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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

天の神、主に尋ね求め、相談しながら生きる

2019-10-11 08:04:41 | 聖書から
彼ら(イスラエルの民)は
戦車の数が多く、
騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、
主に尋ね求めようとしない。イザヤ書31:1



 私たちの資格(新しい契約に仕える資格)は
神から与えられたものです。Ⅱコリント3:5(6)


 黙示録2:8~11
 マタイ21:33~46(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句10/11;金)


 私たち、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている者は(創世記3:5、22)、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方に対立、対抗して、
この方と同じようになろうとして、
全知、全能、永遠不変の者になろうとする性質を持って
生まれてきているのですね。



 それで、知識を増し、自分の能力を伸ばし、
持ち物を増やし、兵力を増し、
この方に頼らなくてもいいようになり、
この方を無視し、自分の思うとおりに生きられる者になろうとする。
この方がどう思っておられるのか、など、気にも留めないでいいようにと。



 けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
「さあ、人と造ろう。
我々のかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26新改訳)とおしゃった
創造の最初の目的を完成させようとしておられる。



 それで、イエスは、
「あなた(父である神)がわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らも私たちにおるようになるため、

わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるため」(ヨハネ17:21~22)に、
十字架刑での処刑を受けられて、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしてくださる、というのですね。



 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたイエスは、 
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
御自分が確かに生きていることを証明し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたのですが、



 その位にあって、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださる
というのですね。。



 この方によって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、書きしるして、
【父である神】の御思いが私たちにあり、
私たちの思いが【父である神】の御心の中にあるようにしてくださる、

 【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、
思いを、心を、一つにしておられるように、
私たちとも、思いを、心を、一つにする者になろう、と。




 新しい契約、それは、
「見よ。その日が来る。
――主の御告げ―― 
その日、わたしは、
イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、
わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。
わたしは彼らの主であったのに、
彼らはわたしの契約を破ってしまった。
――主の御告げ―― 
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
――主の御告げ―― 
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、
彼らの心にこれを書きしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ31:25~33)。



 「わたしがきよい水をあなたがたの上にふりかけるそのとき、
あなたがたはすべての汚(けが)れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる」(エゼキエル36:25~27)というもの。



 私たちをあらゆる汚れからきよめたうえで、
新しい霊、【わたしの霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によって、私たちの心に
律法、定め(ご自身の御思い)を置き、書きしるして、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにして、
私たちをご自身と思いを、心を一つにする者にしてくださるとの。



 この新しい契約に与(あずか)り、仕える資格を
神が与えてくださる、というのですね。



 「見よ。悪魔はあなたがたをためすために、
あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。
あなたがたは十日の間苦しみを受ける。
死に至るまで忠実でありなさい。
そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
勝利を得る者は、
決して第二の死によってそこなわれることはない」(黙示録2:10~11)、
とおっしゃられて。



 イエスは「家を建てる者たちの見捨てた石」のように見捨てられ、
十字架刑での処刑を受けられて、
この、「新しい契約」の「礎(いしずえ)の石」(マタイ21:42)
となっていてくださるのですから。



 私たちも、
〔生まれたときからの私〕から出てくる思いは、
「死んだもの」から出て来た思いであると認めて、
イエスの御前に投げこみ、
かなぐり捨てながら、
新しい契約、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いを一つにしていくあゆみの中へと。
今日も。



(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、

等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



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喜んで愛し、あわれみ、いやして

2019-10-10 07:44:45 | 聖書から
わたしは背(そむ)く彼らをいやし、
喜んで彼らを愛する
(イスラエルへの主なる神の言葉)。ホセア書14: 5



疑いを抱いている人々を憐れみなさい。ユダ書22



 フィリピ書1:19~26
 マタイ21:28~32(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/10;木)



 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
背く私たち、
神と心を一つにして生きる者に、との願いで造られていながら、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
造り主である神に対立、対抗している私たちの、
その背きをいやし、
私たちを喜んで愛する、大切に思う、と仰ってくださっているのですね。



 だから、疑いを抱いている人を切り捨てるのではなく、
あわれみをもって、
火の中からつかみ出して救うように、と。



 それで、使徒パウロが言っているように、
私たちの願いは
「世を去って、イエス・キリストと共にいること」であり、
この世にいるよりも、その方がはるかに勝っているのですが、
天の神、【主】は、
なお、私たちをこの世に置いて、
皆の信仰の進歩と喜びのために一緒にいるように、
と思っておられるようです(ピリピ1:19~26)。



 ただ一緒にいても、
父親から「きょう、ぶどう園に行って働いてくれ」と言われて、
「行きます。お父さん」と答えながら、行かなかった
兄息子のような私たちをも、
「行きたくありません」と言ったが、
あとから悪かったと思って、ぶどう園に出かけて行った
弟息子のように、
父の願ったとおりにする者に(マタイ21:28~32)、と。



 【父である神】は、
私たちの
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、神に背く、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスが受けてくださった十字架刑での処刑に合体させて、
処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださるのだそうです。



 そのうえで、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって弟子たちに何度も現れ、
ご自身が確かに生きていることを示し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して、



 もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださり、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置いてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうですから。



