沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

忘れてはならない

2011年10月11日 | 日々のこと
  戦後焼け野原になった沖縄。それを伝え聞いたハワイの県系人が、1948年、食糧難で苦しむ沖縄住民を救おうと、考えた末に豚550頭を贈ってくれた。食料では一時的な救済にしかならず、すぐになくなってしまう、だから「生きている豚を送ろう」となった。沖縄が苦しんでいるという広報、豚を買い集めるための資金集め、それを沖縄まで運ぶ米軍艦の借用にと、故郷を思う移民の方々が、奔走してくれた。
 いざ、沖縄へという時、長い旅路の上に豚を死なせないようにその世話もしなくてはならないというので、頑強な男7名が選ばれ出発した。台風に遭遇し、船酔いで苦しみ、糞まみれになりながらも、「豚を死なせてはならない」「絶対に生きた豚を届けたい」と過酷な労働の末、無事沖縄に生きた豚を届けることができたのである。

 私が生まれる10年ぐらい前の出来ごとだが、物心つく頃から近所ではどこの家でも豚を飼っていた。豚が屋敷内で飼われている風景はごく普通の光景であった。私の家や近所で飼われていた豚はこれらの人々が贈ってくれた豚の子孫だったのだろう。
 
 「ハワイから贈られた豚」は「故郷沖縄を救おうと奔走した移民の方たち」なのである。また北・南米などの多くの国々の県系人が多量の物資を届けてくれたことも、私達は忘れてはならない。語り継いでいきたい話である。

(写真は今日の琉球新報・孫が実家で見つけた写真により、祖父が7人の勇士のひとりであったという記事)

 こんなブログに来てくれてニフェーデービル。
 
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