ。
持ち物なんて当然揃わない。体育でさえ、普段着でよくやっていたけど、それを責める様子はサラサラなかったわ。
そのM君。今はおじいさんが同居してくれて、毎朝ごはんを食べて定時登校ができる用になった。
であったころ(2年生)、まだひらがなが書けなかったのに、最近は筆算の割り算を自慢しながらといていく。
「俺、もう先生に助けてもらわなくていいんだからね。」って。
整然とした授業はなさらなかったけど、クラスはいつもざわついていたけど、
その先生の教室に行くのはなんだか楽しかった。
子ども達のしでかす事で、いっつも困った顔をされていたけど
(企画外れのやんちゃさんが多かったので、かなりのエピソードがありました)、
それでも、子供たちのことが大好きで、先生という仕事が好きで好きでたまらないというのが伝わって来る方だった。
しかめっ面で、
「信じられない!」
を連発する先生に、このお仕事の本当の面白さを早くわかってもらいたいな。
子ども達はそれぞれ、色んな能力と色んな背景を持っている。
自分の尺度で測っていたら、それぞれのこの面白さは見えてこないよ。
「出来ない」事ばかりが目に付いてしまう。
それは、どんな「優等生」だって同じね。
「出来ない事」を注意するばかりでは、楽しくないし、皺も増えちゃう。
一人一人をじっくり見られるようになれば、
その子の状況にあった対応が浮かんでくる。
「褒めたくなる」所も沸いてくる。
そうすれば、先生のしかめっ面もあかるい笑顔に変っていくと思うんだ。