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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

新しい霊によって、新しい心に

2019-02-15 07:00:20 | 聖書から
わたしはお前たちに新しい心を与え、
お前たちの中に新しい霊を置く。エゼキエル書36:26

 あなたがたは罪から解放され、
義に仕えるようになりました。ロマ書6:18

 Ⅰコリント2:6~10
 ロマ書9:6~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/15;金)

 私たち自身である、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっていて(創世記3:22)、
天の神、主の創造の目的から
「的外れ」になっているのだそうです。

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
その私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
イエスが受けられた十字架刑での処刑によって、
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、受け入れる者に、新しく、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 この方は、受け入れる者のうちにあって、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
置いてくださるのですね。

 それで、受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いが来て、
受け入れる者の心に
〔父である神〕の御思いがあるようになるのですね。

 私たちが、
自分自身である〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを、
イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて
「死んだ」とされた者から出て来た思いであると計算して、
これを神の御前に差し出しながら、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来た
〔父である神〕の御思いを自分の思いとして生きる者とし、
私たちの心を一新して(ロマ12:2)、
新しい心で生きる者にしてくださるのだそうです。

 罪、「的外れ」から解放され、
義、天の神、主と心を一つにして、
神の御思いを実現していく者に。

 この世の知恵ではなく、
隠された奥義としての神の知恵で(Ⅰコリント2:6~7)で生きる、
約束の子ども(ロマ9:8)としてくださって。
今日も。


(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。
また、ご家族などで、教会に行っていないけれど、葬儀はキリスト教で、等の
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信頼関係を始めてくださり、完成してくださる方に目を注ぎながら

2019-02-14 08:49:21 | 聖書から
思い起こせ初めからのことを。
わたしは神、ほかにはいない。
わたしは神であり、
わたしのような者はいない。イザヤ書46:9

 信仰の創始者
また完成者であるイエスを見つめよう。ヘブル書12:2

 黙示録1:(1~2)3~8
 ロマ書9:1~5(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/14;木)

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちに思い起こしてほしいのだそうですね。
初めからのことを。

 この方はイエスによって
私たちとの信頼関係を始めてくださった方。
そして、完成してくださる方。

 イエスは、今、おられ、昔おられ、
やがて来られる方。

 忠実な証人、
死者の中から最初によみがえられた方、
地上の王たちの支配者であられる方。

 私たちを愛して、
ご自身の血によって私たちを「的外れ」な生き方から、
神の創造の目的のとおりの生き方へと解き放ってくださる方。

 受け入れる者たちを王国とし、
ご自分の〔父である神〕のために祭司としてくださる方。

 やがて、雲に乗って来られる方。
アルファ(α)であり、オメガ(ω)である方(黙示録1:4~8))。

 最初に、イスラエル(ユダヤ人)を選んで子とし、
彼らに栄光、契約、律法、礼拝、約束を与えておられる方。

 万物の上にあり、
とこしえにほめたたえられる神なのですね(ロマ9:4~5)。

 この方を見上げながら、
今日も。


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「父」、私たちの贖い主となってくださって

2019-02-13 08:21:16 | 聖書から

主よ、あなたは私たちの父です。
「私たちの贖い主」
これは永遠の昔からあなたの御名です。イザヤ書63:16



 イエスの言葉:
だから、こう祈りなさい。
「天におられる私たちの父よ。
御名が崇められますように。」マタイ6:9



 ヨハネ3:31~36
 ロマ書8:31~39(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/13;水)



 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
イエスによって私たちの父となってくださった方、
「私たちの贖(あがな)い主」という名をもって呼ばれている方、
なのですね。



 私たちは、異邦人であって、イスラエルの国籍がなく、
もろもろの契約とも無関係で、
神なく、望みなく生きている者でした(エペソ2:12)。



 けれども、その、私たちにも、
イエスは、ご自身が命をかけて、間もなく、成し遂げられる
贖(あがな)いの御業の完成を見据えて、
この方を「父よ」と呼びなさいと言ってくださっているのですね。



 〔父である神〕は、
このイエスを神から遣わされた〔御子である神〕と信じ、
信頼してついて来る者には、
永遠のいのちで生きる者、

ご自身との具体的な関わりの中でご自身を体験しながら生きる者(ヨハネ17:3)、
としてくださるのだそうです。



 御子を無視し、
神の御子イエスによって完成した恵みを受け取らない者は、
いのちを見る、
体験することなく、
自分の責任を自分で負う(ヨハネ3:36)ことになるのだそうですから。



 このイエスによる神からの恵みを受け取り、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって
〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを
死んだ者から出て来た思いとして御前に差し出しながら、
〔父である神〕の御思いによって生きる者(ヨハネ3:34)について、
使徒パウロは言います。



 「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、
いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。



 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、
飢えですか、危険ですか、剣ですか。



 私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、
圧倒的な勝利者となるのです。
死も、いのちも、
御使いも、権威あるものも、
今あるものも、後に来るものも、
力ある者も、高さも、深さも、
そのほかどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません(ロマ8:33~39)、と。



 天の神、主が、
私たちの父、「贖い主」となっていてくださるのですから。

今日も。



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憐れみ深い父の御思いを受けて

2019-02-11 22:53:08 | 聖書から
憐れみと赦しは
主である神のもの。ダニエル書9:9

 あなたがたの父が憐れみ深いように、
あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。ルカ6:36

 ヨハネ1:43~51
 ロマ書8:26~30(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/12;火)

