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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

上からの知恵で生きる

2021-07-20 22:53:21 | 聖書から
主の諭を軽視するな。
もし主が戒めたら、
腹を立ててはならない。箴言3:11



上から出た知恵は、
何よりもまず、純真で、
更に、温和で、優しく、従順なものです。
憐れみと良い実に満ちています。
偏見はなく、
偽善的でもありません。ヤコブ書3:17



 使徒10:(21~23)24~36
 使徒22:1~21(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/21;水)



  ―――― ☆ ――—―


 イスラエルの王ソロモンは言います。
「わが子よ。
天の神、【主】の諭さとしを軽視するな。
主の戒めに腹を立てたり、
懲こらしめを拒み、その叱責を嫌うな。

父がいとし子を叱るように、
天の神、【主】は愛する者を叱るのだから」と。



 この方、天の神、【主】から来る知恵は、
純真で、温和で優しく、従順で協調性があり、
憐れみと良い実に満ち、
偏見はなく、偽善もないのだそうですから。




 使徒ペテロも、
ユダヤ人の慣習に従って、外国人と交わったり、
外国人を訪問したりすることは赦されていないことだと
思っていましたが、
天の神、【主】は、ペテロに、
どんな人のことも、きよくない者であるとか
汚けがれた者であるとか言ってはならないことを示され、
ペテロが、ローマ軍の百人隊長、
コルネリオスの招きに応じて出かけることができるように
準備されたのだそうです。



神は、えこひいきする方ではなく、
どこの国の人であっても、
神を恐れ、正義を行う人を受け入れられる方だと分からせて。


イエス・キリストはすべての人の王、
救い主なのですから。(使徒10:21~36) 




 サウロ(後の使徒パウロ)は、
ユダヤ人として、エルサレムで、
律法学者ガマリエルのもとで
先祖の律法について厳しく教育を受け、
神に対して熱心な者でした。



そして、イエスの弟子たちを迫害し、
男でも女でも縛って牢に入れ、死にまで至らせました。



さらに、隣国シリアのダマスコにまで出かけて、
そこにいるイエスの弟子たちを縛り上げ、
エルサレムに引いて来て処罰しようとしていました。



道を進んでま昼ころダマスコの近くまで来たとき、
突然、天からのまばゆい光がサウロの周りを照らし、
サウロは地に倒れ、そして声がありました。



「サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。」

サウロが「主よ、あなたはどなたですか」と問うと、
その方は言われました。
「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。
起き上がって、ダマスコに行きなさい。
あなたが行うように定められているすべてのことが、
そこであなたに告げられる。」(使徒22:1~21)



 このようにして、十字架に架かって死に、
墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活されたイエスは、サウロに現れ、
迫害者サウロをひっくり返し、
異邦人にイエスの救いを伝える
使徒パウロとされたのだそうです。




