朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

高い者を引き降ろし、低い者を高く上げられる方

2015-09-25 23:06:55 | 聖書から
主は暴虐な者たちの歌声を低くされる。イザヤ書25:5

 マリアの言葉:
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、...
権力のある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げられる。ルカ1:51~52

      (ローズンゲン日々の聖句9/26;土)

 天の神、主と呼ばれる方は、ご自身が立てておられた、遠い昔からの不思議なご計画を、忠実に為し遂げられる方なのだそうです。

 栄えていた町を石くれの山とし、城壁のある堅固な都を廃墟にされる方。弱っている者の砦、貧しい者の悩みのときの砦、嵐のときの避け所、暑さを避ける陰となられる方。濃い雲の陰になって静まる暑さのように、横暴な者たちの歌をしずめられる方。

 御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされ、低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返される方。

 独り子である方を人の世に生まれさせ、すべての人のそむきの罰をこの方に負わせて処刑し、贖い(買い戻し)が完了したことの証拠として、この方を三日目に復活させ、すべての人を御自身の家族に迎えたいと願っておられる方。

 イエスのうちに働いて、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ」と叫び立てる、道ばたで物乞いをしていた二人の盲人をかわいそうに思って、目にさわり、見えるようにされ、二人をイエスに従う者にされた方(マタイ20:29~34)。

 イエスの十字架の処刑による贖い(買い戻し)を受け取った者に、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣し、この方によってご自身の御思いをその心に来させて、一つ思いを持つ者にし、ご自分のしようと思っておられる御業をさせて下さり(ヨハネ14:12)、ご自身の同労者、協働者の栄誉を与えようと願っていてくださる方。
今日も。


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慈しみを受け取って生きる者を守って下さるのだそうですね。最期まで。

2015-09-24 22:27:09 | 聖書から
主の慈しみに生きる人の魂を主は守り、

神に逆らう者の手から助け出してくださる。詩編97:10




 キリストの言葉:

あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。

それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。黙示録3:10(ローズンゲン日々の聖句9/25;金)
守ってくださるのですね。主の慈しみを受け取って生きる者を。
約束のことばが実現することを期待し、待ち望んでいる者を守ってくださるのだそうです。世の終わりに全世界に望む患難のときにも。
イエスは、ご自身が捕縛されるときにも、捕えに来た人々に、「だれを捜すのか」と尋ねられ、「それはわたしです。わたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい」と言われて、弟子たちを逃がされたのだそうです(ヨハネ18:1~9)。
「人の子(イエスご自身)が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである」(マタイ20:28)とおっしゃられる方が、守ってくださるのだそうです。主の慈しみを受け取って生きる者を。
今日も。


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一人一人、違いながら一つなのだそうですね。私たちも。

2015-09-24 07:40:22 | 聖書から
主よ、神々の中に、あなたのような方が誰かあるでしょうか。
誰か、あなたのように聖において輝き、
ほむべき御業によって畏れられ、
くすしき御業を行う方があるでしょうか。出エジプト記15:11
...

 働きにはいろいろありますが、
すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。Ⅰコリント12:6

      (ローズンゲン日々の聖句9/24;木)

 天の神、主は、この人間の世界に具体的に働かれる方なのだそうです。
直接、働かれる場合もありますが、多くの場合、私たち、人間を通して何かをなさろうとされるようです。

 主は、私たち、人間と、愛し合う関係、互いに相手を大切に思い、心を一つにし合う関係になりたいと願っていて下さるのだそうですね。それで、自分だけで何かをしてしまうのではなく、私たち、一人一人と、一つ思いになり、心を合わせて何かをしていきたい、協働者、同労者として、苦労も、悲しみ喜びも、また、栄光も共にしていきたいと思っておられるようです。

 天の神、主は、私たち、イエスの十字架刑での処刑を、自分の処刑としていただき、処刑済みの手続きをいただいた者に、聖である霊と呼ばれる方を派遣して下さるのだそうです(使徒1:4~5)。
そして、この方をお迎えする者の心に、ご自身の御思いを置いてくださり (エゼキエル36:26)、私たち一人一人に関わる部分において、私たちを御自身と同じ思い、一つ心にし、ご自身が、私たち一人一人を通してこれからしようと思われることを、一人一人に願いとして起こしてくださり、一つ願いを持つ者にしてくださって、ご自身と一つ行動をとるようにしてくださるのだそうです(ピリピ2:13)。
ちょうど、イエスがそうであったように(ヨハネ8:28)。