 不面目は私たちのものですが、
憐れみと赦しは神である主、
イエスによって私たちの父となってくださった方のものなのですね。

 〔父である神」は、
「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での処刑に合わせて処刑されたもの、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、このイエスを通して、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方の働きによって、私たちの心に御自身の御思いを置いてくださり、
受け入れる者がご自身と一つ思いになるようにしてくださるのだそうです。

 ご自身のあわれみの御思いも私たちの心に置いてくださって、
私たちをご自身と同じあわれみ深い思いを持つようにしてくださるのですね。

 神の知恵、知識、力が受け入れる者に来るようにも(ヨハネ1:43~51)。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちのことを〔父である神〕に執り成してくださり、
神はすべてのことを働かせて益としてくださり、
私たちを御子のかたちと同じ姿にしてくださるのだそうですから。
私たちを召し、義と認め、御子と同じ栄光を与えようと(ロマ8:26~30)。

この方によって
憐れみ深い〔父である神〕と一つ思いに。
今日も。

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神の栄光の輝きの中で

2019-02-11 10:05:32 | 聖書から

あなたの上には主が輝き出で、
主の栄光があなたの上に現れる。イザヤ書60:2(2/10の週の聖句)



 私の救い、私の主よ、
すぐに私を助けてください。詩38:23



 イエスは艫(とも)のほうで枕をして眠っておられた。
弟子たちはイエスを起こして、
「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」
と言った。マルコ4:38



 マルコ4:35~41
 詩63(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/10;Ⅱ日曜)


 私は御顔を仰いで満ち足り、
喜び祝い、
右の御手から永遠の喜びをいただきます。詩16:11



 霊の結ぶ実は愛であり、
喜び、平和、寛容、
親切、善意、誠実、
柔和、節制です。ガラテヤ5:22~23


 Ⅱコリント3:(9~11)12~18
 ロマ8:18~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/11;月・祝)

やみが地をおおい、
暗やみが諸国の民をおおっています。
けれども、天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方が来てくださるとき、
この方の栄光が私たちを包み、
光を放ち、輝いてくださるのだそうです。



 この方は、私たちの救い、
私たちの主であってくださる方。
私たちの救い主。



 イエスと弟子たちが小舟で、ガリラヤ湖の向こう岸へ渡ろうとしておられたとき、
突然、激しい突風が起こり、
舟は波をかぶって沈みそうになったのだそうです。
ところがイエスはとものほうで眠っておられたのですね。


 ガリラヤ湖の漁師であった弟子たちもどうすることもできなくなり、
イエスを起こして
「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」と言うと、
イエスは起き上がって、風を叱りつけ、
湖に「黙れ、静まれ」と言われたのだそうです。

すると、風はやみ、大なぎになったのだそうです(マルコ4:35~41)。


 この方の御顔を仰ぐとき、
私たちも満ち足り、喜び祝い、
永遠の喜びをいただくことができるのですね。



 私たち人間の始祖、アダムとエバは、
天の神、主から、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、
「わたしたちが一つであるように、わたしたちとひとつであるように」(ヨハネ17:21~23)
との願いで造られたものなのだそうです。



 しかし、彼らは、サタンに誘惑され、
その、造られた場にとどまることをせず、
もっと偉い者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになってしまったのだそうです(創世記3:22)。
神の創造の目的から「的が外れた」ものに」。



 そして、この
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている「的外れ」の性質は、
そのまま、私たちすべての人間に遺伝しているのですね。
私たちは、生まれながらにして「神のひとりのようになり、善悪を知る」者、
「的外れ」な者として生まれて来ているのですね。



 それで、この方が、
〔父である神〕の御思いを受けて、
天の〔神の御子〕の栄光の座を後にして、
「女の子孫」(創世記3:15)、
人間イエスとして人間の歴史の中に来られたのだそうです(ヨハネ1:1~14)。



 そして、およそ33歳の頃、
私たち、すべての人間の身代わりとなり、
私たちが問われるべき「的外れ」の責任のすべてをご自身の身に負って、
神に背いた者、神に呪われた者として十字架刑での処刑を受け、
天と地との間に掲げられてくださったのだそうです。

 〔父である神〕は、このイエスが受けられた処刑を、
私たち一人一人の処刑と見なしてくださり、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとし、
死亡手続きを済ませてくださるのだそうです。



 そのうえで、受け入れる者に、
このイエスを通して、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって私たちの心に
御自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
書きしるしてくださって、
受け入れる者の心に御自身の思いがあるようにし、
受け入れる者を、ご自身と一つ心の者にくださるのだそうです。
「わたしたちがひとつであるように、わたしたちと一つの者」にと。



 この〔聖である霊〕と呼ばれる方が働かれるとき、
私たちの心にも、
神の御性質である「愛、喜び、平和、寛容、
親切、善意、誠実、柔和、節制」の思いが来るようになるのですね。


 それで、この神の栄光の輝きの中で、
私たちもダビデのようにうたうのですね。

「神よ。あなたは私の神。
私はあなたを切に求めます。
水のない、砂漠の衰え果てた地で、
私のたましいは、あなたに渇き、
私の身もあなたを慕って気を失うばかりです。
私は、あなたの力と栄光を見るために、
こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。
あなたの恵みはいのちにもまさるゆえ、
私のくちびるは、あなたを賛美します。



 それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、
あなたの御名により、両手を上げて祈ります。
私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、
私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。
ああ、私は床の上であなたを思い出し、
夜ふけて私はあなたを思います。
あなたは私の助けでした。
御翼の陰で、私は喜び歌います。
私のたましいは、あなたにすがり、
あなたの右の手は、私を支えてくださいます」(詩篇63:1~8新改訳)、と。



 この新しい週も。


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