 天の神、【主】は、
私たちにも、イエスによる救いを伝え、受け取る者とし、
ご自身の知恵、
上から来た知恵で生きる者にしてくださるのだそうです。

今日も。





~~~~~~~~

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いよいよ、この方を慕って

2021-07-20 09:20:47 | 聖書から
主は言われる。
彼はわたしを慕うものだから、
彼を災いから逃れさせよう。詩91:14



愛する者たち、
私たちの心に責められることがなければ、
率直に神に語ろう。
そして、神に願うことを
神から得よう。Ⅰヨハネ3;21~22



 マタイ22:1~14
 使徒21;27~40(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/20;火)



  ―――― ☆ ――—―


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は私たちに言われます。



「彼がわたしを愛し、慕っているから、
わたしは彼を災いから逃れさせ、助け出す。
彼がわたしの名を知っているから、
わたしは彼を高く上げる」と。




 私たち、
【父である神】が私たちに
恵みのプレゼントとして与えていてくださる
イエスによる罪の赦しを受け取っている者は、
このイエスによって、心に責められることは、
一つ一つイエスの御前に差し出し、
見ていただき、受け取っていただいて、
はばかることなく、率直に、確信をもって神の御前に出、
神と話し、
神が私に与えようとしておられるものを
受け取って行くのですね。
神の思っておられるとおりに。





 【父である神】は、
王子の婚礼の披露宴を催した王のように、
天の御国の大祝会に
私たちを招待していてくださるのだそうです。
雄牛や肥えた家畜を屠ほふり、何も整えて。



 最初、招待されていた人たち(イスラエル民族)は、
行こうとしなかったのだそうですね。


それで、神は、使いの者たちを大通りに出て行かせ、
出会った人を誰でも、善い人、悪い人に関係なく
招いたのだそうです。



礼服を用意し、一人ひとりがその祝会にふさわしい服装に
着替えるようにされて。



ところが、王が客たちを見ようとして入って来ると、
そこに、婚礼の礼服を着ていない人がいたのだそうです。



それで王が、
「友よ。どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのか」と
尋ねても、彼は黙って返事をしようとしなかったのですね。



それで、その人は、
祝会の場から外へ放り出されたのだそうです。



その人は、よほど、自分の服装に自信があり、
「王が出してくれた礼服など、着ていられるか」という
思いがあったのでしょう。
イエスによる救いなど、私には必要ない、と。




 私たちも、自分の思いが成ることを求めて、
神の御思いを聞こうとしない性質を持つ者です。


その、〔生まれたときからの私〕という霊は、
イエスと一緒に十字架刑で処刑された者、
死んだ者としていただき、
その私から出て来た思いは、
死んだ者から出て来た思いであると認め、計算して、
イエスの御前に投げ捨てていくのですね。



【父である神】は、
イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方を

私たちに派遣され、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置いて、
私たちがご自身と思いを一つにし、
その思いのように行動していく者に、
していてくださるのだそうですから。



礼服を与えてもらった人のように。


神の守りの中で、
率直に神と語り合いながら。

今日の歩みを。





~~~~~~~~

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この幸いを、あなたも

2021-07-19 08:53:31 | 聖書から
いかに幸いなことでしょう。
背きを赦され、
罪を覆っていただいた者は。詩32:1



私たちは、
イエス・キリストによって、贖い、
すなわち罪の赦しを
得ているのです。コロサイ書1:14



 ヨハネ6:47~56
 使徒21:15~26(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/19;月)



  ―――― ☆ ――—―


 幸いなのですね。
その背きを赦していただき、
罪を覆っていただいた者は。



【父である神】は、
人となられた【御子である神】イエスによって、
イエスのいのちを代価として支払って私たちを贖あがない、
私たちに罪の赦しを与えて。




 イエスは言われます。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
信じる者は、永遠のいのちを持っています。


わたしはいのちのパンです。
これは天から下って来たパンで、
それを食べる死ぬことがありません。



わたしは、天から下って来た生けるパンです。
だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。


そして、わたしが与えるパンは、
世のいのちのための、私の肉です。



まことに、まことに、あなたがたに言います。
人の子(イエス)の肉を食べ、その血を飲まなければ、
あなたがたのうちに、いのちはありません。



わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
永遠のいのちを持っています。
わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。



わたしの肉はまことの食べ物、
わたしの血はまことの飲み物なのです。



わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
わたしのうちにとどまり、
わたしもその人の内にとどまります。」(ヨハネ6:47~56)





 また、言われます。
「いのちを与えるのは御霊です。
肉は何の益ももたらしません。
わたしがあなたがたに話してきたことばは、
霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63) 



つまり、イエスが「わたしはいのちのパンです。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲まなければ」と
言っているのは、
イエスの肉体の肉とか、血のことではなく、
霊の世界のことだということのようです。
【御霊】の世界のことだと。



イエスは、十字架に架かるために捕らえられる夜とられた
過ぎ越しの食事の席で、弟子たちに言われました。



「わたしが父のうちにいて、
父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。



わたしがあなたがたに言うことばは、
自分から話しているのではありません。
わたしのうちにおられる父が、
ご自分のわざを行っておられるのです。」





 また、言われます。
「(聖霊があなたがたに来られる)その日には、
わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、
そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、
あなたがたに(体験的に)わかります。」



 また、言われます。
「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、
わたしがあなたがたにいるように、
彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。
すべての人が一つとなるように。


わたしたちが一つであるように、
彼らも一つになるためです。
わたしが彼らのうちにいて、
あなたはわたしのうちにおられます。
彼らが完全に一つになるためです。」(ヨハネ14:10、20、17:21~23)





