朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

必ず、成るのだそうですから。馬鹿を見、恥を受けることはないのだそうですから。

2016-07-25 19:09:39 | 聖書から
主なる神が、助けてくださるから、
  私は辱(はずかし)められることはない。イザヤ書50:7

 神は、私たちを救ってくださったし、
また救ってくださることでしょう。
 これからも救ってくださるにちがいないと、
私たちは神に希望をかけています。
 あなたがたも祈りで応援してください。Ⅱコリント1:10~11

      (ローズンゲン日々の聖句7/26;火)

 預言者イザヤは言います。
「神である主は、私に弟子の舌を与え、
疲れた者をことばで励ますことを教え、
朝ごとに、私を呼びさまし、
私の耳と開かせて、
私が弟子のように聞くようにされる。
神である主は、私の耳を開かれた。
私は逆らわず、うしろに退きもせず、
打つ者に私の背中をまかせ、
ひげを抜く者に私の頬をまかせ、
侮辱されても、つばきをかけられても、
私の顔を隠さなかった。

しかし、神である主は、私を助ける。
それゆえ、私は、侮辱されなかった。
それゆえ、私は顔を火打石のようにし、
恥を見てはならないと知った。

私を義とする方が近くにおられる。
だれが私と争うのか。
さあ、さばきの座に共に立とう。
どんな者が、私を訴えるのか。
私のところに出て来い。
見よ。神である主が、私を助ける。
だれが私を罪に定めるのか。
見よ。彼らはみな、衣のように古び、
しみが彼らを食い尽くす(イザヤ50:4~9、新改訳)」、と。


 使徒パウロは手紙に書いています。
「兄弟たちよ。
私たちがアジア(現在のトルコ地方)で会った、苦しみについて、ぜひ知っておいてください。
私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。
これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。
また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。
 あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。
それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです(Ⅱコリント1:8~11)、と。


 酒に酔うのではなく、詩と賛美と霊の歌によって互いに語り合いながら、
主に向かって、心から歌い、賛美しながら、御霊に満たされなさい。

 この方によって、主のみこころはなんであるかを、よく悟り、機会を十分に生かして用いるように(エペソ5:15~20)、と。


 その始まりは、からし種のように、地に蒔かれる種の中で、一番小さい、針の先でちょっと突いた程度の、見えない、気が付かない程度のことのようであっても、そうこうしているうちに、どんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどに、それほどに成長する(マルコ4:10~11)のだそうですから。
今日も。
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命と息と、すべてのものを与えて下さる方

2016-07-24 22:47:07 | 聖書から
御言葉によって天は造られ、

  主の口の息吹によって天の万象は造られた。詩編33:6




 神は何か足りないことでもあるかのように、

人の手によって仕えてもらう必要がありません。

すべての人に

命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、

この神だからです。使徒17:25




      (ローズンゲン日々の聖句7/25;月)




 詩篇33篇の作者は謳います。

「主のことばによって、天は造られた。

天の万象もすべて、御口のいぶきによって。

主は海の水をせきのように集め、深い水を倉に収められる。

全地よ。主を恐れよ。

世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。




まことに、主が仰せられると、そのようになり、

主が命じられると、それは堅く立つ。

主は国々のはかりごとを無効にし、

国々の民の計画をむなしくされる。

主のはかりごとはとこしえに立ち、

御心の計画は代々に至る。




幸いなことよ。

主をおのれの神とする、その国は。

神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は(詩篇33:6~12新改訳)と。







 使徒パウロはアテネのアレオパゴスの真ん中に立って答えたのだそうです。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、

天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。




 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の前面に住まわせ、

それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。

これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。




 神は、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考える無知の時代を、見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。




 なぜなら、神は、お立てになった一人の人(イエス)により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。




 そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです(使徒17:24~31)と。







 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方に、「このおびただしいあなたの民をさばくことができるように、善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」と願う若きソロモンに、正しくさばく知恵を与えられた方は(列王上3:16~28)、




人が地に種を蒔くと、夜は寝、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出し、育ち、穂が出、穂の中に実が入り、収穫のときが来るように、神の国、ご自身の支配を私たちに実現してくださるのだそうです(マルコ4:26~29)。

今日も。

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思いっきり生かしてほしいのだそうです。任されたものを。失敗してもいいから。

2016-07-24 07:56:48 | 聖書から
すべて多く与えられた者は、多く求められ、

  多く任された者は、さらに多く要求される。ルカ12:48

      (7/24の週の聖句)




 主は民の企てを挫(くじ)かれる。詩編33:10




 神は、

この力をキリストに働かせて、

キリストを死者の中から復活させ、

天においてご自分の右の座に着かせ、す

べての支配、権威、主権の上に置き、

唱えられるあらゆる名の上に置かれました。エフェソ1:20~21




      (ローズンゲン日々の聖句7/24;日)




 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のよう、なのだそうです。

彼は、おのおのその能力に応じて、一人には5タラント、ひとりには2タラント、もうひとりには1タラントを預けたのだそうです。




 よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、清算をしたところ、5タラント預かったものは、もう5タラントもうけ、2タラントの者はもう2タラントもうけけましたと差し出したので、主人は、「よくやった、良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」と言ったのだそうです。




 1タラント預かっていた者は、「ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。

私はこわくなり、出て行って、あなたの1タラントを地の中に隠しておきました。

さあどうぞ、これがあなたの物です」と差し出したので、

主人は、「だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば、利息が付いて返してもらえたのだ」と怒り、その1タラントを取り上げ、10タラント持っている者に与えた、というのですね(マタイ25:14~30)、〔1タラントは6000デナリ、仮に1デナリ(労働者の1日分の給料)を1万円とすると6000万円〕。




