神より正しいと
主張できる人間があろうか。ヨブ記9:2、3
律法学者が「先生、仰る通りです。
『神は唯一で他に神はない』
『心を尽くし知恵を尽くし
力を尽くして神を愛し、
隣人を自分のように愛せよ』という事は
焼き尽くす献げ物やいけにえよりも
優れています」と言うと
イエスは
「あなたに神の国から遠くない」
と言われた。マルコ12:32~34
ロマ書13:1~7
エレミヤ書25:1~14(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句10/27;火)
私たち人間は、
自分の判断のほうが神の判断よりも正しいと
思っている者のようです。
だから、神の上に立って、
神を判断しようとするのでしょうね。
また、この世の権威もすべて、
神によって立てられているのだそうです(ロマ13:1)。
しかし、私たちの心のどこかには、
権威に従いたくない思いがあるのですね。
律法学者の一人がイエスに尋ねたのだそうです。
すべての掟おきて、命令の中でどれが第一でしょう」と。
それでイエスは答えられたのですね。
「第一の戒めはこれです。
『聞け、イスラエルよ。
主は私たちの神。
主は唯一である。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、
知性を尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。』
第二の戒めはこれです。
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』
これより重要な命令は、ほかにありません」と。
これに対して、その律法学者は、
「先生、そのとおりです。」 と答え、
イエスから「あなたは神の国から遠くない」
と言ってもらえたのだそうです。
エレミヤは、イスラエルの民に語っています。
「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、
この23年間、私に【主】のことばがあり、
私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、
あなたがたは聞かなかった。
また、【主】はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを
早くからたびたび遣わされたのに、
あなたがたは聞かず、
聞こうと耳を傾けもしなかった」と。(エレミヤ24:3~4)
私たち、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)から、
ご自身と思いを一つにする者をと願われて
造られた者なのだそうです。(創世記1:26)、
しかし、私たちはその、神との一つに場にとどますことをせず、
この方に対立、対抗して、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」になった者の子孫。(創世記3:22)
自分を神の上に置き、
神に聞こうとしない性質を持っている者のようです。
神は、そのように「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスが受けられた十字架刑での死によって、
処刑が終わっている者、
死んだものとしていてくださるのでそうです。
そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって、私たちの心にご自身の思いを置いて、
私たちの内にご自身の思いがあるようにし、
受け入れる者が
ご自身と思いを一つにして生きるように
していて下さるのだそうです。
私たちも、この方をお迎えし、
神と心を一つにして生きるようにと。
今日も。
(聖書についての疑問、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
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主張できる人間があろうか。ヨブ記9:2、3
律法学者が「先生、仰る通りです。
『神は唯一で他に神はない』
『心を尽くし知恵を尽くし
力を尽くして神を愛し、
隣人を自分のように愛せよ』という事は
焼き尽くす献げ物やいけにえよりも
優れています」と言うと
イエスは
「あなたに神の国から遠くない」
と言われた。マルコ12:32~34
ロマ書13:1~7
エレミヤ書25:1~14(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句10/27;火)
私たち人間は、
自分の判断のほうが神の判断よりも正しいと
思っている者のようです。
だから、神の上に立って、
神を判断しようとするのでしょうね。
また、この世の権威もすべて、
神によって立てられているのだそうです(ロマ13:1)。
しかし、私たちの心のどこかには、
権威に従いたくない思いがあるのですね。
律法学者の一人がイエスに尋ねたのだそうです。
すべての掟おきて、命令の中でどれが第一でしょう」と。
それでイエスは答えられたのですね。
「第一の戒めはこれです。
『聞け、イスラエルよ。
主は私たちの神。
主は唯一である。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、
知性を尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。』
第二の戒めはこれです。
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』
これより重要な命令は、ほかにありません」と。
これに対して、その律法学者は、
「先生、そのとおりです。」 と答え、
イエスから「あなたは神の国から遠くない」
と言ってもらえたのだそうです。
エレミヤは、イスラエルの民に語っています。
「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、
この23年間、私に【主】のことばがあり、
私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、
あなたがたは聞かなかった。
また、【主】はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを
早くからたびたび遣わされたのに、
あなたがたは聞かず、
聞こうと耳を傾けもしなかった」と。(エレミヤ24:3~4)
私たち、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)から、
ご自身と思いを一つにする者をと願われて
造られた者なのだそうです。(創世記1:26)、
しかし、私たちはその、神との一つに場にとどますことをせず、
この方に対立、対抗して、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」になった者の子孫。(創世記3:22)
自分を神の上に置き、
神に聞こうとしない性質を持っている者のようです。
神は、そのように「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスが受けられた十字架刑での死によって、
処刑が終わっている者、
死んだものとしていてくださるのでそうです。
そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって、私たちの心にご自身の思いを置いて、
私たちの内にご自身の思いがあるようにし、
受け入れる者が
ご自身と思いを一つにして生きるように
していて下さるのだそうです。
私たちも、この方をお迎えし、
神と心を一つにして生きるようにと。
今日も。
(聖書についての疑問、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
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