 これは、物質的世界では理解のしにくいことですが、
霊の世界ではこのようなことが起こるのでしょうね。



ちょうど、悪霊に憑つかれた人は、
その人の中に悪霊がいて、
その人は、悪霊がしようと思うことをしていきます。



そのように、「クリスチャン」とは
「キリスト(キリストが遣わされる【聖霊なる神】)に憑つかれた人、
キリスト気違い」のことのようです。
シリアのアンテオケで、人々は
イエスの弟子たちのことをこのように呼び始めたそうです。





 つまり、「永遠のいのちを持つ者、
イエスの肉を食べ、イエスの血を飲む者」とは、
十字架刑での処刑を受けて死に、
三日目、日曜日の朝、新しい霊にからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスが
お遣つかわしになる【聖霊なる神】をお迎えし、
この方によって、
【父である神】の御思いが私のうちにあり、
私の思いが【父である神】の内にあるようにしていただき、
思いを一つにする関係にしていただいて、
【父である神】がしようと思われることをしていく者に
していただくこと、なのでしょうね。



神を愛する者に、
そして、互いに相手を自分よりもすぐれた者として尊重し、
大切にし合い、
正義と公正と平和を求めていく者に。



【父である神】の御思い、
愛、喜び、平安、寛容、
親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22)の思いが
うちにある者に。



そして、私のうちに起こる思いの一つ一つも
イエスの御前に差し出し、受け取っていただきながら。



神の御思いが私のうちにあり、
私の思いが神のうちにある、
一つになる関係に。(ヨハネ6:47~56)





 その、【父である神】と思いを一つにする関係にあって、
パウロは、「この帯の持ち主をユダヤ人はエルサレムで縛り、
異邦人に引き渡す」との預言により、心を備えられながら、
エルサレムに上り、
ユダヤ人にいたずらな誤解を招かないようにと、
主の兄弟ヤコブや長老たちの勧めに従って、
自分が律法に忠実な者であることを示していきながら。(使徒21:15~26)



 私たちも、イエスの肉を食べ、イエスの血を飲む関係、
【聖である霊】と呼ばれる方により、
【父である神】の御思いがうちにある者にしていただきながら、
御思いが成ることを求めて。



背きを赦され、罪を覆っていただいた幸いの中で。

今日も。





~~~~~~~~

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あなたに、大いなることをしてくださる方

2021-07-17 20:41:19 | 聖書から
あなたがたはもはや、
他国人でもなく寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、
神の家族です。エフェソ書2:19(7/18の週の聖句)



主なる神よ、
あなたはまことに大いなる方。
私たちの知るかぎり、
あなたのような方はなく、
あなたのほかに神はありません。サムエル記下7:22



ヨハネは書く:
その方は
右手を私の上に置いて言われました。
「恐れるな。
わたしは最初の者にして最後の者、
また生きている者である。」黙示録1:17~18



 使徒2:41~47
 詩9(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』7/18;Ⅲ日曜)



  ―――― ☆ ――—―


 私たちは、もともと、
イエスから遠く離れ、
イスラエルの民から除外され、
約束の契約については他国人で、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。



しかし、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを、
イエスによって御父に近づくことはできる者としてくださり、
聖徒たちと同じ国の民であり、
神の家族にしてくださいました。



このようなことを私たちにしてくださる方は、
この方以外にはなく、
この方以外に、私たちが神とする者はいないのですね。





 使徒ヨハネが、天におられるイエスを見たとき、
ヨハネは死んだ者のようになり、
その足もとに倒れ込んだのだそうです。



するとその方はヨハネの上に右手を置いて言われました。
「恐れることはない。
わたしは初めであり終わりであり、生きている者である。
わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。
また、死とよみの鍵を持っている。」




 あの、【聖である霊】と呼ばれる方が
弟子たちのところに最初に来られたペンテコステの日、

ペテロたちは物音を聞いて集まってきた人たちに語りました。



「イスラエルの皆さん、
神はナザレ人イエスによって、
あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、
それによって、あなたがたにこの方を証しされました。



神が定めた計画と神の予知によって引き渡された
このイエスを、
あなたがたは律法を持たない人々(ローマ人)の手によって
十字架に架けて殺したのです。



しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、
よみがえらせました。
私たちはみな、そのことの証人です。



その、神の右に上げられたイエスが、
約束された聖霊を御父から受けて、
今あなたがたが目にし、耳にしている
聖霊を注いでくださったのです。



あなたがたはそれぞれ、罪を赦していただくために、
悔い改めて(神に向き直って)、
イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。



そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
この約束は、あなたがたに、
あなたがたの子どもたちに、
そして遠くにいるすべての人々に与えられているのです。」



そのことばを聞いて受け入れ、
神に向き直り、イエスを信じ、
バプテスマ(洗礼)を受けた人は、
成人の男だけで3000人ほどだったそうです。



 その、受け入れた人たちに来てくださった、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方は、
【父である神】の御思いを
その人たちの心に置いてくださったので、
彼らは、【父である神】の御思いのとおりに生きるように
なったのですね。

使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、
パンを裂き、祈りをして。


すべての人に恐れが生じ、
聖徒たちによって多くの不思議としるしが行われ、
信じた人々はみな一つになって、一切の物を共有にし、
財産や所有物を売っては、
それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。



毎日、心を一つにして宮に集まり、
家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美して。



民全体から好意をもたれ、
神は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださって。(使徒2:22~47)




 このようにしていただいた私たちも、
ダビデとともにこの方に賛美をささげるのですね。



「心を尽くして、私は主に感謝をささげます。
あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。
私はあなたを喜び、誇ります。
いと高き方よ あなたの御名をほめ歌います」と。(詩篇9:1~2)

この新しい週も。





