葬儀屋日記 byノブアキ

つれづれなる葬儀屋さんの日記です

小人さんシステム

2004年07月25日 | つれづれ日記
hpの更新作業は記憶がないのに出来あがっていたりすることが
ある。

たまーに酔っぱらって、かえって来たときなどはよく
新しいコンテンツが出来ていたりする


「やらなきゃ、やらなきゃ」と普段から思っているので
無意識に近い状態で作っているのだと思う

でも知らない間にできあがっているなんて
まるで、童話の靴屋のコビトのようだ


最近はめっきりコビトさんがでてきて仕事をしてくれることも
なくなりましたが


昔は本当に、そんな感じでHPの運営をしておりました







おとうさんが守ってくれるから

2004年07月22日 | 葬儀屋ポエむ&葬儀屋はなし
さとうさんね

わたしおととし
父を亡くしたの

あたしね 父親っこだったから
もうどうしていいかわからないぐらい悲しくて

しかもお葬式なんてなれてないから
どうしていいかわからないでしょ

家でお父さんを見守りながら
すごく不安だったの




そしたらね

そのときの葬儀屋さんが

「大丈夫、みんなでこうして

おとうさんのためにがんばっているんですから

きっと、お父さんもよろこんでくれてますよ」



そう言われたらね

なんだ急にらくになってね

「ああ おとうさんが見守ってくれてるんだ」

ってそう思えたの

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昔、そんな話を聞かせて貰いました
心にふれる、素敵な葬儀屋さんの話
そのときから、あったこともないその葬儀屋さんは
僕の目標になりました。

僕もこころのたしになれるような、そんな素敵な葬儀屋になりたいと
そのときからずっとそう思っています。

少しは近づけたんでしょうかね(^^)

さあ、明日も頑張ろうっと!
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佐藤葬祭HPも見てね



清めの塩の意味

2004年07月20日 | 葬式豆知識
浄土真宗のお坊さんの中には

「清める」というのは「自分の家族が穢れているという、まちがった
思い込みがあるからだ、清めなぞという言葉は死んだ方に失礼じゃ
決して言わないでくれ、それから返礼品には塩をつけないようにな・・・」

と、お塩をつけない場合があります。

みんな死ぬんだし、死というのが取り立てて穢れ(ケガレ)ではないだろうなあ
というのは漠然と私も思います。

でも、お塩をつけないと
会葬者の中には
「葬儀屋さん、お塩忘れてるよ。こまるなあ、ちゃんとしてくれなきゃ」
と忘れているわけではないのですが

そんなときは、浄土真宗という宗派の考え方でと
説明はさせてもらうのですが・・・

なかなか理解してもらうのに時間が掛かったりします。


それで

最近私気がついたんです

「お塩」ってう気にする人は、塩をまく意味とか理由とか
じゃ無いんですよね。「塩は撒くもの」なんだと思っているんですよね

つまり、その人の家はそういう文化なんだと言うことに
気づきました。

そしたら、理由とか意味とか説明しても
気が住まい無いはずですよね。

文化の違いなら、合わせ安いほうが
あわせればいいことなので

最近の私は
「葬儀屋さん、お塩忘れてるよ。こまるなあ、ちゃんとしてくれなきゃ」
といわれると

微笑んで。「申し訳ありません、ハイ」と塩を渡してしまいます


葬儀のときに、塩を撒くかどうか
それは実は正しい答えがあるわけでもなく
一人一人がそれで、気が済むかどうかが大事なんですね

皆さんも、よろしければ塩を撒くかどうか?
自分で答えを考えてみてください

ちょっとおもしろいですよ(笑)


相模原市営斎場

2004年07月17日 | つれづれ日記
今日は相模原市営斎場に
19,20日のしごとの下見です。

はじめていく斎場なので、手順ややりかたがわからないので
大変でした(笑)

でも、一度しかできない葬儀ですからね
失敗はできません、しっかりと分からないことを確認して

メジャーで図って、写真もとって
火葬場の人に使い方を聞いて
仕事している葬儀屋さんにも聞いて

とにかく聞いて、聞いて
メモってメモって
車で走って走って

大変でしたけれど
きちっと葬儀の日までには
分からないことがないように
失敗が無いように頑張るんですな

しかし、今日の帰り道
国道246号のじこには参りました・・・

帰りは3時間かかりましたから(笑)



命ってあっけないね 佐藤さん・・・

2004年07月11日 | 葬儀屋ポエむ&葬儀屋はなし
いのちってなんだかあっけないね

どうにも まだ信じられないよ

恰幅のいい 体を涙で震わせて

そうやって喪主さんはつぶやいていました

私は ただの葬儀屋で

答えも出せずに そばで静かにうなづいている

だけでした



長いこと 葬儀屋をやって

いつかそのことに答えが出せるのかもしれないし

出せないままかもしれません



ありふれた広告のように

温かいお別れをご提供いたします

なんて

震えた肩を目の前にして

言えるものではありません



まだまだ よく説明はつきませんが

震えた肩をとめることは 無理にしなくてもいいことで

悲しみはそのまま

つらさもそのまま

それが失う悲しさの受け止め方なのではと思います


別れることは悲しいことで

失うことはつらいことで

いなくなってしまうのはさびしいことで

涙もあふれたりもします

でもそれが自然なんだと
人として当たり前なんだと

私は思います

そんななかで、近くでうんうんとうなづいているだけの
私も何かの役に立っていればいいなあと
そう思います。