朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

命と息と、すべてのものを与えて下さる方

2016-07-24 22:47:07 | 聖書から
御言葉によって天は造られ、

  主の口の息吹によって天の万象は造られた。詩編33:6




 神は何か足りないことでもあるかのように、

人の手によって仕えてもらう必要がありません。

すべての人に

命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、

この神だからです。使徒17:25




      (ローズンゲン日々の聖句7/25;月)




 詩篇33篇の作者は謳います。

「主のことばによって、天は造られた。

天の万象もすべて、御口のいぶきによって。

主は海の水をせきのように集め、深い水を倉に収められる。

全地よ。主を恐れよ。

世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。




まことに、主が仰せられると、そのようになり、

主が命じられると、それは堅く立つ。

主は国々のはかりごとを無効にし、

国々の民の計画をむなしくされる。

主のはかりごとはとこしえに立ち、

御心の計画は代々に至る。




幸いなことよ。

主をおのれの神とする、その国は。

神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は(詩篇33:6~12新改訳)と。







 使徒パウロはアテネのアレオパゴスの真ん中に立って答えたのだそうです。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、

天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。




 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の前面に住まわせ、

それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。

これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。




 神は、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考える無知の時代を、見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。




 なぜなら、神は、お立てになった一人の人(イエス)により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。




 そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです(使徒17:24~31)と。







 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方に、「このおびただしいあなたの民をさばくことができるように、善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」と願う若きソロモンに、正しくさばく知恵を与えられた方は(列王上3:16~28)、




人が地に種を蒔くと、夜は寝、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出し、育ち、穂が出、穂の中に実が入り、収穫のときが来るように、神の国、ご自身の支配を私たちに実現してくださるのだそうです(マルコ4:26~29)。

今日も。

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思いっきり生かしてほしいのだそうです。任されたものを。失敗してもいいから。

2016-07-24 07:56:48 | 聖書から
すべて多く与えられた者は、多く求められ、

  多く任された者は、さらに多く要求される。ルカ12:48

      (7/24の週の聖句)




 主は民の企てを挫(くじ)かれる。詩編33:10




 神は、

この力をキリストに働かせて、

キリストを死者の中から復活させ、

天においてご自分の右の座に着かせ、す

べての支配、権威、主権の上に置き、

唱えられるあらゆる名の上に置かれました。エフェソ1:20~21




      (ローズンゲン日々の聖句7/24;日)




 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のよう、なのだそうです。

彼は、おのおのその能力に応じて、一人には5タラント、ひとりには2タラント、もうひとりには1タラントを預けたのだそうです。




 よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、清算をしたところ、5タラント預かったものは、もう5タラントもうけ、2タラントの者はもう2タラントもうけけましたと差し出したので、主人は、「よくやった、良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」と言ったのだそうです。




 1タラント預かっていた者は、「ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。

私はこわくなり、出て行って、あなたの1タラントを地の中に隠しておきました。

さあどうぞ、これがあなたの物です」と差し出したので、

主人は、「だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば、利息が付いて返してもらえたのだ」と怒り、その1タラントを取り上げ、10タラント持っている者に与えた、というのですね(マタイ25:14~30)、〔1タラントは6000デナリ、仮に1デナリ(労働者の1日分の給料)を1万円とすると6000万円〕。




 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たち一人一人に、その能力に応じて、いろいろなものを任してくださっていて、それを、みんなの益のために用いるようにと思っておられるようです。




 けれども、私たちは、この1デナリを預かったしもべのように、主人の意向をくまないで、自分の理性の判断だけで行動し、自分の欲のままに、自分かってな計画を立てるばかりの者なのですね。




 天の神、主は、すべての人間の、「神の一人のようになり、善悪を知る者」になっている責任のすべてを引き受けて、十字架刑で処刑されたイエスを、死者の中からよみがえらせ、天使たち、悪霊たち、すべての名の上に高く置かれているのだそうです。




 それで、このイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、イエスに、「私の道を申し上げて」知っていただきながら、イエスの「仰せられる道」を、イエスと心を合わせて走る者になって欲しいと思っておられるのだそうです(詩篇119:25~32)。

この新しい週も。


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