 神の御思いを無視し、背くばかりだった私たちが
【父である神】と同じ思いを思い、心が一つになって、
「父の願ったとおりをする」者に、と。



 私たちを、喜んで愛し、あわれみ、いやして。
今日も。



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苦難のときに私に答え、旅の間、私と共にいて下さる方に

2019-10-09 08:19:44 | 聖書から
ヤコブの言葉:さあ、これからベテルに登ろう。
私はその地に、
苦難のときに私に答え、
旅の間私と共にいてくださった神のために
祭壇を造る。創世記35:3



 いつも、
あらゆることについて、
私たちの主イエス・キリストの名により、
父である神に感謝しなさい。エフェソ書5:20



 使徒9:36~42
 マタイ21:23~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/9;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が、
ヤコブに言われたのですね。

「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。
そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れて行ったとき、
あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」



 それで、そのお言葉のとおりにヤコブは行動したのですね。
私たちも、いつも、あらゆること、すべてのことについて、
私たちの主イエス・キリストの名によって、
父である神に感謝をささげる者へと。



 ヨッパの人々、
病気で死んだタビタ(ギリシャ語:ドルカス)を
ペテロを通して生き返らせてもらって(使徒9:36~42)、
どんなにか、慰めを得、神に感謝をささげたことでしょう。



 けれども、宮を管理し、民を指導する立場にあった祭司長、民の長老たちは、
イエスが盲人や足のなえた人をいやされるのを見ても、
「何の権威によってこれらのことをするのか。
だれが、あなたにその権威を授けたのか」と問いただすばかりで、
感謝しようとはしなかったのだそうです。



 私たちも、
天の神、【主】を無視して、自分の考えを押し通していく
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
イエスの十字架刑に合わせていただいて処刑されたもの、
死んだものから出てきている思いであると認めて
イエスの御前に差し出しながら、
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いについて行くのですね。
感謝をささげながら御思いの中へと。
今日も。



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悩む者が呼ばわったとき、天の神、【主】は聞かれて

2019-10-08 07:06:42 | 聖書から
私は主に求め、
主は答えてくださった。
脅(おびや)かすものから
常に救い出してくださった。詩34:5


 イエスの言葉:
ドラクメ銀貨を10枚持っている女がいて、
その一枚をなくしたとすれば、
ともし火をつけ、家を掃き、
見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。ルカ15:8



 イザヤ書38:9~20
 マタイ21:18~22(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/8;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの求めに答え、すべての恐怖、脅かすものから
私たちを常に救い出して下さる方。



 ドラクメ銀貨
(ギリシャの貨幣、1ドラクメ:労務者1日分の給料にあたる)
10枚を持っている婦人が、
その1枚をなくしたら、ともし火をつけ、家じゅうを掃き、
念を入れて捜すように、

私たち、失われた者を見つけるまで捜し求めて下さる方。





 ユダの王ヒゼキヤは病気になり、
天の神、【主】から、
「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。
もう直らない」と告げられて、
顔を壁に向け、
「ああ、主よ。どうか思い出してください。
私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、
あなたがよいと見られることをおこなってきたことを」と、
大声で泣いたのだそうです。

「つばめや、つるのように泣き、
鳩のように、朝までうめいて。」


 それで、神、【主】は、
「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。
見よ。わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう。
わたしはアッシリヤの王の手から、
あなたとこの町を救い出し、
この町を守る」と仰せられ、

お言葉のとおりにヒゼキヤをいやし、
エルサレムを守られたのだそうです(イザヤ38:1~6、13、14)。



 天の神、【主】は、
イエスが受けられた十字架刑での処刑によって、
「的はずれ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださり、


 死人の中から復活し、天のご自身の右の座に帰られたイエスを通して、
受け入れる者に、【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。



 この方によってご自身の思いを私たちの心に置き、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように、と。



 その者が、【父である神】と思いを一つにして祈り求めることは、
そのとおりになさるのだそうです。

いちじくの木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように」と言えば
そのいちじくの木ががたちまち枯れるようなことも、
また、山に向かって、「動いて、海に入れ」と言えば、
そのとおりになるというようなことも(マタイ21:18~22)。



 【父である神】がそうしようと思っておられれば
そのとおりに。

 脅(おびや)かすものから私たちを常に救い出して。
今日も。





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死を覚悟するような危険の中からも

2019-10-07 10:27:19 | 聖書から
主はわが岩、わが城、私を救う者。サムエル記下22:2(口語訳)



 これからも神は
私たちを救ってくださるに違いないこと、
私たちは神に希望をかけています。Ⅱコリント1:10



 ロマ書6:18~23
 マタイ21:12~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/7;月)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの存在の土台、基礎になる岩盤。
私たちをあらゆる困難から救ってくださる方。
私たちもこの方に希望をかけています。



 私たち、もとはこの方を無視し、罪の奴隷でしたが、
伝えられた福音に信頼し、罪から解放されて、義の奴隷としていただきました。



 以前は自分の手足を汚(けが)れと不法の奴隷としてささげて、
不法に進みましたが、
今は、その手足を義の奴隷としてささげて、
聖潔に進むようにしていただいているのですね。
死に至る道から永遠のいのちの道に。


 罪から来る報酬は死ですが、
【父である神】は、
「ダビデの子にホサナ」とほめたたえられる方(マタイ21:15)、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちを、
賜物、プレゼントとして
私たちに下さっているのだそうですから(ロマ6:18~23)。



 永遠のいのち、
わが岩、わが城、わが救いである

【父である神】と思いを一つにする関係の中を。
今日も。



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