葬儀屋日記 byノブアキ

つれづれなる葬儀屋さんの日記です

かんがえてみれば、かなしいことなんかじゃない

2005年04月15日 | 葬儀屋ポエむ&葬儀屋はなし
おじいさんとおばあさんから

ボクの父は生まれた

その父と

べつのおじいさんとおばあさんを

両親にもつ母が出会って

僕が生まれた




ちいちゃいころ

いっしょに遊んでくれた

おじいちゃん


竹とんぼの作り方を教えてくれた

魚釣りのしかたを教えてくれた



おじいちゃんの住んでいる町まで

小さかった僕には

大冒険だった






「ぼくはおおきくなったよ」


「もうおじいちゃんを背負えるぐらいになったよ」




遊びつかれて 


よくおじいちゃんにおんぶしてもらった記憶




懐かしいけれど


あたたかかくて

おおきくて


とても居心地がよかった・・・・






おじいちゃんは いま



煙になって空へかえっていった



父もボクに子供が出来れば


きっとおじいちゃんと同じになるのだろう




おじいちゃんが亡くなって


ぼくは生まれてはじめて


いのちがつながっていることを


感じた





ボクの半分は父からもらったもので

父の半分はおじいちゃんからもらったもので



ようするに僕の四分の一はおじいちゃんからもらったもので出来ている



煙突から立ち上る煙は


ボクの四分の一の人



おじいちゃんが長生きしてくれたせいもあるけれど


ぼくは別れが悲しいばかりじゃないことを


しるだけに十分な時間をおじいちゃんから

もらった


ボクの四分の一はおじいちゃんで出来ている


温かくて
ものしりで
大きかった

おじいいちゃんで出来ているのだ


そうおもうと




ボクの頬を流れる涙は




不思議ととまるのであった・・・・・・・

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おじいちゃんが亡くなったときに、不思議とそんなに
悲しくありませんでした。年も年だったといこともありますが
好きなように生きたひとで。子供のころのボクにとっては
ヒーローのような存在でした


人が死ぬのはやはり悲しいことだとは思いますが
そのときに、なくなったことを「受け継いでいる」と捉えるのか
もしくは「死んじゃった」と捉えるのかで大きくその後の
気持ちのありようが変わってくるように思います。

悲しみと一緒に、使命を人生にいただいているんだなあ
と思います。


突然の出来事は人間にとって
非常にショッキングで「死」という響きは
なんだかさびしかったり、怖かったりするのかもしれませんが

生きてる側の人間は亡くなった人からなにか託されているような
気がします。つながってつながって人生は幾重にも折り重なってきたんだろうなあ
そんな気がします。

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