終活の違和感ってのは、子供に「迷惑を掛けない」ってのが根っこにあって、違和感ってのは自分が老いて行く面倒を見られなければいけない立場になる事を「迷惑」って言っちゃう、思っている事なんだ。大変と迷惑は違う事だ、大変だけれど、そこに情があればそれは迷惑じゃないって。
大体さ、さっくりで言っちゃうと「金儲け」抜きで「終活」なんてのプロデュースしてる奴は居ないんだから、だまされるなよって言いたい。綺麗な言葉で着飾っても、金儲けたいと有名になりたいってやつばっかりだって。
金儲けしたいと、有名になりたいのは悪い事じゃないよもちろん。そりゃ人間の自然な欲だもん。でもさ、うすら綺麗事ならべて、人様の生き死にを扱うのってのは生き死に業界に居るからイヤなんだ。生死は日常、連綿とつづくご先祖さんからの財産、人は死ぬのよ。
たとえばさ、事前相談とか生前予約ってのも綺麗にきこえるけど・・・この前あったのは「俺、死んじゃうからさ。癌なんだよ。もう持たないんだ・・だから佐藤君のところ頼むように、家族に言っておくから。よろしくな」ってのもある。俺はいったい、何を答えたらよかったんだって今でも思う。
終活の問題点っていうか、根本的な、「あ~~あ~~言っちゃったよ・・」てきな突っ込みをすると、死ぬのが怖くななくなるのか、安心して死ねるのかっていうと「終活しても」死ぬのが怖いもんは怖いし、別に自分にとって上手く死ねるわけでもない、出来る事はなんとかあがいてよく生きる事
だからね、一番いいのはちゃんと生きる、しっかり生きるってのが一番の死に準備なんだわ。つまんないけど、これが最大公約数の解。
いろんな葬儀、変わった葬儀もあるけど・・それが似合うのは「そう生きた」って時間がある人だけ。おしゃれだから、おしゃれな葬儀なのか?御洒落だと御洒落に死ななきゃいけないのか?っていうとそうじゃない、死は全員に平等にやってくる理不尽だ。
その理不尽さを、僕、私、俺、アナタが引き受けるんじゃくて「みんな」で引き受けようぜってのが葬儀、葬儀の葬は遺体の処理の事、儀はみんなでやる時のルールの事。
終活って言葉をつかって仕事をしている人もいるから、こういう終活批判はきっ迷惑になるので、本当に申し訳ないとは思うんだ。でもさ、その言葉を使う背景、構造ってのがみえてて、言わないのもなんか違うなぁ・・と思う。
終活ってのは、ちゃんと生きる事で、生きる事は飯食って、よく寝て、働いて、恋して、結婚して、子供そだてて、っていうそういうありふれた日常に意味がある、あったって事だから。短く言えば、飯食ってウンコすること、それがちゃんと毎日毎日続く事、んで飯くえなくなったらそれがお迎えの時が近い。
お迎えってのも、いい言葉だよなぁ~自分じゃどうにもならんってのが、その言葉の中に入ってるもん。
@okesn 大丈夫です、ぼくも30年葬儀屋やって、やっと遺体が怖いのがわかりましたからwなじめているか、どうかわかりません。同業の変だと思う所に噛みつきながら生きてます。 でも、どんな仕事でも向き不向きはあると思いますよ。