goo blog サービス終了のお知らせ 

朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

東から西から、南から北から来て、神の国の宴会の席に着くのですから。ふさわしい礼服を着せていただいて

2022-10-11 20:59:00 | 聖書から
東西のいたるところで主の名を畏れ、
力を認める。イザヤ書59:19



イエスは言う:
人々は東西から、南北から来て、
神の国で宴会の席に着く。
そして、見よ。
後の人が先になり、
先の人が後になる。ルカ13:29~30



 ルカ7:1~10
 エステル記8:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』10/12;水)

    ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
彼らの仕打ちに応じて報復し、島々にも報復される。


そうして、西の方では【主】の御名が、
日の昇る方では主の栄光が恐れられる、のだそうです。



またそのとき、人々が東からも西からも、
また南からも北からも来て、
神の国で宴会の席に着くのだそうです。
ただ、後にいる者が先になり、先にいる者が後になって。





 イエスがカぺナウムに入られたとき、
ある百人隊長に重んじられていた一人のしもべが、
病気で死にかけていたのだそうです。




(そのローマ人の)百人隊長はイエスのことを聞き、
みもとにユダヤ人の長老たちを送って、
自分のしもべを助けに来てくださいとお願いした。


イエスのもとに来たその人たちは、
熱心にお願いして言った。
「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。
私たちの国民を愛し、
私たちのために自(みずか)ら会堂を建ててくれました。」



そこで、イエスは彼らと一緒に行かれた。
ところが、
百人隊長の家からあまり遠くないところまで来たとき、
百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスにこう伝えた。
「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。
あなた様を、
私のような者の家の屋根の下にお入れする資格は
ありませんので。



ですから、私自身があなた様のもとに伺うのも、
ふさわしいとは思いませんでした。
ただ、おことばを下さい。
そうして私のしもべを癒(いや)してください。

と申しますのは、
私も権威の下に置かれている者だからです。
私自身の下にも兵士たちがいて、
その一人に『行け』と言えば行きますし、
別の者に『来い』と言えば、そのようにします。」



イエスはこれを聞いて驚き、振り向いて、
ついて来た群衆に言われた。

「あなたがたに言いますが、
わたしはイスラエルのうちでも、
ころほどの信仰(信頼)を見たことがありません。」

使いに送られた人たちが家に戻ると、
そのしもべはよくなっていた。(ルカ7:1~10)





 それらを見た人々もそうですが、
私たちもイエスを通して私たちに届けられた
神の御業(みわざ)を体験して、この神を畏(おそ)れ、
その力を認め、

イエスによる恵みのプレゼントとして、
私たちも
神の国の宴会の席に着くことができるようにしてくださった
【父である神】に感謝し、賛美するのですね。



【父である神】は、私たちを、
その宴会の席にふさわしい服装にしてくださるのですから。



イエスを通して、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣(つか)わしくださり、

この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
書き記して、私たちのうちにご自身の思いがあるように
してくださり、
私たちが【父である神】と思いを一つにしながら生きるように
してくださるのですから。



イエスが生きられた神の子の生き方、
天の御国に住む者の生き方を生きさせてくださって。

今日も。



    ~~~~~~~~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

〈クリスチャンの結婚相談所
 Lita marriage service 〉

〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉


〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ

世に打ち勝つ、勝利のみことばを語って

2022-10-08 21:18:05 | 聖書から
世に勝つ勝利、
それは私たちの信仰です。Ⅰヨハネ5:4c

               (10/9の週の聖句)



主はモーセに言われた:
わたしは彼らのために、
同胞の中から
あなたのような預言者を立て、
その口に
わたしのことばを授ける。申命記18:18

神は私たちを、
福音を委ねるにふさわしいと
見なされましたから、
私たちは
人に喜ばれるように語るのではなく、
私たちの心を吟味される神に
喜んでいただけるように
語るのです。Ⅰテサロニケ2:4
  ロマ書10:9~17(18)
  詩篇138(通読箇所)
    (ローズンゲン『日々の聖句』10/9;Ⅱ日曜)

    ―――― ☆ ――――



 私たちがこの世に打ち勝ち、勝利するのは、
聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に信頼し、
この方の御思いと思いを一つにして歩む、
その生き方をしているときなのですね。




 この方、天の神、【主】は、
モーセをとおして約束されました。
同胞であるユダヤ人の中から、
モーセのような、一人の預言者を立てると。



そして、その方の口にご自身のことばを授けるので、
この方に聞き従うように、と。



そして、それからおよそ1500年ほどを経て、
ユダヤ人、ダビデ王の子孫として
イエスが人間の世に来られました。
「あの預言者」(ヨハネ1:21)として。




 このイエスは、
十字架刑での死と三日目、日曜日の早朝の
死人の中からの新しいからだへの復活、
そして、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
エルサレムにいた人たちの目の前で
十字架刑で死んだご自身が、
確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさいました。


そして、その、【父である神】の右の座の位にあって、
弟子たちに、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれれる方をお遣(つか)わしになり、
この方によって、弟子たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書き記して、
弟子たちが、
心に来た【父である神】の御思いと思いを一つにして、
【父である神】が語ろうと思われことを語り、
【父である神】がしようと思われることを
していく者にされました。


それで、イエスの使徒たち、弟子たちは、この方によって
【父である神】、【御子である神】イエスの思われることを
人々に語っていく者とされたのですね。
世に勝利するみことばを。

神に喜んでいただけるように、と。



 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
神が語ろうと思われることを語っていく者に。

この新しい週も。



    ~~~~~~~~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)


〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定
 Lita marriage service 〉

〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉


〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ

預言者たちが見たいと思っていたことが、私たちに、今

2022-10-07 20:49:01 | 聖書から
見よ、予告したことは訪れた。
だから、
わたしは新しいことを告げよう。
それが芽吹く前に、わたしは
あなたがたに聞かせよう。イザヤ書42:9



多くの預言者や正しい人たちは、
あなたがたが見ているものを
見たかったが、
見ることができず、
あなたがたが聞いているものを
聞きたかったが、
聞けなかったのでる。マタイ13:17



 ロマ書4:18~25
 エステル記5:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』10/8;土)

    ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分の預言者などを通して、
まだ、起こっていないこと、
これから起こることを民に告げられましたが、
それが、その預言のとおりに実現したではないか、
と仰るのですね。



そして、新しいこと、
まだ、告げられていないことをあなたがたに告げる、と。
それが芽吹く、
起ころうとする前に、あなたがたに聞かせようと。





 イエスを通して私たちに到来し、
私たちに実現していることは、
イエス以前の多くの預言者や
神との正しい関係に生きる人たちが、
見たい、聞きたいと切望しても見ることができず、
聞くことができなかったすばらしいもの、なのだと、
イエスは言われます。





 使徒パウロは、
自分の行った正しい行いで
神の前に義と認められる在り方ではなく、
神に信頼することで義と認めていただける生き方について、
次のように書き送っています。



「彼(アブラハム)は、望み得ない時に望みを抱いて信じ、
『あなたの子孫はこのように(星の数のように、
浜辺の砂の数のように)なる』(創世記15:5)と
言われていたとおり、
多くの国民の父となりました。



彼は、およそ100歳になり、
自分のからだがすでに死んだも同然であること、
またサラの胎が死んでいることを認めても、
その信仰(信頼)は弱りませんでした。
不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、
かえって信仰(信頼)が強められて、神に栄光を帰し、
神には約束したことを実行する力がある、
と確信していました。


だからこそ、『彼には、それが義と認められた』のです。
しかし、『彼には、それが義と認められた』と書かれたのは、
ただ彼のためだけでなく、私たちのためでもあります。

すなわち、私たちの主イエスを
死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、
義と認められるのです。



主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、
私たちが義と認められるために、
よみがえられました。」(ロマ4:18~25)





ここでパウロが言っているように、
神なく、望みなく、もろもろの約束とも関係のない者である
私たち異邦人が、イエスを通して実現した
信仰(信頼)による神の義をいただき、
アブラハムの子孫とされ、
神の子の身分をいただき、
神の御国を受け継ぐ者ともされて、


神の子にふさわしい生き方、
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】の御思いがうちにある者とされ、
【父である神】が思われる思いと
思いを合わせて生きるようにしていただけるのですから。



多くの預言者たちが見たいと思っていた
この出来事の中を、

私たちも、今日。



    ~~~~~~~~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)




〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定
 Lita marriage service 〉

〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ

夕暮れには泣いていても、朝明けには喜びの叫びが

2022-10-06 23:03:02 | 聖書から
主の怒りは一時でも、彼の恵みは生涯続く。
夕べに泣き続けても、朝には喜びがある。詩篇30:6

私たちの主イエス・キリストによって、
私たちは神を誇りとしています。ロマ書5:11

 黙示録2:8~11
 エステル記4:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』10/6;金)

主の道を歩むために、互いに語り、励まし合い、築き合って

2022-10-05 21:55:53 | 聖書から
主の道はまっすぐで、
正しい者はそこを歩む。
だが、背く者はそこにつまずく。ホセア書14:10



あなたがたがそうしているように、
互いに語り合い、
築き合いなさい。Ⅰテサロニケ5:11



 フィリピ書1:18b~26
 エステル記3:7~15(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』10/6;木)

    ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)と
思いを一つにして歩む道は、まっすぐで、平らなのですね。

正しい者はその生き方をし、
この方の思いを無視し、
あるいはこの方に背き、対抗して歩む者は
つまずくことになるようです。



 だから私たちは、この方と思いを一つにして歩むよう、
互いに語り合い、励まし合い、
築き合い、高め合うようにしていくのですね。



使徒パウロが、ピリピの人たちに書き送っているように。

「人々の中には、
ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、
善意からする者もいます。
見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方で
キリストが宣べ伝えられているのですから、
私はそのことと喜んでいます。
そうです。これからも喜ぶでしょう。


というのは、あなたがたの祈りと
イエス・キリストの御霊(みたま)の支えによって、
私が切に期待し望んでいるとおりに、
このことが結局私の救いとなることを知っているからです。



私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、
(投獄されている)今も、いつものように大胆に語り、
生きるにしても死ぬ(死刑にされる)にしても、
私の身によってキリストがあがめられることです。


私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
しかし、肉体において生きることが続くなら、
私の働きが実を結ぶことになるので、
(生きること、死ぬことの)どちらを選んだらよいか、
私には分かりません。
私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
そのほうが、はるかに望ましいのです。


しかし、この肉体にとどまることが、
あなたがたのためにはもっと必要です。
このことを確信しているので、
あなたがたの信仰の前進と喜びのために、
(死刑判決を受けることなく)私が生きながらえて、
あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。


そうなれば、私が再びあなたがたのもとに行けるので、
私に関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって
増し加わるでしょう」(ピリピ1:15、18~26)と。





 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いと思いを一つにしていきるよう、
語り合い、励まし合い、高め合い、
築き合っていくのですね。

今日も。



    ~~~~~~~~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉


〈(株)ブレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定
 Lita marriage service 〉




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