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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

御思いと一つ思いになって生きられるのだそうです。私たちも。

2015-04-10 08:14:32 | 聖書から
あなたの神、主のもとに立ち帰るならば、
あなたの神、主はあなたの運命を回復し、
あなたを憐れんでくださる。申命記30:2~3







あなたがたは、罪から解放され、
義に仕えるようになりました。ロマ書6:18





          (ローズンゲン日々の聖句4/10;金)



 はずれてしまっている者なのですね。私たち。いるべき場所から。
でも、戻って来て欲しいのだそうです。あの方。
そして、夫婦が、あるいは親子が、上司と部下が、尊敬する師と弟子とが

思いを一つにし、願いを共有し、行動を一つにしていくように、

一緒にいて喜び合う関係に戻りたいのだそうです。


「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。」のように。







 三位一体である方のひとりのようになり、自らが善悪を判断、決定する者になろうとしている(創世記3:22)

私たち人間は、あの方と心を一つにしていく在り方には拒否反応をする者なのですね。




 でも、あの方は、そのような私たちを、なお、慕い求めていて下さるのだそうです。
それで、「帰って来ておくれ」といつも呼びかけ続けていて下さる。

 自分を捨て、他の男のもとに走った妻を買い戻しに行く、格好の悪い男、ホセアのように(ホセア書3章)。

 「銀15シェケルと大麦1ホメル半」の身請け金ではなく、

御自身の、愛して止まない独り子である方を私たちの身代わりにして、反逆者とし処刑することまでして。







 さらに、私たちが了解さえすれば、「妬むほどに愛しておられる方」(ヤコブ4:5)を、

逆らうばかりの私たちの内に派遣して、私たちの心を一新し(ロマ12:1~2)、

私たちの心に、私たち一人ひとりに関わる御自身の思いと同じ思いを置いて下さって(エゼキエル36:26~29)、

私たち一人ひとりを通して、今日、しようと思っていらっしゃることを、

私たちそれぞれがするようにして下さる(ヨハネ14:12)。




 御自分たちが一つになっているように、私たちも、御自身と一つ思いになって生きるようにして下さるのだそうです(創世記1:26)。
そのような一日を生きてみたいものですね。
今日も。


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善い働きをし、善い言葉が口から出るようにして下さるのだそうです。あの方が。

2015-04-09 00:38:46 | 聖書から
主よ、あなたの慈しみと救いが、
仰せのとおり、
私を訪れますように。詩編119:41







私たちの主イエス・キリスト御自身と...
私たちを愛し、永遠の慰めと希望とを恵みにより与えてくださる
父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、
いつも善い働きをし、
善い言葉を語らせてくださるように。Ⅱテサロニケ2:16~17


              (ローズンゲン日々の聖句4/9;木)





 天の神、主である方の慈しみと救いは、聖書に記されているのですね。

この詩人は謳います。
その約束の言葉のとおりが私に実現しますように、
おことばのとおりに私になりますように、と。




 私たち人間に対する愛を、御子イエスによって現し、
永遠の慰めと永遠の希望を与えていて下さる方が、
私たちの内に来て下さる聖である霊と呼ばれるに方よって、
私たちの心に善い思いを置いて下さり、
自ら進んで善い働きをし、
善い言葉を語らせて下さるというのですね。

心に満ちた思いが、
言葉となって口から飛び出してくるのだそうですから。




 たとえば、
与えられた恵みの賜物に従って、
奉仕をする人、教え、勧めをする人、分け与える人、指導する人、
慈善を行う人などが起こるのだそうですね。





偽りのない愛によって、悪を憎み、善に親しみ、
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、
尊敬をもって互いに
人を自分よりもまさっていると思うようになるのだそうです。





勤勉で、怠らず、霊に燃えて主に仕えるのだそうですね。
望みを抱いて喜び、患難に耐え、
絶えず、神である主と語らうようになるのだそうです。





旅人をもてなし、迫害する者を祝福し、
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者と一緒に泣き、
互いに一つ心になり、高ぶった思いをもたないで、
悪に悪を報いることをせず、平和を保ち、
復讐は神の怒りに任せ、善をもって悪に打ち勝つのだそうです(ロマ12章)。




 聖である霊と呼ばれる方が心に置いて下さった思いに従って行った結果なのだそうです。
実を結ぶのですね。ねがっていけば。
今日も。


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聞いて学び、御思いを知って、御思いに沿った人生を歩んでほしいのだそうです。子供たちにも。

