沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

チベット族の子どもたち

2010年11月03日 | 日々のこと
 

BSテレビでやっていた「世界のドキュメンタリー 世界の子ども」、昨日は中国青海省の大地震で被災し、孤児になった子どもたちのその後を映していた。
 地震があったのは、1020年4月14日・マグニチュード7、1。北京オリンピック開幕の前だった。
 子どもたちは、ある施設で1月ぐらいの心のケアをということで生活していた。彼等は中国人にされてはいるが、中国語は通じないので、チベット語の通訳を入れていた。その中にいた両親を亡くした幼い兄妹(5歳・3歳)がつかず離れずずーっと手を握っていたのが切ない。中国人の世話係の人にも全然懐かず、心を開こうとしなかった子どもたちだったが、日を重ねる毎に母のように慕っていった。寝る前には、男の子たちから「ほっぺにチューして」とせがまれ、一人が言うとみんな、自分のお母さんにしてもらっていたのだろう、「ぼくも」「ぼくも」と。

 この世話係の方がこの子たちを世話して驚いた事があるという。
 一つは、子どもたちの腕には傷がたくさんあるので、聞くと、チベット族は「蚊を殺してはいけない」、だからどの子の腕も刺されてかさぶたになっていた。「こっちの人は蚊をぱっちっと叩いてころすので、こわかった」「自分がたたかれているようで、心臓がどきっとした」と。
 また、彼らは花も摘まないという。
 そして、何よりも感心したのは、年上の子が幼い子供たちの面倒をよく見てあげること。自分も親を亡くして寂しいが、小さい子はもっと辛いだろうと、年長の子は自分の妹弟のように遊んであげ、抱きしめてあげているのだという。
 そういう気持ちになって上げられるチベットのこどもたちの優しさに驚いたと。
 

この施設で、チベットの踊りや歌を催すイベントがあった。子どもたちは嬉しそうに歌い踊った。震災の起きる前に流行っていたという「お母さんは天国へ行った」という歌が好きでみんなで大合唱をしていた。
 しかし、その歌が終わって、廊下に出た時、一人が泣き、二人が泣き、みんな堪えていたものが溢れて嗚咽となった。
 
 
帰る前に見せておきたいと、「地震直後の様子が撮影されたビデオ」が上映された。現実を分からせることも心を強くするためには必要と、これからの生活の大変さを考えて、迷った末の上映だった。果たして、子どもたちは。真剣に見入っていたが、中には目をそらしている子も。見終わって子どもたちは、泣いていた。みんな泣いた。不思議な事にひとり、ふたりと机の上で手をあわせている。全員がそうしていた。それは、手を合わせて何かをつぶやいていた。「祈ることで悲しみは消えるよ」と教えられているのだという。
切ない。この子たちはもうすぐここを出て行かなくてはならない。ここに居られないものだろうか、と私は思った。
 しかし、子どもたちは、「玉樹(ぎょくじゅ)に帰りたい」と。たとえガレキと化した所でも、故郷なのだ。父と母のいた故郷なのだ。 
 
 私も今日からこの子ども達のために、そして同じBSドキュメンタリーで先日見た「ハイチのこども」たちのために祈ろう。
 

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