 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たち一人一人に、その能力に応じて、いろいろなものを任してくださっていて、それを、みんなの益のために用いるようにと思っておられるようです。




 けれども、私たちは、この1デナリを預かったしもべのように、主人の意向をくまないで、自分の理性の判断だけで行動し、自分の欲のままに、自分かってな計画を立てるばかりの者なのですね。




 天の神、主は、すべての人間の、「神の一人のようになり、善悪を知る者」になっている責任のすべてを引き受けて、十字架刑で処刑されたイエスを、死者の中からよみがえらせ、天使たち、悪霊たち、すべての名の上に高く置かれているのだそうです。




 それで、このイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、イエスに、「私の道を申し上げて」知っていただきながら、イエスの「仰せられる道」を、イエスと心を合わせて走る者になって欲しいと思っておられるのだそうです(詩篇119:25~32)。

この新しい週も。


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燭台の上の灯りのように

2016-07-23 07:56:27 | 聖書から
人に嘲られることを恐れるな。

  ののしられてもおののくな。イザヤ書51:7




 すべての人にほめられるとき、

あなたがたは不幸である。ルカ6:26




      (ローズンゲン日々の聖句7/23;土)




 私たち、出来るだけ多くの人に認められ、ほめられることを喜ぶ者です。

しかし、この曲がった邪悪な時代にあって(ピリピ2:15)、多くの人にほめられることが必ずしもいいこととは限らないようです。

正しく生きようとし、世の光として周りを照らす者は、時として悪評を受け、ののしられるようなことにもなるようです。




 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は言われます。

義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。

私に聞け。

あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。

あなたがたの父アブラハムと、

あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。

わたしが彼ひとりを呼び出し、

わたしが彼を祝福し、

彼の子孫をふやしたことを。




まことに主はシオンを慰め、

そのすべての廃墟を慰めて、

その荒野をエデンのように、

その砂漠を主の園のようにする。

そこには楽しみと喜び、感謝と歌声がある。



わたしの民よ。わたしに心に留めよ。

私の国民よ。わたしに耳を傾けよ。

おしえはわたしから出、

わたしはわたしの公義を定め、

国々の民の光とする。

わたしの義は近い。

わたしの救いはすでに出ている。

わたしの腕は国々の民をさばく。

島々はわたしを待ち望み、

わたしの腕により頼む。



目を天に上げよ。また下の地を見よ。

天は煙のように散り失せ、地も衣のように古びて、

その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。

しかし、わたしの救いはとこしえに続き、

わたしの義はくじけないからだ。

義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。

わたしに聞け。

人のそしりを恐れるな。

彼らのののしりにくじけるな。

しみが彼らを衣のように食い尽くし、

虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。

しかし、わたしの義はとこしえに続き、

わたし救いは代々にわたるからだ」(イザヤ51:1~8新改訳)と。



 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、

イエスの十字架刑での処刑と復活を通して来てくださる、「聖である霊」と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に、ご自身が私たち一人一人を通してしようと思っておられることを置いてくださるのだそうです(エゼキエル36:25~28)。




 それで、受け入れる者は、この方の、その御思いを自分の願い、自分の志とし、それを行う者にしていただき、世の光として輝くようにしていただけるのだそうです(ピリピ2:12~18)。




 受け入れる者は、燭台の上のあかりのように回りを照らすものとされ、おおい隠されているものを明らかにしていくために用いていただけるのだそうです(マルコ4:21~25)。

今日も。


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良い考えを与えていて下さる方が

2016-07-22 07:28:52 | 聖書から
主よ、

  あなたの定めは私の楽しみです。

    私に良い考えを与えてくれます。詩編119:24




 両親は

イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、

話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。ルカ2:46




      (ローズンゲン日々の聖句7/22;金)




 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の御思い、それが良い考え。


 それで、この方を相談相手とし、自分の考えをこの方に申し上げ(119:26)、この方の考えをお聞きすることは知恵を得る事であり、喜びの出来事になるのだそうです。







 エルサレム神殿に上った12歳のイエスが、宮で教師たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられたのだそうですが、聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていたのだそうです。

イエスは、この、「わたしはあるという者」と名乗られる方の知恵で満ちておられたのですね。




 この、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の言葉を聞いても、人々はいろいろな態度を取るのだそうです。




 人の考えでがっちり固まっている、人に踏み固められた道ばたのように、無視し、聞き流して心に留めようともしない人。




 岩地のように、この方の言葉をすぐによろ込んで聞くけれど、根を張らないで、困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人。




 いばらのいっぱい生えている土地のように、みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込み、みことばをふさぐので、実を結ぶに至らない人。




 良く耕された畑のように、困難や苦難で自分の限界を知り、心砕かれて、心が柔らかになり、この方の考えを受け入れて、30倍、60倍、100倍の実を結ぶ人たち(マルコ4:10~20)。







 自分が、天の神、主の前には、死刑になるはずの者と自分の実態を認め、

天の神、主が差し出していてくださるイエスの十字架刑で処刑を、自分自身の処刑と受け入れて、

「生まれたときからの霊」という自分自身は処刑されたものと手続きしていただき、

三日目に、墓より復活し、天の父の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、

この方によって、「父である神」の、私たち一人一人に対して思っていてくださる御思いを、心に置いていただく者は、

「父である神」と一つ思いにしていただけるのだそうです。




 それで、受け入れる者は、みな、心を一つにし、同情しあい、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜な心になるのだそうです。




「父である神」がしようと思っておられるとおりに、悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与える者にしていただけるのだそうです。




いのちを愛し、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行い、平和を追い求める者に(Ⅰペテロ3:8~17)。




今日も。


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