そうであった、一年前に唐木田で集ったことがあった。
太陽光発電で売電できれば効率的だと思うのだが、売電価格は低下してきているし、設備投資の初期費用は大きいし、何年かすると交換時期が来ることなどを考えると断念することにした。
東京スカイツリーができて、東京タワーの美しさを感じるようになった。
そのせいか、観光客が多くなったような気がする。
先日も、東京タワーと増上寺近くへ行ってきた。
南房総
南房総
とまりぎ
川崎から木更津へアクアラインで東京湾を越え、館山道を富山で降りる。
道の駅富楽里(ふらり)へ入り、昼の弁当になりそうなものを物色する。
小学校の臨海学校で、この先の海に来たところだ。
三芳村の道の駅へ行くことにした。
房総半島の裏道へ入る。右に富山、しばらくして左に伊予ヶ岳が見える。
亡くなった宏さんは両方とも登ったと言っていた。
県道88号線で、道の駅三芳村鄙の里へ到着。
食事処の建物を改修工事していて、10月までかかるようだ。
庭のテーブルで昼食。
生卵を売っているので、これも仕入れる。
さて、次は外房を北上することにした。
道の駅和田浦とあるので、入る。
コーヒー100円と書いてある。喉が乾いたので頼む。
コーヒーには、チーズケーキをサービスで付けてくれて、ありがたく頂く。
そうしたら、さらに梨を二切れ皿に入れてくれた。
千葉のお姉さん方は、人懐っこくて気がいい。
安房鴨川から鴨川有料道路へ入り、もうひとつの房総スカイライン有料道路が無料になったが片側通行のところがあるようだったので、入らずに木更津東から圏央道経由アクアラインで帰った。
井の頭動物園には、象のハナ子が健在のはずだ。
中田さんは孫を連れて行って、ハナ子を見せたようだ。
その孫も成人して、一人前になったと喜んでいた。
ところが、息子が定年になるかならないかで急逝してしまった。
本人も病院通いだったのだが、倅の死はたいへんなショックだったと想像する。
後を追うように一ヶ月かそこいらで亡くなってしまったのだから。
彼岸になるからか、
元気な頃の、愉快な中田さんを思い出す。
新宿御苑
とまりぎ
新宿門から新宿御苑へ入る。
いつも東側のイギリス式庭園やフランス式整形庭園を通って、千駄ヶ谷門へ抜けることが多いので、西の縁の道を歩く。
道のすぐ脇に地面から生えているのは、スギ科のラクウショウの根で、呼吸しているようだ。
道の途中で左へ入ると、目の前には池だ。
茶室翔天亭では、お茶を出してくれるようだが、通り過ぎる。
熊笹が一塊に生えている。
ゆるい上り坂を上ると、広い芝生だ。
東側にイギリス風景式庭園からフランス式整形庭園の方へ視界がつながっている。
反対に西側を見ると、ヒマラヤシーダーが高く、右にはモミジバスズカケノキで視界が終っている。
今年7月に急逝した宏さんがよく電話で「新宿御苑へ行こう」と言ってきたものだった。
あるとき、さんしゅゆのことをサンショと言っていたことがあった。
それで黄色い花をかじってみたのだったが、サンショらしい味を全く感じなかったことがあった。
いまでは、そんな断片の記憶もなつかしい思いだ。
吉祥寺と井の頭公園は、行くとなると両方を見る。
雰囲気が全く違っていて、それがいつも気分転換になる。
牟礼に住んでいた中田さんは92歳高齢で、今年1月に亡くなった。
井の頭公園へは散歩に来ていたようだし、吉祥寺の本屋へはバスで行っていたようだった。
そうだ、忘れていたが行ったことを思い出した。
昔の雰囲気を残した建物を有効に利用している。
また行ってみよう。
秋葉原
とまりぎ
秋葉原の電気街には、電子部品を買いによく来たものだ。
その後、家電屋さんがいくつもできいると、秋葉原は家電製品の代名詞になった。
そんなことを想いだしながら、駅北側の山手線・京浜東北線路下へ向う。
線路下を交差する道路に、見覚えのマークが出ている。
中へ入る。
日本各地のみやげ物がある。
道路の向い側のUDX秋葉原の中には、1~3階にICHIというレストラン街がある。
外からではわからないが、店がけっこう多い。
さあ、思い出の秋葉原を歩いてみよう。ラジオ会館の文字も見える。
駅近くの通路をみると、昔と同じ雰囲気だ。
本を読んだだけではわからないところを、ここで買った部品で組み立てて実験したのだ。
あれから一年になるのか。
熊本出身のひとりが酔ってしまって、先に帰るという。
何のためにこの店に来たのかを考えた上で言っているのか。と言いたくなる。
結局、東京育ちの二人だけでやった。
期待していたほどには熊本色を感じなかった。
今度、新橋へ行ったら、寄ってみよう。