思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださる。Ⅰペテロ5:7(9/24の週の聖句)
わたしは、生と死、祝福と呪いをあなたがたの前に置く。
あなたがたは命を選びなさい。申命記30:19
イエスの言葉:
わたしが来たのは、
彼らが命を受けるため、
しかも豊かに受けるためである。ヨハネ10:10
マタイ6:25~34
詩20(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句9/24;Ⅳ日)
使徒パウロは、ピレモンに、ピレモンのところから逃亡した奴隷、オネシモのことについて、言っています。
「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、
こういうわけですから、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。
私は、あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。
それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、
自発的でなければいけないからです」(ピレモン8~9、14)と。
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、私たちと愛し合う関係を深めたいと思っていらっしゃる方なのだそうです。
愛し合う関係、それは、強制されたものではなく、自由意思で、自発的なものなのですね。
それで、天の神、主は、私たちが、自由意思で、自発的に、自分からすすんで、
ご自身との愛し合う関係に入ってほしいと願っておられるのだそうです。
それで、私たちの前にも、生と死、祝福と呪いの道を置かれているのだそうです。
人となられた〔御子である神〕、イエスに、
私たちの、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、
創造の目的から「的外れ」になっている責任を負わせて、
私たちの身代わりにして、十字架刑で処刑し、私たちを処罰済みのものとし、
そのイエスによって、私たちにもう一人の助け主、〔聖である霊」と呼ばれる方を派遣し、
この方によって、〔父である神〕が私たち一人一人に対して持っておられる御思いを、私たち、それぞれの心に置いてくださって、
私たちが、〔父である神〕と思いを一つにし、心を一つにして生きる道を用意し、
私たちに差し出していてくださるのだそうです。
神が仰る「われわれのかたちとして、われわれに似せた」(創世記1:26)もの、
イエスが仰る、「わたしたち(父である神、御子である神、聖なる霊と呼ばれる神)が一つであるように、彼らがわたしたちとひとつになって」(ヨハネ17:21~23)、
命を豊かに受けて生きる道を。
けれども、私たちは、この天の神からの提案を拒否、あるいは無視して、今までどうり、
「神のひとりのようになろう」とし、「善悪を知る者」として、
自分の理性を神とし、その善し悪しの判断のままに、天の神、主に対立、対抗して生きる、
創造の目的から「的外れ」になったものとして、
最終的には滅びに至る死の道を進む自由も与えられているのだそうです。
そのうえで、天の神、主は、私たちにいのちの道を選び、
ご自身と愛し合う関係に戻ってきてほしいと、よりを戻してほしいとおっしゃっておられるのだそうです。
私たちが、天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方を、「私の神」とし、
思い煩いの一つ一つを、私たちのことを心にかけていてくださる、この方に話して、知っていただきながら、平安のうちを生きるようになってほしいと(ピリヒ゜4:6~7)。
この方は、種を蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしない空の鳥を養っていてくださる方。
働きもしない、紡ぎもしない野のユリを、栄華を極めたソロモン王よりも美しく装ってくださる方。
だから、自分一人で思い煩っていないで、
十字架に架かられ、復活し、天の〔父である神〕の右の座に帰っておられるイエス、
そのイエスを通して来て下さる〔聖である霊〕と呼ばれる方、
その方が心に置いてくださる、〔父である神〕の御思いが、
自分自身を通してもなっていくことを求めるほうに心を向けていってほしいのだそうです(マタイ6:25~34)。
そして、私たちも言うのですね。
「苦難の日に、主があなたにお答えになりますように。
ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。
主が天の御座から、あなたに助けを送り、あなたを支えられますように。
あなたのささげものをすべて心に留め、受け入れてくださいますように。(詩篇20:1~3新改訳)と。
この新しい週も。
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神が、あなたがたのことを心にかけていてくださる。Ⅰペテロ5:7(9/24の週の聖句)
わたしは、生と死、祝福と呪いをあなたがたの前に置く。
あなたがたは命を選びなさい。申命記30:19
イエスの言葉:
わたしが来たのは、
彼らが命を受けるため、
しかも豊かに受けるためである。ヨハネ10:10
マタイ6:25~34
詩20(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句9/24;Ⅳ日)
使徒パウロは、ピレモンに、ピレモンのところから逃亡した奴隷、オネシモのことについて、言っています。
「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、
こういうわけですから、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。
私は、あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。
それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、
自発的でなければいけないからです」(ピレモン8~9、14)と。
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、私たちと愛し合う関係を深めたいと思っていらっしゃる方なのだそうです。
愛し合う関係、それは、強制されたものではなく、自由意思で、自発的なものなのですね。
それで、天の神、主は、私たちが、自由意思で、自発的に、自分からすすんで、
ご自身との愛し合う関係に入ってほしいと願っておられるのだそうです。
それで、私たちの前にも、生と死、祝福と呪いの道を置かれているのだそうです。
人となられた〔御子である神〕、イエスに、
私たちの、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、
創造の目的から「的外れ」になっている責任を負わせて、
私たちの身代わりにして、十字架刑で処刑し、私たちを処罰済みのものとし、
そのイエスによって、私たちにもう一人の助け主、〔聖である霊」と呼ばれる方を派遣し、
この方によって、〔父である神〕が私たち一人一人に対して持っておられる御思いを、私たち、それぞれの心に置いてくださって、
私たちが、〔父である神〕と思いを一つにし、心を一つにして生きる道を用意し、
私たちに差し出していてくださるのだそうです。
神が仰る「われわれのかたちとして、われわれに似せた」(創世記1:26)もの、
イエスが仰る、「わたしたち(父である神、御子である神、聖なる霊と呼ばれる神)が一つであるように、彼らがわたしたちとひとつになって」(ヨハネ17:21~23)、
命を豊かに受けて生きる道を。
けれども、私たちは、この天の神からの提案を拒否、あるいは無視して、今までどうり、
「神のひとりのようになろう」とし、「善悪を知る者」として、
自分の理性を神とし、その善し悪しの判断のままに、天の神、主に対立、対抗して生きる、
創造の目的から「的外れ」になったものとして、
最終的には滅びに至る死の道を進む自由も与えられているのだそうです。
そのうえで、天の神、主は、私たちにいのちの道を選び、
ご自身と愛し合う関係に戻ってきてほしいと、よりを戻してほしいとおっしゃっておられるのだそうです。
私たちが、天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方を、「私の神」とし、
思い煩いの一つ一つを、私たちのことを心にかけていてくださる、この方に話して、知っていただきながら、平安のうちを生きるようになってほしいと(ピリヒ゜4:6~7)。
この方は、種を蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしない空の鳥を養っていてくださる方。
働きもしない、紡ぎもしない野のユリを、栄華を極めたソロモン王よりも美しく装ってくださる方。
だから、自分一人で思い煩っていないで、
十字架に架かられ、復活し、天の〔父である神〕の右の座に帰っておられるイエス、
そのイエスを通して来て下さる〔聖である霊〕と呼ばれる方、
その方が心に置いてくださる、〔父である神〕の御思いが、
自分自身を通してもなっていくことを求めるほうに心を向けていってほしいのだそうです(マタイ6:25~34)。
そして、私たちも言うのですね。
「苦難の日に、主があなたにお答えになりますように。
ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。
主が天の御座から、あなたに助けを送り、あなたを支えられますように。
あなたのささげものをすべて心に留め、受け入れてくださいますように。(詩篇20:1~3新改訳)と。
この新しい週も。
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