~~~~~~~~

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あなたを癒し、その傷を包んでくださる方

2021-07-16 20:40:55 | 聖書から
主は打ち砕かれた心の人々を癒し、
その傷を包んでくださる。詩147:3


女たちは墓に行った。
ところが、目をあげて見ると、
あれほど大きな石が
すでに転がしてあった。マルコ14:2、4



 黙示録3:1~ 6
使徒21:1~14(通読箇所)
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  ―――― ☆ ――—―


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
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名乗られる方(出エジプト3:14)は、
打ち砕かれた心の人々を癒し、
彼らの傷を包んでくださる方。





 師と仰いだイエスが十字架につけられ、
悲しみと失望の中で、
そのからだをもっとていねいに葬ろうと
香料を持ってイエスが納められた墓に来た女性たち。



墓の入り口は大の男数人で動かさないと動かない
大きな石でふたがされていたのですが、
その石はすでに転がしてあって、
墓は開いていたのだそうです。



それで、中に入ってみると、イエスのからだは見当たらず、
途方に暮れていると、
まばゆいばかりの衣を着た二人の人が近くに来た。
彼女たちは恐ろしくなって顔を伏せた。
すると、その人たちはこう言った。


「あなたがたは、どうして
生きている方を死人の中に捜すのですか。
ここにはおられません。
よみがえられたのです。
まだガリラヤにおられたころ、
主がお話しになったことを思い出しなさい。



人の子は必ず罪人たちの手に渡され、
十字架につけられ、
三日目によみがえると言われたでしょう。」(ルカ24:1~7)




 天の神、【主】はそのように、悲しみ、
打ちひしがれている人をうれしい知らせをもって慰め、
希望を与えてくださる方なのですね。


 また、迫害と困難の中にいるある人々に、
励ましのことばをかけられて。



「わたしはあなたの行いを知っている。
あなたは、生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。
目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。
わたしはあなたの行いが
わたしの神の御前に完了したとは見ていない。



だから、どのように受け、聞いたのかを思い起こし、
それを守り、悔い改め(神に心を向け)なさい。



目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。
わたしがいつあなたのところに来るか、
あなたには決して分からない。



しかし、サルディスには、わずかだが、
その衣を汚さなかった者たちがいる。
彼らは白い衣を着て、私とともに歩む。
彼らはそれにふさわしい者たちだからである。
勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。


またわたしは、その者の名を
いのちの書から決して消しはしない。
わたしはその名を、
わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
耳のある者は、
御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。」(黙示録3:1~6)




 第3回伝道旅行を終えて、
エルサレムに上って行こうとするパウロに、
預言者アガポを通して、
「聖霊がこう言われます。
『この帯の持ち主を、
ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、
異邦人の手に渡すことになる』」と告げて、
パウロを励まし、



「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、
いったい何をしているのですか。
私は主イエスの名のためなら、
エルサレムで縛られるだけでなく、
死ぬことも覚悟しています」と、
前もって心の準備もさせてくださって。(使徒21:1~14)




 私たちも、砕かれた心を癒し、その傷を包んでくださる
この方に向かって心を開き、
この方に御思いが成ることを求めて。

今日も。





~~~~~~~~

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