旅路 とまりぎ

いくつかのグループでのできごと(主に旅)

芭蕉記念館

2011年02月04日 | 歴史
       芭蕉記念館
                    とまりぎ

 都営地下鉄大江戸線と新宿線が交差する森下駅に集まったのは、5人。

 「とまりぎ」会のちょっと遅い新年会だ。

ここから近い「魚三」でやろうということなのだが、開店は4時からだからそれまでの時間を芭蕉記念館へ行くことにした。

 幹事の携帯にもうひとりから30分遅れで着くという。それでは芭蕉記念館で会おうということにして、そこから10分ほどの記念館へ入った。

 CDのシステムがあって観ることができるようなので、係の人に頼んでいくつかのうちから代表的な一本をセットしてもらった。

 芭蕉の一生が30分ほどにまとめられていて、芭蕉がこれだけ有名になったことがよくわかる内容だった。

 画面に引き込まれていると観終わらないうちにもうひとりが来ていて、これで6人になった。

 展示は二階と三階にあって、なかなか読めない字で書かれた俳句と芭蕉の足跡を観ながら庭へ出た。

 ふる池や 蛙(かわず)飛こむ 水の音

      


         


  

 記念館の庭にこれらの句がある。

   

 外へ出て、近くの芭蕉稲荷の境内の銀杏の木に一句。

 最近になって、誰かがそばに桜の木を植えたのが花をつけている。

展示解説シート「芭蕉年譜」より
 芭蕉は寛永21(1644)年伊賀上野に生れる。
 寛文2(1662)年には藤堂藩に仕え、俳諧に親しむ。
 延宝3(1675)年ころ江戸へ出て、桃青の俳号で百韻興行に加わる。
 延宝8(1680)年4月、「桃青門弟独吟二十歌仙」刊行。門弟には杉風、ト尺、其角、嵐雪など。
 貞享元(1684)年8月、門人千里を伴い「野ざらし紀行」の旅に出る。
 貞享4(1687)年8月、曾良、宋波を伴い「鹿島紀行」の旅に出る。
 貞享5(1688)年8月11日、越人を伴い「更科紀行」の旅、下旬に江戸へ戻る。
 元禄2(1689)年3月、曾良を伴い「おくのほそ道」の旅に出る。
 元禄7(1694)年10月12日、大阪の地で没。51歳。
                   
 


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