わたしは一度死んだが、
見よ、世々限りなく生きて、
死と陰府の鍵を持っている。黙示録1:18(4/21の週の聖句)
災いだ、
土の器のかけらにすぎないのに、
自分の造り主と争う者は。
粘土が陶工に言うだろうか。
「何を造っているのか」などと。イザヤ書45:9
キリストと結ばれる人はだれも、
新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、
新しいものが生じた。Ⅱコリント5:17
マルコ16:1~8
マタイ28:1~10(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句4/21;Ⅲ日曜 復活祭)
終わりの日に、
国は国に向かって剣を上げず、
もはや戦うことを学ばない。イザヤ書2:24
あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。ヨハネ20:21
ルカ24:13~35
Ⅰコリント15:50~58
マタイ28:11~20(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句4/22;月)
一度死んだことがあり、
新しい霊のからだに復活し(マルコ16:1~8、マタイ28:1~10、ルカ24:13~35)、
世々限りなく生きている方、
死と陰府を支配しておられる方なのですね。イエスは。
私たち、人間は、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方によって、
土地のちりでからだを造られ、
いのちの息を吹き込まれて生きたものとなったもの(創世記2:7)、なのですね。
それなのに、私たちは、
造られた方に向かって抗議するのですね。
「何を造るのか」とか、
「あなたの作った物には、手がついていない」などと。
天の神、主は、
この「的外れ」になっていて、
滅びに向かって進む私たちをなお、惜しんでくださって、
最初の目的どおりに回復しようとされたのだそうです。
イエスと合体させて、
イエスが受けられた十字架刑で処刑が終わったもの、死んだものとし、
墓に葬られ、
三日目の日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたイエスに合わせて
新しく生きる者としてくださるのだそうですから。
さらに、天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださって、
心に【父である神】の御思いを置いてくださり、
【父である神】と一つ心にしてくださって、
【父である神】の御思いで新しく生きる者にしてくださるのだそうですから。
〔生まれたときからの私〕という霊は、
死んだもの、古いものとして過ぎ去らせて。
そして、受け入れる者に平和を賜わり、
それぞれの場に派遣して。
「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)と。
終わりのラッパが鳴り、
イエスが二度目に来られる時、
私たちのからだは一瞬のうちに霊のからだに変えられ(Ⅰコリント15:51~52)、
雲の中に引き上げられ、
いつまでも
イエスと一緒にいるようにしていただけるのだそうですから(Ⅰテサロニケ4:16~17)。
だから、
私たちの労苦が無駄になることはないのですね。
この新しい1週間も。
(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、ご家族などの葬儀をキリスト教でしたい、
等のお問い合わせもどうぞ。
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(株)プレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)
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見よ、世々限りなく生きて、
死と陰府の鍵を持っている。黙示録1:18(4/21の週の聖句)
災いだ、
土の器のかけらにすぎないのに、
自分の造り主と争う者は。
粘土が陶工に言うだろうか。
「何を造っているのか」などと。イザヤ書45:9
キリストと結ばれる人はだれも、
新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、
新しいものが生じた。Ⅱコリント5:17
マルコ16:1~8
マタイ28:1~10(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句4/21;Ⅲ日曜 復活祭)
終わりの日に、
国は国に向かって剣を上げず、
もはや戦うことを学ばない。イザヤ書2:24
あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。ヨハネ20:21
ルカ24:13~35
Ⅰコリント15:50~58
マタイ28:11~20(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句4/22;月)
一度死んだことがあり、
新しい霊のからだに復活し(マルコ16:1~8、マタイ28:1~10、ルカ24:13~35)、
世々限りなく生きている方、
死と陰府を支配しておられる方なのですね。イエスは。
私たち、人間は、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方によって、
土地のちりでからだを造られ、
いのちの息を吹き込まれて生きたものとなったもの(創世記2:7)、なのですね。
それなのに、私たちは、
造られた方に向かって抗議するのですね。
「何を造るのか」とか、
「あなたの作った物には、手がついていない」などと。
天の神、主は、
この「的外れ」になっていて、
滅びに向かって進む私たちをなお、惜しんでくださって、
最初の目的どおりに回復しようとされたのだそうです。
イエスと合体させて、
イエスが受けられた十字架刑で処刑が終わったもの、死んだものとし、
墓に葬られ、
三日目の日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたイエスに合わせて
新しく生きる者としてくださるのだそうですから。
さらに、天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださって、
心に【父である神】の御思いを置いてくださり、
【父である神】と一つ心にしてくださって、
【父である神】の御思いで新しく生きる者にしてくださるのだそうですから。
〔生まれたときからの私〕という霊は、
死んだもの、古いものとして過ぎ去らせて。
そして、受け入れる者に平和を賜わり、
それぞれの場に派遣して。
「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)と。
終わりのラッパが鳴り、
イエスが二度目に来られる時、
私たちのからだは一瞬のうちに霊のからだに変えられ(Ⅰコリント15:51~52)、
雲の中に引き上げられ、
いつまでも
イエスと一緒にいるようにしていただけるのだそうですから(Ⅰテサロニケ4:16~17)。
だから、
私たちの労苦が無駄になることはないのですね。
この新しい1週間も。
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また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、ご家族などの葬儀をキリスト教でしたい、
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