2015-04-08 00:34:01 | 聖書から
この律法をまだ知らない子供たちも聞いて学び、
生きているかぎりあなたたちの神、主を畏れるようになる。申命記31:13

イエスの言葉:
子供たちをわたしのところに来させなさい。
妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。ルカ18:16

            (ローズンゲン日々の聖句4/8;水)

 子供たちのほうがよく分かるということでしょうか。大人たちよりも。

 神様からの言葉をよく聞いて学び、
天の神、主を畏れ敬うようになることが、
約束の地で長く生きる秘訣なのだそうです。

 それで、7年の終わりごとに、免除の年の定めの時、仮庵の祭りに、
すべての人々にこの御教えを読んで聞かせるようにと
神である主は仰られたのでしょうか(申命記31:10~13)。

 私たちも、イエスが復活された日曜日、みんなで集まって、
あの本により、神である主の御思いを聞き、
また、日ごとに、聖書をとおしてあの方の御思いを聞くのですね。
今日も。
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死んでよみがえられた方が、死に勝利させて下さる。私たちにも。

2015-04-06 23:47:38 | 聖書から
死の綱が私に絡みつき、
苦しみと嘆きを前にして主の御名を私は呼ぶ。
「どうか主よ、
私の魂をお救いください。」詩編116:3~4

私たちの主イエス・キリストによって
私たちに勝利を賜る神に、感謝しよう。Ⅰコリント15:57
      (ローズンゲン日々の聖句4/7;火)
 まさに死に瀕しているとき、天の神、主が私たちの救いなのですね。
誰も助けてくれる者がいない中にあって、
主を呼び求めるなら、答えて、助けて下さる方なのだそうです。
 まことにあわれみ深い方、わきまえのない者を守られ、
貶(おとし)められている者を救い、
私たちの魂を死から、私たちの目を涙から、
私たちの足をつまづきから救い出して下さる方なのだそうです。
 最終的には、私たち人間は死にますけれど、
死んでそれっきりということではないのだそうですね。
ちょうど穀物の種粒が蒔かれて死ぬけれど、
芽を出し、それぞれの種類に従って、
種粒の時とは全く違うからだが与えられる、
そのように、私たちも、今の身体を脱ぐけれど、
新しいからだ、霊のからだとか復活のからだと呼んでいる新しいからだを与えていただいて、その新しいからだを着ることになるのだそうです。
 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着、死ぬものは、必ず不死を着ることになるのだそうですから(Ⅰコリント15:35~57)。
 十字架に架かって死んだけれど、三日目に墓より復活した方によって、
死にさえも、完全に勝利する者として下さるのだそうです。
死の向こうにも、私たちに希望を与えていて下さるのですね。
永遠の世界に生きるという。
今日も。
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生きて、働いておられる方。今日も。

2015-04-05 23:37:10 | 聖書から
千年といえども
御目には、昨日が今日へと移る夜のひと時にすぎません。詩編90:4




キリストの言葉:
恐れるな。...
わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。
一度は死んだが、
見よ、世々限りなく生きて、
死と陰府の鍵を持っている。黙示録1:17~18





        (ローズンゲン日々の聖句4/6;月)







 私たち人間にとっては、千年は長い期間ですが、
天の神、主にとっては、まるで夜のひと時のようなのだそうです。
なぜなら、この方は最初の者であり、最後の者、
天地の造られる前からおられ、
御思いのままに、この天地、宇宙を、そして、人間を造られた方。




 十字架刑によって一度は死なれた方。
けれども、三日目に墓から復活された方。
世々、限りなく生きておられる方。

生きている者も、死んだ者も、この方の前に出て、
言い開きをすることになるのだそうです。
一人一人がそれぞれの仕業に応じて
公平に裁かれることになるのだそうです。




 その御座に着いておられる方は、
私たち人間の罪を背負って十字架刑で処刑された方、
ほふられた小羊とみられる方なのだそうです。
私たちは、この方の血潮の覆いのもとで、
受けるべき刑罰を過ぎ越すのだそうです。




 そればかりか、聖である霊と呼ばれる方が私たちの内に来られて、
天の神、主の、一人一人に関わる御思いを心に書き付けて下さって、
天の神、主と心を一つにしてことに当たらせて下さるのだそうです。
今日も。

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