朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

どちらの霊を、わが岩としていくのでしょうか。

2013-11-17 22:56:37 | 聖書から
主は

私の岩、砦、逃れ場。

サムエル記下22:2
 





キリストの言葉:

私のもとに来て、

わたしの言葉を聞き、

それを行う人は

皆、



岩の上に土台を置いて

家を建てた人に

似ている。

ルカ6:47〜48
 

 (ローズンゲン日々の聖句11/18;月)





何を、誰を土台を置く岩とするのか。...
心に映る、どの霊の思いを私の思いとしていくのか。

「主の霊」から来るあの方の御思いが、

心に、精神に書き付けられて、

私たちがその御思いによってを動いていく

在り方が、

岩の上に土台を置いて家を建てることであり、

良い木から良い実が結ばれていくことなのでしょうか。




「生まれたときからの私」という

的外れになってしまっている「霊」の思いで、

心を、精神を、そして身体を動かしていくなら、

悪い木からは悪い実が生るしかない

という結果になるということのようですね。




「生まれた時からの私」という「霊」から来る思いで、

心(精神)を動かし、

その心によって私の身体が動かされている状態で

イエスが話された言葉を行おうとすることは、

悪い木に良い実を生らせようとすることであり、

砂の上に土台を置いて家を建てようとしている

ことになるようですね。

(マタイ7:17~27)

「生まれた時からの私」という「霊」は、

イエス・キリストの十字架刑に合わせられて

処刑されたものと

計算し、



復活され、天に帰り、御父の右の座に着かれている

イエス・キリストが

派遣して下さる

「聖である霊」と呼ばれる方によって

心に書き付けられる

「御父」の御思いを

採用して、



その御思いで

心を、

そして身体を動かしていくのが

岩の上に土台を置くことであり、

良い木に接ぎ木されることであり、

「新しい契約」の在り方

なのだそうです

(エレミヤ31:33~34、エゼキエル36:26~27)。


それを受け取っていきたいものですね。

はっきりと

良い実が実るまでに。



今日も。




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