戦車を誇る者も
あり、
馬を誇る者も
あるが、
我らは、
我らの神、
主の御名を
唱える。
詩篇20:8
子たちよ、
偶像を
避けなさい。
Ⅰヨハネ5:21
(ローズンゲン日々の聖句2/7;金)
自分の軍事力を、
あるいは
財力だったり、
広い見識だったりを
頼りとし、
あの方との関わりを
持とうとしない者
なのですね。
私たちの本性は。
「私は
天に上ろう。
神の星々のはるか上に
私の王座を上げ、
北の果てにある
会合の山に
座ろう。
密雲の頂に上り、
いと高き方のようになろう」
(イザヤ14:12~14)
と。
あの方の判断よりも、
自分の判断、
自分の理性のほうが
正しいとする
心、
それ自体が
偶像なのでしょうか。
あの方が
支えの手を
ちょっと緩めれば、
私たちの理性など、
どうなってしまうかわからないのが
本当のところようですね。
あの
バビロン帝国の王
ネブカデネザルのように
(ダニエル4:28~37)。
あの方の
守りと支えがあって、
はじめて、
存在出来ているものなのですね。
私たち。
今日も。
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あり、
馬を誇る者も
あるが、
我らは、
我らの神、
主の御名を
唱える。
詩篇20:8
子たちよ、
偶像を
避けなさい。
Ⅰヨハネ5:21
(ローズンゲン日々の聖句2/7;金)
自分の軍事力を、
あるいは
財力だったり、
広い見識だったりを
頼りとし、
あの方との関わりを
持とうとしない者
なのですね。
私たちの本性は。
「私は
天に上ろう。
神の星々のはるか上に
私の王座を上げ、
北の果てにある
会合の山に
座ろう。
密雲の頂に上り、
いと高き方のようになろう」
(イザヤ14:12~14)
と。
あの方の判断よりも、
自分の判断、
自分の理性のほうが
正しいとする
心、
それ自体が
偶像なのでしょうか。
あの方が
支えの手を
ちょっと緩めれば、
私たちの理性など、
どうなってしまうかわからないのが
本当のところようですね。
あの
バビロン帝国の王
ネブカデネザルのように
(ダニエル4:28~37)。
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守りと支えがあって、
はじめて、
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私たち。
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