 それで、聖である霊と呼ばれる方は、父である神と呼ばれる方が私たち一人一人に思っておられるとおりに、一人一人に、それぞれの思いを起こしてくださるのですね。
それで、私たちは、聖である霊と呼ばれる方が来させてくださるままに、ある人はこのことを思い、ある人はあのことを思い、ある人はこの働きをし、また、ある人はあの働きをするようになるのだそうですが、同じ方がそれをされているのであって、すべての人の中ですべての働きをなさるのは同じ方なのだそうです。
ちょうど、それは、一つのからだが多くの肢体からできているような感じなのだそうですね。脳からの指令によって、それぞれの肢体がそれぞれのちがった働きをするわけですが、一つのからだとして調和があり、それぞれの働きが皆の益になっているように(Ⅰコリント12:4~27)。

 天の神、主は、私たち一人一人、それぞれを通してしようと思っておられることがあり、それを、それぞれの心に願いとして起こしてくださるのだそうですね。
今日も。


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御心を行うために、すべての良いものを備えて下さる方に

2015-09-22 23:54:05 | 聖書から
どうか主よ、私たちに救いを。
どうか主よ、私たちに栄えを。詩編118:25

 平和の神が御心にかなうことを

イエス・キリストによって私たちにしてくださり、

御心を行うために、

すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。
栄光がキリストにありますように。ヘブル書13:21
...
      (ローズンゲン日々の聖句9/23;水)

 家を建てる者たちの捨てた石。
こんな石は使えない、役に立たない、と、見放され、見捨てられた石、それが礎の石となったとの預言なのですね。
「これは、主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである」(詩編118:22~23新改訳)と。

 この預言から、おそらく、1000年ほど後のエルサレム。
当時のユダヤの指導者たち、祭司長、律法学者たちから、役に立たない者、邪魔者として、一人の男が十字架刑で処刑されたのだそうです。
 それは、過ぎ越しの祭りの前日、金曜日のことなのだそうですが、十字架につけられたのが午前9時、息を引き取られたのが午後3時頃、安息日が始まる日没が迫っていたので、その男、イエスの死体を引き取ったアリマタヤ出身のヨセフが、自分のために掘っておいた墓に納めたのだそうです。

 ところが、三日目、日曜日の早朝、マグダラのマリヤと数人の女性たちが、イエスのからだに香料を塗ろうと墓に行ってみると、イエスのからだはそこにはなく、天使が、「イエスはよみがえった」と告げたのだそうです。
 その後、イエスは、40日に渡って何度も弟子たちに現れて、自分が生きていることを実証したうえで、弟子たちの見ている前で、オリーブ山から、天の御父のもとに帰って行かれたのだそうです。

 そして、天の父と呼ばれる方の右の座に着かれたイエスによって、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を、この方を受け入れる者に派遣してくださって、この方の働きによって、受け入れる者の心に天の父の御思いを置いてくださり、私たち一人一人に関わる部分において、私たちを、心を一つにして生きるようにし、御思いと一つ思いになってこれを行って行く者にしてくださるのだそうです。

 この救いの礎は、家を建てる者たちが捨てた石、あのナザレ出身の、十字架刑で処刑されたイエスなのだそうです。この方を土台として私たちの救いが打ち建てられ、天の父と思いを一つにし、行動を一つにした者としての、私たちの栄光があるのだそうです。
今日も。


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空腹な人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、裸の人に着せ、病気の人を見舞い、

2015-09-22 06:54:24 | 聖書から

さまよう貧しい人を家に招き入れなさい。イザヤ書58:7




 おまえたちは、

わたしが旅をしていたときに宿を貸し、
裸のときに着せ、
病気の時に見舞ってくれた。マタイ25:35~36

     (ローズンゲン日々の聖句9/22;火)

 あの方は言われるのですね。
「わたしの好む断食は、悪のきずなを解き、
くびきのなわめをほどき、
しいたげられた者たちを自由の身とし、
すべてのくびきを砕くことではないか。
飢えた者にはあなたのパンを分け与え、
家のない貧しい人々を家に入れ、
裸の人を見て、これに着せ、
あなたの肉親の世話をすることではないか」(イザヤ58:6~7)と。




 それで、イエスも、
「空腹での人に食べ物を与え、
渇いている人に飲ませ、
旅人に宿を貸し、
裸の人に着る物を与え、
病気の人を見舞い、
牢にいる人をたずね」(マタイ2535~36)て欲しいのだそうです。

 私たちの生まれたときからの霊から来る思いは、このような人たちを見てみないふりをするものですが、イエスが派遣して下さる聖である霊と呼ばれる方が、御自分を受け入れた人たちの心に来させて下さる御思いは、この、イエスと同じ思いなのでしょうね。
天の父とよばれる方は、私たちを「御霊に満たし」(エペソ5:18)、イエスと同じ御思いを私たちの心にも置いてくださるのだそうです。
今日も。



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