朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

あの方が何をしようと思っておられるのかに心を向けていきたいですね。私たち

2014-05-13 23:07:48 | 聖書から
主なる神は言われる。



災いだ、

何も示されることなく、

自分の霊の赴くままに歩む

愚かな預言者たちは。

エゼキエル書13:3



 



イエスの言葉:

かの日には

大勢の者が

「主よ、

私たちは

御名によって預言し、

悪霊を追い出し、

奇跡をいろいろ行ったではありませんか」と

言うであろう。



その時、

わたしは言おう。

「あなたたちのことは

全然知らない。」

マタイ7:22~23





(ローズンゲン日々の聖句5/14;水)







イエスの御名を使って

預言をし、悪霊を追い出し、

多くの奇跡を行う人が、



実は、

父である方の御思いとは関係なく、

自分の思い、

自分の判断で

それを行っていることがあるようです。





イエスは、

わたしからは

何もしていなくって、

ただ、

父がなさろうとしていることをしているだけだ、





自分からは

何も話していなくって、

父が話されるとおりに

話しているのだと

おっしゃっていますが、





私たちは、

とかく、

父である方の御思いを聞こうとはしないで、

相談もしないで、



自分の思いだけで、

御言葉を語り、

預言をし、

悪霊を追い出し、

病をいやし、奇跡を行うのですね。





そのような私たちに対して、

イエス様は、

全然知らない、聞いていない、何の相談も受けていない。

不法をなす者ども、

わたしから離れて行けと

おっしゃるのだそうです。





私たちは、

自分が確固たる信仰を持ち、

聖書のことがよく分かって必要に応じてこれを語り、



力を受けて、

自分が預言やいやし、

力あるわざ、奇跡を行える者に

なりたいのですね。





けれども、

あの方は、

ご自分と心を一つにする者を

求めておられるのだそうです。





父である方、御子である方、聖である霊と呼ばれる方が、

愛と尊敬のゆえに、

自発的に

心を一つにしておられる、





その一つに加わる者を

求めておられるのだそうです。





聖である霊と呼ばれる方は、

私たちが

父である方と心を一つにするために

来られるのですね。





しもべが

主人の手に目を注ぎ、



はしためが

女主人の手に目を注ぐように

(詩編123:2)

あの方の御思いに

心を向けていきたいですね。

私たち。



今日も。










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